<3月11日>

pressココロ上




 2週間ぶりの更新です。先週はお休みしてしまいました。やはり、東北地方の地震被害が気になってコラムどころではありませんでした。今回の災害は地震そのものよりも津波による被害が大きいことが特徴でした。外国での津波による災害は映像で見たことがありますが、この日本での津波被害を見たのは初めてです。津波がこれほど大きな被害を与えるとは想像もしていませんでした。外国での津波映像は、やはりどこか別世界のように思っていたからです。しかし、同じ世界での出来事であることを再認識しました。
 これまでなん度も、テレビ画面の上部などに地震速報が入ったことありますが、そのときにいつも「津波の恐れはありません」などと津波情報が続いていました。しかし、今回の災害が起こるまでほとんどその意図する重要性について考えることはありませんでした。今になって、ようやっとその情報の持つ価値の大きさがわかりました。本当はとても重要な情報だったのです。
 ニュース番組で津波が街を襲う様子を放映していましたが、家屋が濁流に飲み込まれて流される映像は衝撃的でした。また、自動車がまるでミニチュアカーのように軽々と流されていく様にも驚かされました。言い古された表現ですが、「自然の力は間違いなく人間の力より勝っている」とまざまざと見せつけられたような気がします。
 今回の地震被害は普通の地震被害とは違う恐怖も起こさせました。原子力発電所に被害が出たことです。ニュースでは発電所の1、2、3、4号機などの爆発や火災を報道していますが、報道を聞くだけで恐怖を感じる被害です。さらにその後には5、6号機にも不具合が出てきた模様ですが、いったい本当の危険度はどれほどなのでしょう。ニュース番組で専門家がいろいろと解説していますが、今ひとつ信頼性に欠けているように感じてしまいます。とにかく、今の状態でもかなり危険ですが、これ以上危険な状況にならないことを願うばかりです。
 実は、地震があった3月11日は僕のお店の閉店日でした。午前の部が終わり休憩時間に入り、妻と食事を終えてくつろいでいたときに大きな揺れに襲われました。今までに経験したことがないほどの大きな揺れでした。すぐにドアを開け店先に出ましたが、隣のお店の方はすでに周りに高いビルが立っていない駐車場に避難ししゃがみこんでいました。僕たちにしてみましても、なにかにつかまっていなければ立っていられないほどの揺れ方でした。それほど恐怖を感じる地震でした。
 その後、地震が治まったあとラジオで地震報道がありましたが、その段階ではまだ、東北地方の被害の甚大さを知りませんでした。単に、「普段よりかなり大きな地震」という程度の認識しか持っていませんでした。
 先に書きましたように、その日は最終営業日でしたから、ある程度売上げが高くなる予想を立てていました。僕の今までの経験上、「閉店日にはこれまでの常連のお客様たちが買いに来てくれる」からです。実際、前の場所での最終日は普段の2倍以上売れていました。当然、今のお店においてもそれなりに売れると僕が予想しても当然です。
 午後に再開後、僕の予想どおりいつもより売上げは伸びていました。しかし、確かに数字は伸びていたのですが、どうも腑に落ちない感じがしていました。なんか雰囲気が違うのです。はっきりとした確信はなかったのですが、買いに来るお客様から「最終日だから買いにきた」という雰囲気が漂ってきませんでした。
 なんかおかしいなぁ…。
 そう思いながら外を見ていますと、あることに気がつきました。
 店の前を通る人がいつもより多いのです。しかも、その中の多くの人が当店になんの関心も示さずに通り過ぎて行きました。ただ黙々と無心に前に向かって行進しているように思えました。そして、その様が「店の前を通る人数が多いことと当店の最終営業日にはなんの関係もない」ことを証明していました。
 そのときの僕はまだその理由がわからず、ただ不思議な気持ちでいました。そのときです。店の前を通りがかった中年男性に川向こうの駅までの道を尋ねられました。川向こうと言えば隣の県です。これまでにも、道を尋ねられたことは幾度もありますが、隣県の駅までの道順を問われたのは初めてでした。少し戸惑いつつも、僕はいつものように店先まで出て丁寧に説明をしました。それから幾らも時間が経っていないときに、また違う方から同じ駅への道順を聞かれました。そのようなことが数度続いたあとにわかりました。電車が止まっている、と。
 通行人が多かったのは「地震の影響で電車が止まっていた」からでした。道を尋ねる方たちに尋ねますと、みんながみんな「なん時間も歩き続けている」と答えました。一番短くて2時間、中には「5時間歩いている」と答えた男性もいて驚きました。日本人って辛抱強いです。
 店の前を歩く人が途切れないことも手伝って、結局、最終日は普段より40分ほど長く営業することになりました。嬉しいことに、売上げも普段の3倍以上でほとんどを売り切ることができました。しかも、最後は顔なじみのお客様たちが連続して訪れてくれ感激しました。交通事情の悪い中、当店の閉店時間に間に合うように必死に早く帰ってきたそうです。これほど、うれしいことはありません。
 最後の後片付けを終え、感激の余韻に浸ったまま家に到着して、ニュースを見て初めて震災被害の深刻さに驚いたのでした。僕の最初の予定では、営業最終日は営業を終えたあとに店で使っていた冷凍庫など、まだ使える用具類などを家に持ち帰る予定でいました。しかし、地震のニュースに釘付けの状態になったのは言うまでもありません。
 無事になんとかお店の閉店を終えることができ、一段落つくことができましたが、まだ残っている仕事がありました。解体作業と不動産屋さんとの解約手続きです。
 今回の解体業者を探す際に初めてネットを利用しました。過去2回は知り合いに紹介してもらったのですが、その方法では今ひとつ納得できない部分がありました。それは、解体作業に費やす費用が適正かどうかどうかがわからないことでした。やはり、見積もりや作業内容を比較した中で業者を決めるのが最善のやり方です。その意味で言いますと、インターネットは本当に便利でした。結局、ネットで見つけた3社の中から価格と作業内容の中身も考慮して最も納得ができる業者を選ぶことができました。
 因みに、約2.5坪の内装をスケルトン状態に戻すのに17万円かかりました。読者の方の参考になれば幸いです。不動産屋さんとの解約手続きはまだなんとも言えません。保証金4か月分の返還がまだだからです。一応、解体後の現場を見て了承は得ましたが、お金が振り込まれるまで安心はできません。今後、いろいろと難癖をつけて返還額を減少するような話があるかもしれません。油断は大敵です。
 ところで…。
 今回の閉店に際しても、お客様の優しさに触れることができました。もちろん全員ではありませんが、多くの方が閉店を残念がってくれ労いの言葉をかけていただきました。中には、お菓子を持ってきてくださったり、また手紙を添えた方もいて、ただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。僕とお客様の関係は、お客様がお金を支払う立場で僕がお金を受け取る立場です。ですから、本来なら僕のほうがお客様にお礼の品物などを差し上げるのが筋です。しかし、そうした立場に関係なく、僕を慮る対応をとってくださったお客様には感謝の気持ちでいっぱいです。
 特に印象に残る30代半ばの女性のお客様がいます。その方は、3年前の開店日に「じゃぁ、開店を記念して」とたったの一回買いにきただけのお客様でした。それ以来一度も買いに来なかったお客様です。
 僕は、毎日閉店時間間際に店先に出て呼び込みをしていました。そのときに、ほぼ毎日僕の目の前をまるで僕の存在など見えないかのように通り過ぎて行ったお客様でした。その対応を見ていて、僕は「このお客様は当店を好きではないんだな」と感じていました。それほど冷たい表情で店の前を通り過ぎていた方だったのです。
 ところが…。
 閉店告知の張り紙をすると、それほど間隔を開けずに夕方に買いにくるようになったのです。ごく普通に感じよく買いにくるようになりました。僕は、その雰囲気から「たまたま偶然」という感じを持っていました。「開店日以来一度も買いに来なかった」という実績からそれ以外に考えられなかったからです。しかし、最終日が近づくにつれ頻度が増し、そして最終日もやってきて、いつもより多く品数を買い、こう言いました。
「どうも、ご苦労様でした。これからも頑張ってくださいね」
 人は見かけによらないことを実感しました。
 海外では、これほどの災害が起きても略奪や放火などの犯罪が広まらない日本が不思議だそうです。そう言われますと、海外ではのこのような災害時に商店などから物を盗み出す映像などを見かけることを思い出しました。そうした外国に比べて、日本人は本当に真面目で品行方正ですが、僕のお店に来たお客様たちを見ていますとその根本的理由がわかるような気がします。
 3月11日は店の閉店日にあたり、そして震災も起こりましたので、一見すると「運の良くない日」と考えがちです。ですが、ものは考えようで、閉店日に心優しい人々に出会え、そして災難の中でも秩序正しく振舞う日本人の正義感を認識することができた日と考えることもできます。実は、あとひとついいことがありまして、実は、3月11日は僕たち夫婦の29回目の結婚記念日でもありました。
 じゃ、また。




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