<現実>

pressココロ上




 花の色は うつりにけりな いたづらに
        わが身世にふる ながめせしまに
                   小野小町
 先週、僕が新聞で気になった記事は国際的にはギリシャ問題で、日本のローカルでは東京の小金井市ゴミ問題です。そして、僕にはギリシャ問題と小金井市ゴミ問題は根っこが同じように思えます。それからあとひとつ、震災によって出現した放射能汚染瓦礫受け入れ問題もです。根っこには、人間の本性のひとつである「我が身かわいさ」という性質が横たわっています。
 ギリシャ問題とは、言わずもがなですが、ギリシャが債務危機に陥り、それに対するEUの支援策受け入れをめぐるドタバタ劇です。正直に言うなら、日本人の僕としては、緊縮財政に反発してデモを行っているギリシャ国民の気持ちを理解しかねます。そもそも債務危機に陥り緊縮財政を強いられる事態になったのは、ギリシャ政府および国民に責任があります。
 くり返しになりますが、「国民にも責任がある」と僕は思っています。それにも関わらず、その国民がデモをする行動に納得できない感があります。僕には、単に責任を政府や政治家に転嫁している責任逃れのようにしか映りません。緊縮財政に反対し、なおかつEUにも留まりたいという国民の主張はあまりに虫の良すぎるものです。独や仏など他のEU加盟国が不快な気持ちになるのも当然です。
 ギリシャについては、まだ予断は許されませんが、今回のような問題が起きますと、僕は今から十数年前の韓国を思い出します。
 40才以上の方は覚えているでしょうが、1997年韓国は経済破綻しIMFの管理下に置かれました。当時、全大中大統領が国民に「この経済危機を乗り越えよう」と訴えた演説が記憶に残っています。国民に貴金属の拠出さえお願いしたようです。それほどの経済苦境から、今の韓流ブームを見るとき隔世の感があります。わずか数十年でこれほど復活したのは立派の一言しかありません。
 この韓国とギリシャを比べるなら、ギリシャ国民の行動は他のEU加盟国から反発を受けても仕方ありません。もちろん、韓国でもIMF管理下に置かれ緊縮財政を強いられたとき反発する労働者や公務員もいました。しかし、そうした行動をとったのは一部の人たちに限られ、大半は経済再建に向けて行動していたからこそなし得た現在の韓国の姿です。目覚しい経済的発展の姿です。韓国が国を挙げて経済に力を入れているのは過去に経済破綻した経験があるからにほかなりません。ギリシャも韓国を見習うべきです。
 それはともかく、ギリシャ国民の姿勢が「国家の経済危機を他人事のように考えている」と見えるのは僕だけではないでしょう。ギリシャの経済危機はほかの国に責任があるのでもなければ、間違ってもほかの国で起きているのでもないことをギリシャ国民は理解しなければなんの解決もできません。
 同じように、小金井市のゴミ問題。
 結局、それまでの「ゴミ処理の委託費は無駄遣い」と批判して今年4月に当選した佐藤和雄市長は辞任することになりました。それを受けた小金井市民の感想インタビューをテレビで見ましたが、やはりどこか「他人事」のように感想を話しているのが気になりました。
 そもそも、自前のゴミ処理場がないことに小金井市民はなんの後ろめたさも感じなかったのでしょうか。言うなれば、今の小金井市の状況は、自分の家から排出されたゴミを自分の家のゴミ箱でなく他人の家のゴミ箱に捨てさせてもらっている状況です。なぜなら、自分の家にゴミ箱がないからです。その状況に小金井市民の方々はなんの問題感も湧かなかったのでしょうか。それが不思議でなりません。
 僕がギリシャ問題と小金井市ゴミ問題が「根っこが同じ」と思うのはその点にあります。重大な問題をまるで他人事のように考えている点です。目の前で起きている現実を真正面から受け止めていない点です。そうでなければ、「ゴミ処理委託費は無駄遣い」と選挙公報に記載した佐藤氏が当選するはずがありません。そもそも、ゴミを「バイオ処理で解決する」という主張に疑問を持つべきでした。もし本当にそれが可能なら、当の昔にゴミ問題は解決していたはずです。そのような判断ができなかったところに、どこか他人事と考えていた雰囲気が感じられます。
 ゴミ処理をする施設がなくて困るのはほかの誰でもなく小金井市民であることを小金井市の方々は強く認識しなければいけません。
 小金井市の問題は市民の公共感欠如も顕にしましたが、同時に新聞記者の資質も表面化させました。辞任した佐藤氏は元朝日新聞の記者だったからです。
 一般的に、新聞記者と言えば、知識や教養があり、またバランス感覚にも富み、人間的にも優れているといったイメージがあります。だからこそ、市長に立候補もできたはずです。しかし、佐藤氏の選挙における行動はそれらを覆すものでした。近隣の市町村が好意でゴミを受け入れている現状で、その好意をないがしろにする選挙広報を作った感覚が問題です。
 最終的には、辞任という形で佐藤氏自身の決着はついたわけですが、それでも「ゴミ委託費は無駄遣い」と判断した感覚があったことは消えません。新聞記者という職業を経験していながら、このような感覚した持ち得なかったことが残念でなりません。新聞記者が過った感覚で記事を書いていては真実を社会に伝えるのは不可能です。僕はここ最近、マスコミや新聞についてコラムで取り上げていましたが、新聞の信頼性に疑問を投げかける元新聞記者、佐藤氏の行動でした。
 僕は、本当は石原知事があまり好きではないのですが、震災で出現した瓦礫受け入れに対する記者会見は好感でした。
 東日本震災によってたくさんの瓦礫が出たわけですが、復興には瓦礫を片付けるのが第一歩です。当初、多くの市町村がその瓦礫を「受け入れる」と表明していました。しかし、放射能の不安が報道されるにつれ、受け入れを拒否する市町村が続出しました。報道では、最終的に「受け入れ」を表明したのは当初の十分の一になったそうです。
 放射能の危険がこれだけ騒がれる中で、住民が瓦礫に対して不安になる気持ちもわかります。その不安が電話などによる反対、抗議の行動を取らせるのでしょう。しかし、石原都知事が言っていたように「誰かが受け入れなければならないのだから…」のも事実です。世の中には、口先だけ優しい言葉を発していながら現実には正反対の行動をとる人がたくさんいます。瓦礫受け入れを拒否する人たちはその範疇に入ります。「拒否ありき」ではなく「どうすれば安全、安心して瓦礫を受け入れられるか」を考えるのが本来あるべき対応です。
 優しい言葉や理想論を発するのは誰でもできます。大切なのは「現実」にどう向き合い、対処するかです。また「できるか」です。
 ところで…。
 実は、先月僕が業務委託で仕事を請け負って会社が倒産しました。倒産の予兆はなんとなくありましたが、現実となりますとやはり心穏やかではありません。僕にはまだ受け取っていない委託費もありましたからなおさらです。
 予兆が感じられた段階で、その会社の社員数人は「自分たちだけで仕事を続けよう」と話し合っていました。その中に、委託を請け負っていた同僚も加わり話は盛り上がっていたようです。
 しかし、僕は話を聞いていて「現実的ではない」感じを持ちました。理由は、「みんながアイディアを言うばかりの集まり」だったからです。現実に行動を起こす人がいないように見えました。従業員ではなく経営者になる、ということはリスクを負うことです。責任を負うことです。その覚悟を持っている人がその集まりの中には誰もいないように感じました。
 独立を考えている皆さん。1000のアイディアよりひとつの行動です。
 じゃ、また。




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