<真正面>

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 今月の半ばに僕の住む東京でも雪が積もりました。「積もった」と言っても日本海側や東北地方など雪国に比べますと「降ったうちに入らない」程度ですが、東京に住んでいますと、その程度でも生活に支障をきたすことがあります。僕などは自転車に乗るときはもちろん歩くときでさえ「転ばないように」と、とても神経を使いました。
 雪が降った翌日のことです。店内から外の景色を眺めますと少し離れたところに見える家の屋根に雪が積もっていました。やはり、東京では屋根が白く化粧をしているのは珍しい光景ですので新鮮な印象がします。雪景色と言いますとちょっと大げさですが、白い屋根はどことなく風情があります。
 その日は晴天でしたので、雪には太陽の光が降り注いでいました。太陽の光が当たった雪は白さが際立ち、より一層白く感じます。
 雪化粧とはいえ、所詮は東京の雪ですからたかが知れています。せいぜい2~3cmでしょうか。その程度の雪ですので、太陽の光を浴びて数時間も経ちますと、溶けてしまいます。午後になり屋根を見ましたら、屋根の一部の面はほとんど雪がなくなっていました。僕は、その屋根を見てその雪の溶け方に興味を持ちました。
 先ほど「一部」と書きましたが、雪が解けていたのは太陽の光を真正面に受けた面だけでした。屋根は四角錐(しかくすい)の形をしていましたが、四つの面のうち雪が溶けていたのは光を真正面に受けた面だけで残りの3面はまだ雪が残ったままでした。正確に言うなら、僕の方角から見えるのは2面だけですので、僕から見てうしろの面は見えません。ですが、見える2面のうち太陽の光が真正面に当たらない面は雪が残っていましたので、うしろの2面も雪が残っていると推測して間違いないと思います。
 こうした現象を見ていますと、光のエネルギーを受ける角度によって、その効用が全く違うことがわかります。真正面で受けるエネルギーは雪を溶かす力がありますが、少し角度がそれるだけでそのエネルギーは減少するようです。
 ワタミグループの会長である渡邉美樹氏が都知事選に立候補しました。渡邉氏は居酒屋チェーンの起業で成功を収め、その後学校運営や介護業界にまで進出した立身出世を成し遂げた方です。最近では、政府の幾つかの諮問機関の委員も務めていました。ですから、政治の世界に対して全くの素人というわけではないと思います。ですが、やはり経営者が政治家に転進するのには違和感があります。
 戦後の起業家と言われる人たちには幾つかの世代があります。僕の独断で思いつくままに書き連ねますと、戦後すぐの第一世代としては、松下電器の松下幸之助氏やソニーの井深大氏など、第二世代にセコム創業者の飯田亮氏やリクルート創業者の江副浩正氏などです。その後の第三世代としては人材派遣パソナ創業者の南部靖之氏やソフトバンク創業者の孫正義氏などです。その後の第四世代として、若い皆さんもご存知のホリエモン氏や楽天創業者の三木谷浩史氏、それからちょっと年齢的には上ですが、USEN元社長で人材派遣業のインテリジェンス創業者の宇野康秀氏も含まれます。
 この世代分けには異論のある方もいらっしゃるでしょうが、あくまで独断でしかも深く考えることもなく思いつくままに書いたものですので、何卒ご容赦ください。
 さて、この世代分けで言いますと、渡辺氏は第三世代と第四世代の中間に位置します。因みに、この分け方は年齢ではなく世に出た時期を基準としています。ですから、同世代でも年齢に開きがあることもあります。
 先に、渡邉氏は第三世代と第四世代の中間に位置すると記しましたが、年齢でいうなら第三世代に属します。実際、渡邉氏は孫氏や南部氏とさほど年齢は変わりません。ですが、世に出た年齢で分けますと第四世代に入ります。
 先ほど、起業家を世代毎に列挙しましたが、それらの方々と渡邉氏には根本的に大きな違いがあります。その違いが渡邉氏を都知事選に立候補させた要因のひとつのように、僕には思えてしまいます。それは、同じ起業家でもベンチャーであるかどうかです。
 ベンチャーとは、それまでにこの世の中に存在しなかった全く新しい業種での起業を指しますが、渡邉氏が起業した居酒屋チェーンは既存の業種でした。そもそも、渡邉氏の起業家としての出発点は「つぼ八」のFC加盟店です。ベンチャーどころか、本部が考えたノウハウを借りる形での出発でした。その後、自らのチェーン店を創業して成功し、それから他の業種に進出しています。けれども、どれも今までに存在した業種であり、ベンチャーではありません。
 渡邉氏はいろいろなメディアに登場し、自らの生い立ちや経営信条などを述べていますが、それらを聞いていて僕は、渡邉氏のわだかまりを感じていました。それは、先ほども少し触れましたが、「ベンチャーでない」ことと「年齢」です。ベンチャー起業家と普通の起業家ではその価値に差があるように感じてしまってもしかたありません。渡辺氏の心の中にもそうしたわだかまりがあっても不思議ではありません。
 渡辺氏はここ数年、政府のいろいろな諮問機関の委員になっていますが、政界進出を考えていたことと無縁ではないでしょう。
 経済界である程度の成功を収めた経営者が政界に転進する例は昔からありました。経営の神様と言われた松下幸之助氏も一期だけ政治家を務めたことがあります。しかし、神様にとっては政界が肌に合わなかったようで一期1度きりの政治家活動でした。中には、政界進出後も出世をして閣僚や衆議院議長まで務めた人もいますが、稀な例でしかありません。その理由を考えるとき、ありきたりな言い方になってしまいますが、経済界と政界では求められる能力が異なるからではないでしょうか。それと同時に、経済界で名を成し成功を収めた財界人でも、政界に入ってしまえばただの一兵卒です。自分の意志や考え通りに実行できることはほぼありません。そうしたことも経営者が政界に簡単に転進しないひとつの要因でしょう。また、下積みをすることに抵抗があっても不思議ではありません。
 まさに、渡辺氏が国会議員ではなく都知事に立候補した意味がこの点にあります。政治家が自分の思い通りに物事を進めることを考えるとき、国会議員よりも知事のほうが手腕を発揮しやすい政治システムがあります。数年前から、国会議員をやめて知事や市長に転向する政治家がいますが、その理由のひとつに知事の持つ強大な権力があるように思います。やはり、政治家であるからには自分の考える政策を思い通りに実行したくなるのは当然の思いです。それと同時に、その他大勢の中のひとりである国会議員より知事の立場のほうが注目を集めるのは間違いありません。それを可能するのが知事という役職です。渡辺氏ほどの知名度があれば、これまでにも国選における立候補の誘いが幾つかの政党からあったことは容易に察することができます。それらの誘いには乗らず都知事に立候補したのはこうした理由があるように思います。
 渡邉氏の経営者としての立場は中途半端でした。孫氏や三木谷氏のようにIT関連ですと世界的規模に発展することも可能です。また、ユニクロのように既存ではあっても世界的に成長する可能性のある業種もあります。
 それに比べますと、渡邉氏が携わっている業種は世界的に発展する可能性が低いものです。つまり、渡邉氏がいくら成功しようが、その携わっている業種が現在の業種である限り、いつまで経っても孫氏や三木谷氏らより前に出ることができないことを意味します。もし、そうした経営者としての限界を考えての政界転進であるなら、立候補は健全な選択ではないように思います。政治家を目指すなら、政治に対して最初から真正面に臨むべきです。それができないなら、都民の心を溶かすことはできないでしょう。
 ところで…。
 エジプトでのムバラク大統領の退陣をきっかけに周辺国にまで民主化の動きが広がり、これまで独裁国家だった国々が揺れています。国民が民主化を求めるのは、自由がなく不平等な社会だからです。そのような社会では、自ずと社会的に見て弱者としての立場を強いられている国民が多数います。そうした国民を力で抑えつけられているときはいいですが、なにかのきっかけで民主化の欲求が抑えつける力を越えたとき、弱者の人々は行動を起こします。弱者をないがしろにする政治は独裁国家でしか通用しません。
 渡邉氏が立候補を表明したとき、僕は考えました。経営者と政治家の違いはなにか。
 経営者の最も重要な役割は競争に勝つことです。企業は市場で生き残ることが最低条件ですのでその役割を全うすることなくして経営者ではいられません。競争に勝つということは弱者を作ることでもあります。勝利者になることはいやがおうにも敗者を作ることになり、そして、一般に敗者は弱者になります。
 経営者は競争相手を叩きのめすことを考えはしても、競争相手に手を差し伸べることなど考えません。弱者に手を差し伸ばしていては自らの存亡さえ危うくなってしまいます。そして、いつしか弱者を慮る気持ちを忘れてしまいます。
 それに対して、政治家の役割は弱者を作り出さないことです。このように言いきってしまいますと、語弊がありますが、民主国家では弱者をないがしろにした社会が永遠に続くことはありません。独裁国家でさえ弱者をないがしろにしたままでいられそうもありませんから、民主国家である日本なら尚更のはずです。繰り返しになりますが、政治家の役割は弱者をいかにして作らないかを考えることです。
 果たして、成功した経営者、つまり勝利することによって生き残ってきた経営者に政治家が務まるでしょうか。人は誰しも、真正面から光を浴びたいと思っています。
 じゃ、また。




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