<伝わらない>

pressココロ上




 僕がラーメン屋さんをやっていた頃、二十歳の青年を採用したことがあります。彼は僕のお店に来る前は、中規模の中華料理店で働いていましたので料理の腕前はかなりのものがありました。「かなり」とは評価しましたが、実は、僕自身に評価できるだけの技量はありませんでした。なぜなら、僕の店はラーメン専門店だったので、中華料理を作ったことがないからです。
 僕の体験記をお読みになった方はご存知でしょうが、僕は、ラーメン店を開業するまで料理を作るどころか卵焼きしか作れない調理オンチの29才でした。おわかりですね。目玉焼きは作れなかったのです。黄身の焼き具合が今いち難しくて…。そんな僕でしたのでラーメンしか作れませんでした。こんな僕が料理の腕前を評価できるわけはありません。
 彼には採用時に、正直に話しました。
「僕のお店では、中華料理の腕前は上達しないし、今の技量を活かすこともできないよ」。
 それでも彼は入店してくれました。たぶん今は少ないと思いますが、20年ほど前はラーメン専門店と中華料理店を同じように考えている人は結構いたように思います。飲食業界人でない一般の人がそのように勘違いすることは仕方ありませんが、同じ飲食業に勤めている人にもいたことが不思議でした。
 人手が足りないときに求人広告を出しましたが、たまに中華料理関係の若い人が応募をしてきました。そうした人たちと話をしていて勘違いしている人が多いことを知ったわけです。中には、当時の僕と対して年齢の違わない人も応募してきました。きっと、僕を見て落胆していたことでしょう。
 そんな状態の僕でしたので、職務に関して彼にお願いしたのは、飲食店を経営という視点で見ることでした。しかし、まだ二十歳の若者です。経営よりは料理を作ることのほうに興味があるようでした。そんなある日、僕は彼に帝国ホテルの元総料理長・村上信夫氏の本を勧めました。
 村上氏は料理長でありながら、その本には経営の視点についても書いてあったからです。単に経営の視点だけの本であったなら、たぶん彼は拒否反応を起こしたでしょう。そもそも、彼は読書が苦手なようでした。そうであっただけに、調理の世界で頂点にいた村上氏の本ならば興味を示すと想像しました。
 彼に本を手渡すと、彼は一瞬「顰め面」をしましたが、僕が村上氏のプロフィールについて紹介しますと、表情を変えました。やはり、若い料理人には総料理長という肩書きは効果があります。なんと言っても「元帝国ホテル」ですから…。
 先にも書きましたが、僕がその本を読んだ感想は、経営の視点からも調理について書いてあることが新鮮でした。一般的には、料理人が書いた本は「作り方」についてのこだわりについて書いてあるのが普通です。素人とプロの調理のコツの違いを強調して素人心をくすぐって部数を伸ばす作戦です。ですが、村上氏は「作り方」と同じくらいに「経営」についても書いていました。というよりは、その本の肝は経営の視点を持って調理をすることの重要性でした。
 僕は、一流の調理人にもなると、単に料理の腕を自慢するだけでなく、腕を披露する土台である経営についても意識していることに感激しました。僕の持論ですが、経営が成り立っていないと、いくら調理の腕がよかろうが誰にも食べてもらうことができません。その点が素人とプロの決定的に違うところです。ただ自分の好きなように作ればよい素人の料理とは違います。もちろん、どんなことでも制約が厳しいほどレベルが高くなるのは普遍です。
 数日後、彼が本を返してきました。僕は質問しました。
「どこが一番印象に残った?」
 彼の答えは僕を落胆させるものでした。彼は、調理に関する内容をしきりに「勉強になった」と話していました。僕はそのときに痛感しました。本を読む際に、その本が最も訴えたいことを読み解く能力の重要性を感じました。この能力が高くないなら、いくら「いい本」に接しようが、その本が真に伝えたいことを理解していないことになってしまいます。このことを反対から見るなら、出版社や著者がいくら「いい本」を出そうが、その本の肝要が読者に伝わらないことです。これでは、書いた人も読んだ人もただ時間を浪費しただけとなってしまいます。
 先週、フジテレビの早朝番組に下村健一氏が出演していました。下村氏は元TBSの社員でニュース23にも出演していた方です。僕は番組内での「「それから七十五日」というコーナーが好きでした。最近、テレビで見かけることがありませんでしたが、その理由は菅首相の側近として働いていたからでした。
 番組はテレビ報道を検証する内容ですが、下村氏は菅首相に側近として仕えた経験から「事実と違うことが社会に伝わること」を危惧していました。
 下村氏は事実と違うことが社会に伝わることを危惧していました。下村氏は元「伝える側」でしたから、その問題点が「伝わる過程」にあると感じていました。そして、そういう問題点を社会に発信するのが自分の使命と考えているようでした。
 具体的に書きますと、先日「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書 3.11」という本が出版されましたが、その本の文章を例にとって説明していました。
 本の中には、震災時の混乱期に政府内にいた下村氏が「ぞっとした」という表現を使ったそのときの感想が書いてあります。もう少し詳しく説明しますと、震災時「菅首相が原発停止の是非について判断したこと」が批判されていますが、それは菅首相がいくら東工大卒であろうとも原発の専門家ではないにも関わらず「停止の是非」を決定したことへの批判でした。高度なことは専門家の判断に任せたほうがいいと思うのは当然です。
 そうした文脈の中で、当時の様子を菅首相の間近にいた下村氏の「ぞっとした」という表現が書いてありました。
 その点について、下村氏は説明していました。調査に協力する中で「自分の正直な気持ちを伝えた」のは事実だそうですが、ニュアンスが微妙に違っているそうです。ニュアンスが微妙に違うだけでも、事実が正反対に伝わることもあります。
「確かに、ぞっとしたのは本当ですが、本を読んでいると、菅首相に対してぞっとしたような印象を受けます。ですが、それは真実ではありません。私がぞっとしたのは、首相自らが原発停止の是非という高レベルなことまで判断しなければいけないシステムに対してです」と話していました。
 下村氏の話を聞いていて、事実を伝えることの難しさを感じました。調査した側も調査に協力した側もどちらも事実を伝えたに過ぎません。意図して虚言をしたわけではありません。しかし、結果として読み手には実際とは異なった事実が伝わったことになります。
 マスコミの情報に接するとき、私たちは「自らの読み解く能力」と「発信側の背景」の両方を意識することが必要です。
 ところで…。
 真実を伝えるのは難しいですが、それはそのときの雰囲気や状況、環境に左右されることがあるからです。例えば、今日僕が妻に「愛してる、愛してる、心から愛してる」と連呼しても、言えば言うほど口先男と言われるのがオチで信用してもらえません。
 エイプリルフールでした~。
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする