<たかが…>

pressココロ上




 先週は野球界で注目を集めたニュースがありました。日本ハムのダルビッシュ投手と楽天の田中将大投手に関するニュースです。
 ダルビッシュ投手は大リーグ、レンジャーズへの移籍が決まったからですが、ダルビッシュ投手の移籍会見はとても好感でした。本人曰く、最初の年に「やらかし」ながらも2年目からの活躍は誰もが認めるところです。その活躍の源は、「やらかし」たあとも北海道のファンの方々が見放すことなく暖かく見守ってくれたことだったそうですが、その経験がファンを大切にする気持ちにさせたのでしょう。
 「やらかし」たとき、球団から謹慎処分を受けたダルビッシュ投手がスポーツ新聞に大きく掲載されていました。その一面を飾っていたダルビッシュ投手の憮然とした表情が強く記憶に残っています。きっと18才の若者は、賞賛から批判に転じたときのマスコミの怖さ、理不尽さに内心では怒りを覚えていたことでしょう。
 たぶん、そのときの体験がその後のマスコミに対する接し方の勉強になったのは間違いありません。野球選手は活躍しますと自然と有名人になりますから、マスコミとの接し方を学んだ意義は大きかったと思います。
 その意味で言いますと、楽天の田中投手の婚約発表後のマスコミとの接し方はダルビッシュ投手から学んでいたかのように感じました。たぶん、「意識して」だと思いますが、インタビューに応じていた表情にはほとんど笑顔が見られませんでした。見ようによっては、不機嫌と思えるほど厳しい表情を崩しませんでした。あの若さであの対応は素晴らしいの一言に尽きます。
 あとひとつ田中投手に関して、僕がよい印象を持ったのは、前任の監督である野村氏に婚約について事前に相談していなかったことです。これがサラリーマンの発想ですと、自身の将来のことを考えて公にする前に、相談かもしくは報告をする必要性を感じていたかもしれません。野球選手は個人事業主ですから上役におべっかを使う必要はありません。ですが、ジジ殺しの面で言いますと、相談することを考える選手がいてもおかしくはありません。それをしなかったことが好感です。
 もしかすると、ダルビッシュ投手には相談をしていたかもしれません。「自分の将来のことうんぬん」ではなく、単に尊敬する先輩という気持ちでその行動をとったのであれば、それこそ理想的なふたりの関係です。人間関係は損得ではなく、信頼もしくは尊敬の感覚で築かれるのが理想的です。
 野球関連で言いますと、昨年で引退しました中日の落合元監督の本が売れているそうです。「采配」は的を得た素晴らしい題名です。チームとしての打率や防御率は12球団でも下位でありながら日本シリーズの第7戦まで進出できたのは、まさしく落合監督の采配によるものであることは疑いようがありません。
 この本に対する新聞の書評では、落合監督の考え方や力量を認めながらも、それらをビジネスに関連づけて結んでいることを批判していました。僕もこの考えに賛成で、野球で実績を残したから、または成功したからといってそれがビジネスにあてはまるとは限りません。たかが野球でうまく機能したからといって、同じ方法をビジネスに持ち込むのは無理があります。
 ですが、これと似たような事例はほかにもたくさんあります。やはり一番多いのはメジャーでも大成功しているイチロー選手の本です。イチロー選手の考え方や理論をビジネスに無理やり結びつけて結論づけている本がたくさんあります。ここまできますと、イチロー選手の考え方や理論というよりも「イチロー」というネームを利用しているだけと言ってもよいかもしれません。とにかく「イチロー」と書いてあれば「売れる」とでも思っているように感じてしまいます。しかし、書いてある内容と言えば、これまでにもほかの本に書かれていたことと大差はありません。ですが、同じことをホームレスの人が訓話したところで説得力はなく、支持もされず、誰も振り向きもしないでしょう。「イチロー」が持つバリューがさせる業です。
 先週の新聞に学歴信仰に関する面白い記事がありました。今ら30年ほど前の中学生と担任の会話です。その頃から、世の中は学歴社会に進み始めたようです。ですが、その風潮に異を唱える教師もいたようです。そのような考えの教師が子供たちに「有名進学校に進むばかりが人生じゃないぞ。松下幸之助(立派な経営者)や松本清張(有名な作家)、山下清(著名な画家)なんかもいるじゃないか」と諭しました。すると、それに対して子供が答えます。
「あの人たちには才能があるからいいけど、僕たちはそれがないから学歴を肩書きにしなくちゃいけないんだ」
 学歴とはつまり「イチロー」のようなバリューです。なんと、今から30年も前から子供たちはそのようなことを考えていたことに驚かされます。
 それはともかく、野球で成功したやり方がビジネスに通用するとは限りません。たぶん、ほんの一部分しか通用しないでしょう。そして、これはほかのスポーツにいえることで、サッカーや相撲などで一時代を築いた選手や力士がやはりビジネス関連本を書いています。こうした風潮も「本が売れる」からですが、ビジネス関連本に留まるならまだ許せる部分もあります。しかし、たかがスポーツの成功ノウハウを人生論にまで昇華させてしまうのは行き過ぎです。これと同じことがビジネス界で成功した人にも言えます。
 実は、ビジネス界にはこのような本を出版したがる方が多くいます。努力と苦労なくしてビジネスで成功することはできません。ですから、勢い人生について語りたくなって当然です。自分の努力を顕示したくなるのは人間の性と言ってもよいでしょう。また、成功者が年齢を重ねるにつれ若い人に教えたくなるのも人間の性です。孟子も言っています。
「人の災いは、教えたがることである」
 皆さんの中にも、他人に自分の知っていることや体験話を教えて快感を覚えた経験のある人はいるでしょう。人にものを教えるのは本当に気分のよいものです。
 確かに、仕事と人生には重なる部分があります。しかし、このふたつには決定的に違うことがあります。それは、「正解」です。仕事には正解があります。民間ですと、「利益が出たという結果」が出たときが正解です。民間でなく公務員でも同じです。公務員ですから、利益こそ出す必要がありませんが、住民や国民に奉仕することが使命です。その使命を果たせたときが正解です。
 それに対して人生には「正解」がありません。第三者から利益を出すことを強制されることもありませんし、奉仕を求められることもありません。「正解」を自分で作れるのが人生です。人それぞれ価値観が違っていて当然です。ですから、正解はありません。
 このような人生を、他人に教えることなど不可能ですし、意味がありません。それをそれぞれの分野で一時代を築いたからと言って、その分野のノウハウを人生に当てはめるのはナンセンスです。たかが野球であり、たかがサッカーであり、たかが経営です。もし、なにかの分野での成功した人が人生論を語るならそこには謙虚な気持ちが伴っていなければいけません。
 たかが…。
 人が生きている限り、忘れてはいけない大切な言葉です。
 ところで…。
 ダルビッシュ投手は会見で、「僕の仕事は、バッターを倒すこと」と話していました。日本にいてはそのモチベーションを維持できなくなるほど、力量に差がついたことがメジャー移籍の理由とも述べてもいました。
 この発言は取りようによっては傲慢とも取れますが、僕には正直な気持ちを吐露したように感じました。ダルビッシュ投手のここ数年の結果を振り返ってみますと、決してその言葉が傲慢ではないことがわかります。それほどダルビッシュ投手と打者の間には力量差がありました。
 ダルビッシュ投手がメジャーに移籍するのは仕事をしたいからです。そうです。投手が自分の役割を果たすことは仕事です。その意味でいいますと、野球の成功ノウハウをビジネスに当てはめたくなるのも全くナンセンスと言えないかもしれません。しかし、あくまで「たかが」であることを忘れてはいけないことも事実です。
 このように書いてしまいますと、野球というスポーツがほかのことになんの影響も与えないかのような印象を与えてしまいますが、決してそうではありません。日ハムファンに限らず、ダルビッシュ投手の投げる姿を見て感動、感激した人はたくさんいるはずです。僕もそのひとりですが、ダルビッシュ投手の投げる勇姿は、間違いなく観ている人たちに勇気や希望を与えたでしょう。スタンドで涙しているファンが多数いたことがそれを証明しています。この影響力こそが、野球に「されど」をつける意義です。
 じゃ、また。




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