<青が散る>

pressココロ上




 これといったきっかけがあったわけではありませんが、ある日突然、頭の中に「人の駱駝」とう歌が思い浮かんできました。読者の中で「人の駱駝」と聞いて、すぐにメロディを思い出せる人はどれほどいるでしょう。
 まず、年代から言いますと、中高年の方でないとわからないと思います。そのうえ、テレビドラマに興味を持っている人であることも必要です。1980年代に青春を過ごしていた方々であることが条件です。正直、この歌、ヒットチャートの上位に登場することはありませんでした。
大都会という名の砂漠に
人間(ひと)の駱駝(らくだ)が生きている
汗も脂も乾ききって
背中の瘤は夢ばかり
アスファルトに足を痛めた
人間の駱駝が残されて
親や友や兄弟達が
振り向きながら遠ざかる……
 ヒットはしなかったのですが、僕にはとても印象に残っている歌でした。メロディも歌詞も素晴らしいのですが、なにを隠そう作曲:長渕剛、作詞:秋元康の黄金コンビの作品ですので当然かもしれません。長渕さんは今のように肉体的にも精神的にも筋肉隆々になる前ですので、メロディが素直で好感です。秋元さんはまだおニャン子クラブでブレイクする前で作詞家活動を始めたばかりの頃です。この歌詞を読みますと、その後作詞家として大成功する予兆が感じられます。
 この唄を歌っているのは大塚ガリバーという男性ですが、この歌を知ったのは1983年にTBSで放映された「青が散る」というテレビドラマでした。「人の駱駝」があまりヒットしなかったのと関係があると思いますが、この「青が散る」も視聴率が低迷していました。僕的にはとっても面白かったのですが、視聴率は低く最後のほうは視聴率が低いがために予定より早めに打ち切りになったという週刊誌記事もありました。僕の記憶では、この裏番組に「太陽に吠えろ」があったのが原因だったように思います。
 実は、「青が散る」は僕の人生の中でテレビドラマ部門でのベスト1位なのです。それくらい好きだったのですが、それから約30年見ることはありませんでした。しかし、その間なにかにつけて妻とは主人公の遼平の話で盛り上がることはたびたびありました。
 冒頭に書きましたように、ある日ふと「人の駱駝」が頭に思い浮かびました。このようなとき、10年前でしたら単におぼろげな歌詞を口ずさむか、中古のレコード屋さんに足を運んでレコードを探すくらいが関の山です。たぶん、僕の性格上、レコード屋さんに足を運ぶという面倒なことはしないでしょう。ですから、たとえ、思い浮かんだとしてもそれ以上の行動はしません。それで、終わりのはずです。しかし、今の時代はインターネットの時代です。You Tube の時代です。僕は早速、検索してみました。
 すると、どうでしょう。ちゃんと、あるんですね。…「人の駱駝」。しかも、「昭和の隠れた名曲」というコピーがついていました。僕の知らないところでは、この歌は「名曲」として扱われていたのです。とても嬉しかったです。
 僕は感動にむせびながら「大塚ガリバー 人の駱駝」をクリックしました。…流れてきました。あのイントロとそのあとに少ししわがれた訴えかけるようなガリバーの声が…。僕は目を瞑ってただひたすら聴いていました。
 妻に言わせますと、僕の性格は「しつこい」そうです。自分の気に入った歌なら「何十回でも続けて聴く」ことを指していうのですが、僕は久しぶりに聴く「人の駱駝」を聴き続けていました。ああ、幸せ幸せ…。
 何度目の「人の駱駝」を聴いているときでしょう。ふと、画面を見ますと、右端に「青が散る」の文字と映像があるのを発見しました。ご存知の通り、You Tube の画面の右端には次に見られる動画の候補が並んでいますが、そこになんとあの「青が散る」があ~るではありませんか。またまた僕は驚愕し感動しました。
 そこで「青が散る」をクリックしますと、なんと「青が散る」のドラマがそのまま第1回から最終回(第13回)までちゃんとアップされていました。アップ日を見ますと、2009年となっています。2年前ですね。僕はなんと運がいいのでしょう。
 ドラマの概要を書きますと、主人公・椎名遼平が言うところの四流大学に入学した学生がヒロイン佐野夏子に恋をしながら、大学に通う意味を問いながら、生きる意義を考える青春物語です。当時僕は、主人公の遼平にとても共感し、自分を重ねながら見ていました。当時、僕は結婚もし子供も生まれていましたが、どこか中途半端な気持ちで生活を送っている気がして仕方ありませんでした。そんな気持ちが、のちのサラリーマンを辞める行動につながるのですが…。
 僕は、主人公の「自信のなさに向き合う姿勢」に共感したのですが、その共感をもう充分オジサンになっている今でも感じています。僕は、何才になっても自信を持てないまま人生を送っていくように感じています。僕の性格上、死ぬまで自信を持てないで一生を終えるのでしょう。
 僕はドラマが終わったあとも勝手に、主人公・遼平を演じた石黒賢さんと夏子を演じた二谷友里恵さんをドラマの延長線上に乗せて見ていました。あれから30年、実際のお二人の人生の軌跡もドラマの続きとして見てもなんとなく整合性があるような印象を受けています。このように言ってはお二人に失礼なのでしょうが、でも、正直な気持ちではそうなのです。
 いやぁ、それにしても先週は「青が散る」を見ることに熱中し、それだけで時間が過ぎたような気がします。もし、パソコンが普及していなく、インターネットが社会に浸透していなかったなら、僕は一生、「青が散る」を再び見ることはできなかったでしょう。世の中が進歩するって、とってもいいことですねぇ。しかし、そのために「青が散る」こともあり得る競争原理の導入は避けて通れません。
 ところで…。
 先週は、オウム真理教事件の最後の裁判が確定し、各メディアでこの事件を検証していました。それらの多くが「なぜ、このような殺人集団が生まれたか?」と論考していますが、僕が不思議なのは、松本智津夫というどう見てもいかさまの権化のような人物に大の大人が心を絡め取られたことです。教祖時代の松本被告の映像を見ていますと、自信に満ち溢れているのがわかります。世の中には、自信に満ち溢れている人に心を奪われやすい性格の人がいるように思います。
 皆さん、自信満々の人には気をつけましょう。
 じゃ、また。


追伸:これを書いている今は2017年2月ですが、naverまとめに「青が散る」の記事を作成しました。
こちらをクリック!




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