<反格差と弱肉強食>

pressココロ上




 今週のコラムは、10月22日(土)の朝日新聞朝刊15頁を題材にして書き進めたいと思います。先週のコラムで、「新聞の必要性に関する疑義」について僕の考えを書き連ねましたが、結局僕はまた以前の日課を送る日々に戻ってしまっています。こんな自分を見つめなおしてみますと、まぁ、あれですね、つまりは新聞やテレビニュースの存在価値がどうのこうのというより、僕自身が活字を読んだり社会の動向に関心を持つのが好きな性分ということに落ち着くように思います。
 さて、その朝日新聞朝刊15頁ですが、この頁はニュースが書かれているのではなく、いろいろな人の意見が掲載されているコーナーです。いわゆる識者という方々が高邁な意見や考えを披露している頁です。
 そのコーナーを読んでいて最初に違和感を感じた文章は、
「ビル・ゲイツ氏が『貧しい人々を犠牲にして、豊かな国々の財政の帳尻を合わせることは許されない』という報告書をG20会議に報告した」というくだりです。
 僕は少しへそ曲がりな性分ですので、現在の先進国と言われる国々に対して反発心があります。それは、先進国と言われる国々は先進国になるためにいろいろな策略を講じて「貧しい人々を犠牲にしてきた」という過去の歴史があるからです。その過去を忘れたかのようにして、現在の世界政治や経済について対策を講じることに違和感があります。「元はと言えば、先進国自身が撒いた種じゃねえか…」なんて。
 例えば、今現在でもアフリカなどで紛争が起きていますが、それの根本的原因はかつての先進国の植民地政策と無縁ではありません。もちろん、これはアフリカに限りません。つまり、今起きている世界各地で起きている紛争の元々の原因は先進国にあるといっても過言ではありません。先進国の首脳たちはその歴史的事実を踏まえたうえで、現在の苦境を乗り越える方策を考えるべきです。
 僕は同じような感想をビル・ゲイツ氏に対しても感じてしまいます。ビル・ゲイツ氏が今になって「貧しい人々を犠牲にして…」などと社会的正義を振りかざしてみても言葉通りには受け取れません。心からの言葉ではない、という印象です。なぜならば、ゲイツ氏は経営者として現役時代に「人々を犠牲にして…」を少なからず実行してきたからこそ今の成功があるからです。
 資本主義は競争の世界です。言葉を言い換えるなら、戦いの世界です。その世界で長者番付世界一の座を守り続けていられるのは、なんども繰り返すようで申し訳ありませんが、「人々を犠牲にして…」を自らの意向であろうとなかろうと関係なく、結果として実行してきたからにほかなりません。
 もし、本気で、心の底から「人々を犠牲にして…はならない」と思うのなら、格差をなくす政策を実行すればよいことです。わかりやすく言うなら、高報酬を辞退すればよいことです。もしくは、報酬のほとんどを社会的弱者のために使えばよいことです。それをせずに、「貧しい人々を犠牲にして…」などと提言したところで真実味にかけます。
 かつて、「鉄は国家なり」などと豪語した財界人がいましたが、かつて日本の産業を支えていたのは素材産業であり製造業でした。しかし、時代の移り変わりとともに製造業が衰退し、80年後半のバブル前から金融業が前面に出てくるようになりました。一流大学を卒業した学生はこぞって銀行や投資銀行など金融関連企業に就職することを望みました。理由は簡単です。収入がほかの産業に比べて桁違いに高かったからです。
 以前なにかで読みましたが、IT企業の成功企業と言われる楽天は「実際は、旧来の産業とさして変わらない」と解説していました。理由は、現在の楽天が利益を上げているほとんどは金融業がもたらしているからです。言われてみますと、楽天のネット上でのショッピングモールもこれまでにもあった通信販売と同じです。電話がネットに変わっただけです。しかも、ショッピングモールでの利益の数倍を稼いでいるのは金融業ですから、真の意味でのIT企業とは言えない、という解説にも説得力があります。
 楽天が金融業に進出したのは、創業者の三木谷氏が銀行出身であることも影響しているでしょうが、金融業がほかの産業に比べて儲けやすかったからではないでしょうか。
 僕は体育会系の人間ですので、汗を流しながら働いて収入を得るのが理想だと思っています。金融業はその対極にある産業です。正直に言うなら、お金を右から左に動かすだけで利益が出るのはやはり納得できるものではありません。しかし、現在のシステムがそのようになっているのですから仕方のないこととも言えます。
 朝日新聞朝刊の最下段左の意見はそのシステムを是正しようという主張でした。もちろん、僕は賛成です。しかし、その是正が実践されるかは微妙です。なぜなら、社会のシステムを動かし、決めているのが今のシステムで利益を得ている人たちだからです。果たして、既得権益者がその権益を簡単に手放すでしょうか…。
 朝刊最下段右の意見はアフリカを支援している日本人の意見でした。「震災で日本も大変だろうが、それでも貧しいアフリカの人たちに救いの手を差し伸べてほしい」という内容でした。
 僕はこれを読み、学生時代に深夜の喫茶店マイアミで友だちと口角泡吹いて議論していた頃を思い出しました。当時は、一晩中営業している喫茶店は少なく、そのひとつがマイアミでした。
 マイアミは夜の10時を過ぎると、価格が倍以上になるのでした。もう正確な価格は忘れてしまいましたが、確か昼間200円のコーヒーが500円になっていたような記憶があります。それでも、開いている喫茶店がないのですから、喜んで利用したものです。
 深夜の新宿のマイアミは独特な雰囲気が漂っていました。夜中なのにサングラスをかけていたスポーツ刈りの男性。超ミニスカートで必ず窓際に座り足を組む若い女性。どうみてもカツラとわかる長髪の肩幅がガッシリした身長が男性ほどもある人…。そんな人たちがたむろしていたマイアミでした。僕は、その雰囲気が好きでよく友だちと泊まり(?)に行きました。
 それはともかく、当時の僕は海外援助をする人たちに対する気持ちを友だちに熱く語っていました。
「どうして、日本の中でも貧しくて困っている人がたくさんいるのに、わざわざ海外に行って支援をする必要があるのか? 支援なら日本でも求めている人たちがたくさんいるはずだ」
 な~んて、、、。実は、この考えは今でも変わっていないんです。
 今週は、新聞を題材にコラムを書きました。やっぱり、新聞を読むといろいろな思いが沸き起こってきて楽しいです。
 ところで…。
 今、世界のあらゆる地域、国で反格差デモが起きていますが、このデモの根底にあるのは今までの経済システムに対する反発心があるからです。勝った者だけが「いい思い」をする経済システムの変換を求めているように見えます。
 今から20年ほど前、親戚の家に行ったときに印象に残る光景がありました。その家には100歳を越えたおばあさんがいました。100歳を越えているのですから、生活をひとりで送ることはできません。今でいう介護をそのお孫さんが世話をしていました。もちろん、100歳を越えた方のお孫さんですから60歳近い年齢のお孫さんです。ですから、介護も大変だったと思います。
 ある日、近くに住む70歳近い親戚のおじさんが訪ねてきました。そのおじさんは普段から二人の様子を見に訪問していたようです。おじさんは部屋に入るなり、おばあさんに向かって「おう、まだ生きていたか」と大きな声で笑いながら話しかけました。おばあさんの世話をしている女性もそのおじさんを頼りにしているようすが会話の中からわかりました。
 僕は、その家に4泊したのですが、そのおじさんは毎日様子を見に来ていました。大して話すことはなくとも、二人の様子をみて安心して帰って行きました。僕がそのおじさんの口癖のような言葉に気がついたのは3日目でした。おじさんはいつも言っていました。
「世の中は順番だから…」
 世の中は順番に進んで行くのが自然の道理です。誰しも永久に生きることはできません。どんなに社会的に成功しようが順番は必ずやってきます。それが自然の道理です。そして、あとひとつ自然の道理があります。それは弱肉強食です。悲しいかな、いつの時代も異なるイデオロギーの社会でも弱肉強食は自然の道理でした。あの社会主義の国家も共産主義の国家も弱肉強食の社会でした。
 毎年3万人の自殺者が出る日本。もちろん弱肉強食の国家です。いつも弱肉の立場にいる僕はそれを実感しています。読者の中に僕と同じ境遇の人がいましたら、お互いに「できるだけ食べられないように頑張りましょう」
 じゃ、また。




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