<サラリーマン根性>

pressココロ上




 千葉県警で「誤認逮捕があった」との報道がありました。産経新聞から引用します。
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千葉県流山市で平成9年、会社員の田島由美さん=当時(24)=が殺害されてキャッシュカードを奪われた事件で、千葉県警は18日、強盗殺人容疑で当時17歳の受刑者の男(32)=別の強盗殺人未遂事件などで服役中=を逮捕した。県警によると、男は「間違いありません」と容疑を認めている。
 県警は同年6月、殺人容疑で田島さんの祖母(故人)と姉夫婦の計3人を逮捕したが、千葉地検が嫌疑不十分で不起訴にした。県警の宮内博文捜査1課長は「誤って逮捕された方々や関係者の皆さまに心よりおわび申し上げる」と陳謝。誤認逮捕について「当時3人のうち1人が容疑を認めていた」などと釈明した。
 県警の未解事件捜査班による再捜査で男が浮上し、現場に残されていた体液と男のDNA型が一致した。
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 この誤認逮捕で恐ろしいのは、「1人が容疑を認めていた」ことです。人間は精神的に追いつめられると、事実と違うことをこうも簡単に認めてしまうのかと驚かされます。しかし、余程の図太い神経の持ち主でなければ刑事や警察官から厳しく取り調べられたとき、冷静でいられるのは稀でしょう。ほかの誤認逮捕事件での取調べを受けた方が話していましたが、「事実と違っていても認めたほうが楽」という気持ちにさせられるほど取調べは過酷なもののようです。
 誤認逮捕と聞いてすぐに思い浮かぶのは、最近ではなんと言っても厚生省労働局長だった村木厚子氏の事件です。村木氏の手記などによりますと、強引な取調べの様子がわかりますが、否認を貫いた村木氏の精神力は素晴らしいの一言に尽きます。僕などはすぐに罪を認めてしまうでしょう。
 誤認逮捕が起きるとき、必ずと言っていいほど「自白偏重」に陥っています。今回の場合は、検察がきちんと機能していて不起訴になったからよかったですが、一歩間違えれば冤罪が起きていたかもしれません。
 それにしても、これまでにも誤認逮捕や冤罪が幾つも起きていますが、それでもなくならないのが不思議でなりません。もし、警察や検察に本気で失敗を繰り返さない意志があるなら対処のやりようはいくらでもあるはずです。僕は「取り調べの可視化」は必須と考えていますが、それこそ福島原発事故で調査委員会の委員長を務めた失敗学の権威である畑村洋太郎氏を迎えて、「誤認逮捕・冤罪撲滅委員会」を設置する必要があるように思います。
 誤認逮捕で一番記憶に残っているのは松本サリン事件の河野義行氏です。この事件は警察だけでなくマスコミまでもが河野氏を犯人扱いしました。のちにオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、松本サリン事件の真犯人とわかるまで犯人扱いは変わりませんでした。
 この過ちは多くの人に警察やマスコミの恐ろしさを思い知らさせましたが、それと同時に警察に反省を促したはずです。今回報道された千葉県の事件はその松本サリン事件のわずか2年後です。本当に松本サリン事件の過ちを繰り返さない気持ち、反省する気持ちがあったなら起きていなかったはずです。しかし、実際は同じ過ちが起きていたのですから、松本サリン事件の教訓は全く生かされておらず、警察は反省する気持ちなど微塵も持っていなかったようです。
 組織としての対応も問題ですが、個人の対応にも疑問を感じざるを得ません。もし、この事件の警察関連者の中で、誰かひとりでも松本サリン事件を教訓として意識していたなら、この誤認逮捕は起きなかったと思います。警察関係者は組織の責任だけにするのではなく、個人としても真摯に事件と向き合う心構えが必要です。
 因みに、河野氏を犯人扱いしたマスコミは河野氏の疑いが晴れたあと、多くのマスコミが組織として謝罪をしたそうです。ですが、中には頑なに謝罪を拒否するマスコミもありましたが、そうした企業の中でも個人的に謝罪文を送ってきた人もいたそうです。このような話を聞くと、少しばかり心が晴れます。企業の姿勢として問題があっても、個人レベルでは過ちに真摯に向き合っている人がいる話を聞きますと、心が救われる思いです。
 先週は同じ千葉県の中学校で事件がありました。教師が体罰で生徒にケガをさせていながらそれを隠蔽した事件でした。この事件は体罰でケガをした生徒を病院に連れて行く際、引率した教頭と教師に校長が「口止め」を指示した事件でした。この事件の対応として、校長は処罰を受けましたが、教頭と教師には処罰が下されませんでした。その理由は「指示に従っただけ」だからだそうですが、僕はこの理由に不快感を持ちました。この考え方には、個人の責任というものが全く考慮されていないからです。
 このような対応を見聞きするとき、僕はいつも思います。「指示された」という理由で無罪放免になるのなら、「殺しを指示された」ときも「指示に従うのか?」と質問してしまいたくなります。暴力団の組員でもない限り、このような指示に従うことはないでしょう。
 どんな企業、組織であろうとも業務上の指示や命令を個人として承諾するかどうかは個人の判断に任されているはずです。というよりは、「任されているべき」です。それは個人の権利尊厳が守られていなければならないからです。このことを反対から見るなら、個人は「指示されたから」とか「命令だったから」という理由で責任逃れをしてはいけないことを意味します。
 しかし、残念なことに、そして悲しいことに責任を上司や会社に転嫁する会社員は現にいます。もっとひどい例としては責任を部下に押しつける上司です。これなどは最低です。しかし、こうした例も悲しいかな、現にあります。
 「サラリーマン根性」という言い方には蔑視のニュアンスが含まれていますが、責任を他に押しつけるサラリーマンは究極のサラリーマン根性の持ち主と言えるでしょう。若い読者の皆さん、是非とも「サラリーマン根性」の持ち主にならないように自らを戒めながらビジネスマン人生を過ごすことを願っています。
 実は、僕は今、この究極のサラリーマン根性の持ち主が周りにいまして、とても辟易しています。それで、こんな愚痴のようなコラムを書いてしまいました。どうも、申し訳ありません。
 それにしても、サラリーマン根性は一度植えつけられると、退職し60才になってもなくならないものなのですね。しかも、当人は気がついていない…。
 ところで…。
 先日、晩御飯のときにご飯が食べられなくなるほど大笑いした娘のお話。
*これより先のお話はフィクションであり、実在する人物・団体とは関係ありません。
 娘が前の職場にいたとき、どうみてもカツラと思える中年男性がいたそうです。どこの職場でもそうですが、カツラは噂で語られることはあってもその真偽に関して真剣に追求されることはありません。それがカツラに対するマナーです。
 そのような疑惑の彼が職場の忘年会に出席したそうです。日ごろからストレスが溜まっている人ほどお酒を飲んで憂さを晴らそうとするのが世の常ですが、彼も日ごろの鬱憤を晴らすかのようにしこたま飲んでいたそうです。
 お酒を飲むと性格が変わる人がいますが、その変わり方にも二通りのタイプがあります。明るく変わる人と反対に暗く変わる人です。もちろん忘年会など大勢の人が集まる席などでは明るく変わる人のほうが出席者からは喜ばれます。誰でも、暗く変わるお酒飲みとは同席したくないものです。普段、職場でしか接していない人と初めてお酒の席で同席するときはどちらのタイプかはとても気になります。もし、暗く変わる人でしたら、せっかくのお酒の席もつまらないものになってしまいます。
 さて、周りから疑惑の目で見られていた彼は、その日初めて職場の人とのお酒の席に着きました。疑惑の目で見られている人ですから、やはり周りの人もそれとなく気にしているようでした。「気にしている」のはカツラともいえますが、その存在そのものでもあります。
 時間の経過とともに、そしてお酒の量が進むうちにいつしか周りの人たちも「気にすること」もなくなりました。その理由は、男性が陽気に変わる人だったからです。彼も周りの人たちと打ち解けていました。
 普段、職場で見せない彼の違う面を見た周りの人たちも、彼の持つ明るさに気をよくしたのでしょう。また、彼もお酒の力を借りたとはいえ、普段職場でまとっている殻を脱いで気分がよかったようでした。一次会が終わった頃、誰が言うともなく彼の近くで盛り上がっていた数人でカラオケボックスに行くことになりました。
 …悲劇は…、そこで起きました。
 カラオケボックスでも彼はロレツの回らない歌声で自分に酔い、そしてお酒に酔っていました。もう既に出来上がっている状態でした。しばらくすると、彼はヨタヨタした足取りでトイレに向かったようでした。「ようでした」と書いたのは、それから30分過ぎても帰ってこなかったからです。そのときのメンバーは彼も含めて男性が3人で女性が4人でした。合計するとラッキーセブンにはなります。
 30分を過ぎた頃、女性陣の中で役職が一番上の係長が周りを見渡しながら言いました。
「あれ、あの人は?」
 このとき係長は無意識に右の手のひらを頭のてっぺんに乗せながら話していました。そのとき、その身振りを見ていたみんなもその仕草を別段気にするでもなく、自然と受け入れていました。係長の言葉に男性陣の中で一番若い同僚が「僕、見てきます」とトイレに向かいました。
 さすがに、男性陣の二人がいなくなると盛り上がりも一段落します。カラオケも一時休憩という感じで残りのみんなでくつろいでいました。すると、ガラス越しにヨロヨロ歩く人影が見えました。そして、ドアの前で止まりました。
 みんながドアに注目していると、ゆっくりとドアが開き迎えに行った若い男性が顔をのぞかせました。背中には彼をおぶっていました。
「やっぱりトイレにいました。それも便器の前でうずくまっていたんですよ」
 前かがみになり苦しそうに話しながら、ゆっくりと彼をおろそうとしていました。近くにいた男性と女性が立ち上がり、おろすのを手伝い、なんとか彼を椅子に座らせました。彼はと言えば、身体全体から力が抜けたようなだらしない姿でようやっと座っている状態でした。彼を座らせた若い同僚は息を切らしながら言いました。
「いやぁ、参りましたよ。この人、結構重いんですよ」
 みんなは若い同僚の声を聞きながら彼を見ました。すると、近くにいた一番若い女性同僚が驚きと戸惑いの混じった声で小さく叫びました。
「えっっっ!?」
 それにつられるかのように隣に座っていた女性も声を出しました。
「うそっ、やだっ…」
 隣の男性も同じようにくぐもった声で言いました。
「えっ、マジかよ…」
 ほかの人たちはこれらの声を発している人の視線がひとつのところに集中しているのを見ました。そして、同じようにその視線の先に目を向けますと、みんなが絶句しました。その視線が集中した先は、彼の頭部だったのです。
 中には、なにが起きているかわからず、不思議そうな表情を見せていた女性もいました。しかし、その状況を飲み込むとやはり言葉を失いました。
 彼の前髪がいつもと違っていたのです。いつもより顔の部分が髪の毛で覆われているように見えました。ですが、ことの次第を飲み込むとどう反応してよいのかわからないのです。人間、どう反応してよいかわからないときは無口になるのが普通です。
 そうです。彼はカツラを前後反対にかぶっていたのでした。それに気がついていないのは彼だけです。いえ、「気がついていない」というのは間違いで、「意識が働いていない」のです。彼は小さな寝息をたてていました。
 彼をおんぶしてきた同僚はおんぶするのに必死で気がつかなかったのでしょう。しかし、気がついた以上、なにか対応をしなければいけません。みんなの顔色を伺いながら言いました。
「…どうしましょうか…」
 その声を引き鉄にみんなが声を発しました。
「どうするったって…。決まってるだろ」
「でも、誰が直すの?」
「元に戻せる自信ないわ」
「誰か元の髪の形、というか位置、覚えてる?」
 みんなが三々五々に声を発しました。そして、また沈黙…。
 結局、係長がみんなの意見を聞きながら、なんとか元に戻し、彼をタクシーに乗せ、無事解散となりました。
 みなさん、お酒の飲みすぎに注意しましょう。
 じゃ、また。




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