<隙と媚び>

pressココロ上




 僕が今気に入っているCMは某大手ビール会社のCMです。このCMには幾つかパターンがあるらしいのですが、僕が一番気に入っているのは
「ちっちゃな教会の中で、新郎が新婦に笑顔で『しあわせにしてね』と語りかける」
 パターンです。この一般とは逆転した台詞に思わず笑みがこみ上げてきます。しかし、これはあくまでCMの中だけでのことで、現実の世界では通用しません。仮に、僕が妻にこのような台詞を語りかけようものなら、
「しあわせにするのは、おまえのほうだろ!」
 とどやされるのがオチです。
 それにしても、このブランドのCMは「壇れいさんが七変化で魅力を全開させている」シリーズといい、視聴者の心を惹きつけるものがあります。壇れいさんがCMで醸しだしているオンナ像は、ネット上では批判もあるようですが、僕はファンタジーを感じているひとりです。ああいう茶目っ気たっぷりのオンナの人と少しだけ接していたいものです。
 ただし、壇れいさん演じるところのオンナ像は「媚び」を感じさせないギリギリのラインです。あれ以上、茶目っ気さを前面に出しては、「媚び」が前面に出てしまい、僕でも気持ちが引いてしまいます。女にしろ男にしろ「媚び」ている姿を見せられて、気分がよくなることはありません。
 「媚び」はあまりいい意味で使われることはありません。その証拠に「媚びを売る」という表現があります。どんなものでもそうですが、親しい人には「売る」のではなく「譲る」のが先祖代々受け継がれてきた日本人が持つ美しい感性です。「売る」ことは儲けを得ることにつながりますから、親しい人には相応しくない対応です。親しい人から「儲けを得よう」などという発想は、「もったいない」という言葉を世界に発信した日本人には似つかわしくない感性のように思います。
 そんな「媚び」ですので、使う相手は当然「自分より力のある者」に限られます。「媚び」の目的は自分の利得といって間違いありません。「自分より力のある者」を具体的に言いますと、上司や取引先のお偉いさん、こういう人たちをひっくるめて社会的地位の高い人といっても差し支えないでしょう。こうした権力を持っている人に対してでないと「媚び」を売ってもなんの意味がありません。ホームレスの人に「媚び」を売るなんてことはまっこと存外です。
 このように「媚び」は見返りが期待できることが大前提ですが、その見返りとは、金銭的なものから待遇処遇であったり、もっと単純に自分の将来そのものであることもあります。社会的地位の高い人に取り入っていますと、見返りがもらえる可能性がぐっと高まること請け合いです。
 僕は学生時代に大手百貨店でアルバイトをしていましたが、そこにたまたま、それこそ社会的地位の格段に高い男性が来訪しました。一般に社会的地位が高い人は年配者が多いのが常ですが、この男性もその例に漏れませんでした。きれいな秘書を引き連れ、屈強な男たちを従えて男性はやってきました。
 来訪を受ける百貨店側も緊張感が張りつめていました。この男性は都合4日間来訪することになっていましたが、その間の百貨店社員の緊張感は学生の僕にも伝わるほどのもので、その男性の社会的地位の高さがわかりました。
 そして、3日目のことです。
 僕にはその百貨店で憧れていた年上の女性がいました。理由は簡単で、「綺麗」だったからです。僕より5才ほど年上の肩くらいまで髪を伸ばしたスタイル抜群の女性でした。洋の東西を問わず、世の男どもは「綺麗」なオンナに憧れます。「好き」になるといえばいいのでしょうが、「好き」になるには勇気が伴わなければいけません。如何せん、その最も重要な勇気がありませんので「憧れ」で留まっています。
 また、世の男どもは「綺麗」なオンナの人に気後れします。もちろん僕も例外ではありませんが、一歩前に出ることができません。僕の場合は気恥ずかしいからですが、ほかの男どもも似たような感覚だろうと思われます。
「どうせ、告白したって、振られるに決まってる」
 と男としての自信のなさが「気後れ」をさせます。もし、男のみんなが妻夫木聡さんや福山雅治さんのような風貌を持っていたなら、「気後れ」などしません。世の中は不公平にできています。
 このように「気後れ」する僕が「憧れ」をするに値する女性がアルバイト先にいたのでした。僕の感激・感動がわかるでしょう。僕はその女性と挨拶をしたりお話をできるだけで嬉しさと喜びを感じていました。
 その女性は社会的地位の高い男性をお世話をする立場にいました。もちろん、彼女の美貌がその立場に立たせたのは想像がつきましたが、彼女もまんざらでもなさそうでした。
 そして迎えた3日目。
 男性が秘書と引き連れの男性たちと一緒に来訪すると、彼女はいつものように、男性が座る席まで案内しお茶などを出しました。いつもですと、彼女はそのまま下がるのですが、その日は違っていました。
 彼女はスカートのポケットに手を入れると小さな薄い小箱を取り出しました。その小箱には綺麗なリボンが施されていました。あとから聞いた話では中身はハンカチだったそうです。しかし、そんなことはどうでもよく、僕はその渡すときの彼女の表情が心に引っかかりました。
 その渡すときの表情が普段僕たちと話すときに見せる「綺麗」な顔とは違っていました。「媚び」たオンナの表情になっていたのでした。説明が微妙になりますが、女性の笑顔には邪心がないさわやかな笑顔とオンナとしての甘えを含んだ笑顔があります。後者は、僕にとってはまさしく「媚び」が感じられる顔です。
 僕は、彼女のそういう一面を見てそれまでの気持ちが引いていきました。せっかくの持って生まれた美貌の輝きが失せたように感じました。僕の青春の思い出です。
 僕は以前、「若い頃にバーのママさんをやっていた」という女性と一緒に働いたことがあります。若い頃といっても40代です。20才前後の若い人からしてみますと「若い」とはいえない年齢ですが、構成している人の平均年齢が60才を越えている集団では、40代は充分「若い」となります。この女性も当時既に年齢的には高齢者に属していましたが、気持ちは若々しく年齢を感じさせない明るさがありました。
 この女性との会話はとても楽しいものでした。ママさん時代の写真を見せてもらいましたが、そこにはまだ若く綺麗だった頃の彼女と一流野球選手や女性歌手、そして大ヒット曲を歌った男性アーティストなどが一緒に映っていました。
 僕はその彼女と毎朝少しの間会話をするのが日課になっていました。彼女との会話はとても楽しく、特に男女の間に流れる空気についての話は勉強になることがたくさんありました。なんと言ったらいいんでしょう。男女関係の機微とでも申しましょうか、微妙な関係性について核心をついた言葉が詰まっていました。その中で、一番忘れられない言葉がこれです。
「大人の女性は、わざと隙を見せなきゃ…」。
 言葉は悪いですが、水商売をする上で大切な要諦なのでしょう。きっと、素人の女の人がこのような言葉を発するなら「嫌味」に感じると思います。ですが、彼女の口から発せられますと、男と女しかいないこの世の中で、女性が生きるうえでの大切な隠し味のように聞こえました。
 「隙」と「媚び」は似ているようで似ていません。「隙」には男女関係をスムーズにする潤滑油の趣がありますが、これは相手に対する気配りに通じるものです。これに対して、「媚び」には「自分だけが得したい」という欲望しか見えません。これには相手という概念が全く感じられず、自分のことだけを考えているように見えます。僕が好きな池田晶子氏ふうに言うなら「希望」と「欲望」の違いです。「希望」と「欲望」、どちらが社会にとって必要なものかわざわざ言うまでもないでしょう。
 最後に、なぜ今週、こんなことをコラムに書いたか、といいますと、先週の夜に見たテレビ番組でまさに「媚び」を感じさせる女性MCがいたからなんですね。そのときは著名な作家が出演していたのですが、その接し方が僕には「媚び」に映りました。それを見ているうちに学生時代の年上美人を思い出し、はたまた男女間の機微に精通していた元ママさんのことを思い出した次第です。
 世の男性の皆さん、女性の本性を見抜きましょう…。
 ところで…。
 男性3人を殺害した容疑で起訴された木嶋佳苗被告はどう見ても「綺麗」とはかけ離れた容貌です。僕の感想に異を唱える人は少ないと思いますが、それだけにどうして50才を越えようかという大人の男性が被害に遭ったのか不思議でなりません。
 テレビニュースを見ながらそんなことを妻に話しますと、「美人は3日で飽きて、ブスは3日で慣れるって言うでしょ」という答えが返ってきました。…なるほど。
 僕の考えでは、たぶん、3日で慣れたあとに「媚び」作戦にはまったのではないでしょうか。そうでなければ、大人の男性がやすやすとこの容貌レベルの木嶋被告に大金を援助するはずがありません。僕は独り言のようにつぶやきました。
「それにしても、騙された男の人たちって純情な人だったんだろな。かわいそう…」
 それを聞いた妻は僕のほうに振り向くと、僕の顔をのぞきこむようにして言いました。
「わたし…、騙された人の気持ちわかるよ…」
 …そういやぁ、騙して30年が過ぎました。
 じゃ、また。




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