<宿命>

pressココロ上




 2ヶ月ほど前から定期的に買いに来てくださるお客様がいます。なんと年齢が80代後半の男性なのですが、中肉中背でいつも背筋がピンッと伸び、その立ち振る舞いも颯爽としています。外見だけで判断するなら70代前半と言ってもおかしくないほどの若々しさを保っています。男性が初めて来店したのは雨の日でした。
 その日は土曜日で土砂降りとまではいきませんが、道路に打ちつける雨は跳ねかえりができるほどの強さで降っていました。当店にとって「土曜で雨」という条件は最悪の状況ですが、その最悪を後押しするのに充分な雨の強さでした。
 当店はお昼の部と夕方の部の間に休憩をとっていますが、そろそろ休憩に入ろうかと準備にとりかかっていたときに、男性はふいに店先に入って来ました。そのときは別段会話をすることもなくほかのお客さまと同じように商品を買って帰って行きました。
 その日から2日後、その男性がまた来ました。
「いやぁ、この前買ったの、とてもおいしかったから」
 笑顔で話しかける言葉には、こういう場面にありがちな他意など察せられず、純粋な気持ちが感じられました。僕は笑顔で応じました。
「ああ、この前の雨の日にいらしたお客様ですね」
 その日もそれ以上の会話はありませんでした。しかし、男性は帰り際に「2日に1回は必ず買いに来ますから」と僕に告げました。そして、それはずっと実行されています。また、男性はこうも言いました。
「もしかしたら、飽きるかもしれないけど、飽きるまで…」
 お店を営んでいる者としては、このような正直な言葉はうれしく感じるものです。普通、お客様という種族は定期的に来店していてもいつか必ず自然と足が遠のくものです。それを最初から正直に話す男性に僕は好感を持ちました。
 男性は買いに来るたびに僕と一言二言言葉を交わしますが、それ以上は話し込みません。話す内容も当店の商品を褒めたり自らの日常の出来事を話す程度です。一般に、常連を目的とするお客様は必要以上に親密な関係を築こうとするのが常ですが、そうした素振りも全く見せませんでした。
 常連の関係を目指すお客様の特徴は、イートイン形式のお店では特に顕著です。僕の店はテイクアウト形式ですが、テイクアウト形式のお店でもそうした特徴を示すお客様がいます。けれど、男性はこれっぽちもそうした素振りを出しませんでした。僕は男性に心を開いて話せる心情になっていました。
 心を開いて話せるお客様と一言二言でも言葉を交わすのは楽しいものです。その会話の中から、僕は男性の年齢やプールに週5日泳ぎに行っていること、そして1ヶ月に1度江ノ島にブラリ出かけていることなどを知りました。
 12月に入ったある日、男性が来店したときにそれほど深い意味もなく僕は話しかけました。
「今年もあと1ヶ月を切りましたけど、今年はなにかいいことがありましたか?」
 少し間を置いた男性はうつむき加減にゆっくりと話し出しました。
「実は、こんな笑顔でいられるような状況じゃないんですよ」
 男性には独身の息子さんがいるそうです。息子さんといっても60才を過ぎているようですが、男性の年齢からして不思議ではありません。その息子さんが数年前から病気療養の身となり、その介護と看病で生活はとても辛いもののようでした。息子さんの病状を一言で言い表すなら悲惨という言葉しか見つからないほど大変な状況でした。
 発病当初は自宅で看ていたそうですが、高齢のご両親が看病できる程度も限られています。息子さんの容態は、身体が思うように動かせない病状で、さらにそのうえに癌まで併発してしまったそうです。病状の身であるがゆえに生じる苛立ちやストレスからご両親に当り散らすことがたびたびで、そのような状況でご両親が自宅で看るにも限界があります。
 結局、入院したのですが、その入院にまつわる費用が毎月30万円ほどかかるそうです。普通の家庭なら、この段階で生活が破綻してしまうでしょう。しかし、息子さんは運良く保険に入っていました。
 保険に入っていたとはいえ、いつまでも保険金が支払われるわけではありません。男性は、「あと数年は保険があるから大丈夫だけどそれから先はどうなるかわからない」と話していました。
 それまでの男性から聞いていた暮らしぶりからは想像もつかない生活状況に僕はただ驚くばかりでした。本来なら、息子さんと男性は反対の立場になっているのが普通です。中高年になった息子が年老いた親の面倒を看るのに苦労している。これが本来あるべき親子関係です。しかし、この男性の場合は反対でした。僕が男性の立場になっていたならどんな対応をしていたかと想像するだけでも恐くなります。僕は男性の精神的タフさに尊敬という二文字しか思い浮かびませんでした。
 僕は男性に尋ねました。 
「どうして、そんなに耐えられるんですか?」
 男性は一言一言噛み締めるように、そして淡々と答えました。
「宿命って思うしかないんですよ…」
 僕は男性の言葉に返す言葉を見つけることができませんでした。それにしても、男性のすごいところは、これだけの苦労話をしているときの、その口調が淡々としていたことです。決して、大げさな口ぶりや感傷的な話し方ではありませんでした。また、その話をして以降も来店していますが、自分からは決してその話をしてきません。この姿勢にも僕は感動しています。
 これだけの大変な苦境を「宿命」として受け入れる度量には感嘆するばかりです。男性が言っていました。
「どうしたって、なるようにしかならないから」
 ところで…。
 男性の話を聞いてから、僕はある知人のことを思い出しました。
 正確には「知人の知人」ですので、面識はありません。ただ、動向は常に聞いていました。理由は、僕と同じように脱サラで飲食店を開いたからです。
 仮にその方をMさんとしましょう。Mさんは脱サラですが、僕などとは違い料理人としてきちんと修行を積んだ確かな腕を持った職人でした。それなりに名の知れたホテルの副料理長まで務めた実力も備えていました。そのMさんが独立をしました。場所は僕の家から1つ離れた駅の商店街の中でした。
 この独立の形は一番危険なパターンのひとつです。腕に自信がある料理人が組織の中で働いている感覚のまま独立するからです。組織の中にいるときは、料理人は料理の味だけに神経を注いでいれば事足ります。しかし、独立は料理の腕だけで成功するわけではありません。それ以外の要素もとても重要です。場合によっては、それ以外の要素のほうが重要な場合もあります。その意識がないままに独立するのは、腕や味に自信があるだけにとても危険です。僕の心配は運悪く的中し、1年後に閉店しました。
 その後、Mさんはお兄さんが経営していた工場に就職しました。僕の想像では、お兄さんからもお金の工面をしていたのではないでしょうか。Mさんは単身赴任で工場で働くことになりました。それから約1年後、Mさんに癌が見つかりました。闘病の末、約1年半後に亡くなりました。まだ、60才に満たない短い人生でした。
 料理人を目指して修行時代を乗り越え有名ホテルの副料理長にまで上り詰め、それから独立を果たしたMさん。しかし、独立して一生懸命働いたとしても繁盛するとは限りません。本人の思慮不足や計画不足といった本人が負うべき責任もあるでしょう。ですが、成功するかどうかは結果論に過ぎません。誰が考えても失敗するしかない条件下で成功した例もあります。往々にして、大成功した事例はそういうケースが多いものです。
 例えばヤマト運輸の宅急便などはその最たる例でしょう。今でこそ大成功を収めていますが、宅急便を始めた当初、生みの親の小倉氏以外は誰も成功するとは考えていませんでした。効率の悪い個人の宅配など採算が取れないと誰もが予想したからです。なにごともやってみなければわかりません。
 Mさんにしても失敗したのは結果論に過ぎません。たまたま失敗したとも言えます。それよりも僕が気の毒に思うのは、人生の再出発を計り地道に働いていた矢先に難病を患ったことです。Mさんの心中を思うとき、Mさんの悔しさはいかばかりだったでしょう。これも宿命と受けとめるしかないのでしょうか…。
 じゃ、また。




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