<推定霧罪>

pressココロ上




 先週の一番のニュースといえば、やはり小沢氏無罪の判決でしょう。率直に言いますと、ちょっと複雑です。複雑とは、期待していた判決でなかったからであり、判決の理由からしますと、妥当と思うからです。複雑です。
 このように書きますと、まるで僕が小沢氏を嫌っているように思われるかもしれませんが、実はそうです。この話は以前書いたことがありますが、自民党時代に時の最高権力者だった金丸氏の庇護の下、若手政治家として活躍していたころの出来事に所以があります。
 中曽根首相のあとの首相を決めるときのいきさつですが、最大派閥を率いた権勢を後ろ盾にして、首相に立候補していた宮沢氏など先輩政治家を「呼びつけ」て面接をしました。僕は小沢氏のその振る舞いに悪感情を持ちました。
 それはともかく、土地を購入するためにいともたやすく4億円という大金を出せる政治家が潔白であるはずがありません。本当に政治に対して真っ当に取り組むなら、個人的資産が増えるはずがありません。昔は「政治家になると田畑がなくなる」とまでいわれていました。それだけ政治家になると持ち出しが多くなることを示しています。間違っても、小沢さんのように簡単に4億円など貯まるはずがありません。そのことだけでも、小沢さんの灰色ぶりがわかろうというものです。ですから、僕にとって無罪判決は期待はずれだったわけです。
 判決前に、検事役の弁護士さんが的を射たことを会見で話していました。
 今回の裁判は、小沢さん自身が政治資金収支報告書にウソの記載をしたかどうかが争点ですが、現実的に考えてその証拠を押さえることは不可能です。その点について、検事役の弁護士さんが説得力のある例え話をしていました。
 朝起きたら雪が積もっていた。だとしたら、今は雪が降っていなくとも夜に降ったのは容易に想像がつく。つまり、状況証拠だけでも充分に立証できると主張したわけです。僕はこの会見を読んで判決に期待した次第です。ですが、結果は「期待はずれ」でした。
 対して、判決を妥当と思った理由は、刑事裁判の根幹である推定無罪が実践されたからです。以前、新聞で読んだ記事が記憶に刻み込まれています。
 人ひとりの自由を奪うことができる警察・検察の権力は強大である。だからこそ、「疑わしきは被告の利益に」が刑事裁判の根本的理念として実行されなければならない。うろ覚えですが、このような内容の記事でした。
 しかし、現実はといいますと、「推定無罪」は飾り言葉に過ぎず、直接の証拠がなく状況証拠だけで有罪が下されることが過去においてたびたびありました。このときに起訴の根拠になるのは自白調書です。しかし、その自白調書さえその信憑性に疑問があることがここ数年の間に明らかになりました。元厚生労働省局長の村木氏の郵便不正事件などまだ記憶に新しい事件です。
 この事件では、検察のさらなる汚点が明らかになりました。検察官による証拠捏造です。自白調書が検察官の誘導や脅迫により作成されたうえに、それに沿うように証拠が捏造されていたのでは、公正な裁判を望むのは無理というものです。
 現在、冤罪の可能性が高まっている袴田事件がマスコミの注目を集めていますが、戦後の混乱期は「疑わしきは被告の利益に」がほとんど実践されていなかったようです。これまでの冤罪事件を振り返りますと、自白調書のほとんどが検察官の作文になっていました。また、証拠捏造も行われていた節もうかがえます。
 以前読んだ本に有罪率について書いてありました。有罪率とは検察に起訴されて有罪になる確率のことだそうです。日本ではその数字がなんと99%ということですが、これは起訴されればほぼ100%が有罪になることを意味します。この数字だけを見て、検察と裁判官の癒着を指摘する意見もありますが、見方を変えるなら、検察が「絶対に勝てる事件」だけを起訴していることの表れともとれます。「絶対に勝てる」は裏を返せば、「絶対に犯人だ」です。結局、そうした一連の流れが、裁判官の先入観になり、「起訴されたのは真犯人だから」につながります。いつしか検察が裁判官の代わりを務めていることにまで発展しているようにも見えます。プレーヤーがレフェリーも兼ねている試合が公平であるはずがありません。
 その時点で「疑わしきは被告の利益に」はないがしろにされています。99%の有罪率と裁判官の先入観は無関係ではないと思います。
 これまでのこうした裁判のあり方を見直そうとするのが最近の風潮でした。それを考慮するなら、今回の小沢氏の無罪判決もむべなるかなです。元々直接の証拠はなく自白調書は検事の作文であることが明らかになったのですから当然といえなくもありません。逆に、もし現在の裁判を取り巻く状況で有罪になっていたなら、それこそ刑事裁判の根幹が揺らぐことになってしまいます。「疑わしいだけで有罪になる」ことはやはりあってはならないことです。
 無罪判決が出たあと、各新聞社やマスコミの論調は小沢氏に厳しいものが圧倒的でした。小沢さんを嫌っていたのは僕だけではなかったことがわかり安心しました。マスコミが揃って指摘したのは、政治家としての説明責任の欠如です。秘書に任せていて「全く内容をしならなかった」を信用する国民はよほどの小沢シンパでなければいません。真っ黒のグレーです。
 今回の地裁判決を受けて検察役の弁護士が控訴するかどうかは決まっていませんが、今回に限るなら小沢さんは塀の上から内側にまだ落ちていません。その強運としぶとさはやはり尊敬されてしかるべきです。あの総理まで務めた田中角栄氏でさえ塀の内側に落ちていることを思うなら、本当に稀なことです。
 もし、現在起きている裁判に対する見直し風潮がなかったなら、小沢さんは有罪になっていた可能性が高いと思います。もしかすると、時代の風も小沢さんの味方なのでしょうか。でも、たぶん、きっと、そのことを一番感じているのは小沢さん自身でしょう。なにしろ田中元総理の裁判を最後の最後まで傍聴し見届けていたたったひとりの弟子でしたから…。
 たびたび書いていますが、小沢さんの年代でまだ現役として第一線で活躍している政治家はいません。本当に小沢さんただひとりです。小沢さんの人柄はともかく、そのことは褒められていいのかもしれません。中日の山本昌投手がベテランでありながら現役で頑張っていることが同年代から賞賛されていることと同じ意味でです。しかし、老害という言葉もあります。いつまでも現役にしがみついていることは本人は満足でも、周りの人たちが迷惑を受けていることも多々あります。
 老兵はただ去るのみ…。と言ったのはマッカーサーさんでしたっけ。
 ところで…。
 その風貌から“ラーメン界のイチロー”と呼ばれていた森住康二氏が展開する「ちゃぶ屋」が倒産したニュースが報じられていました。僕は自サイトを運営している関係で飲食業の動向にはいつも注視していますが、同じ光景をなんど見てきたでしょう。本当に驚くほど同じことのくり返しがラーメン業界では行われています。試しに、「ラーメン 倒産」で検索をしてみてください。皆さんがマスコミを通じてご存知の有名ラーメン店の倒産記事をたくさん見ることができます。
 先週の日経ビジネスは視点が面白かったです。経営者の発信能力についてランキングを発表していますが、これはとりもなおさず、マスコミに登場する量のことでしかないように僕には思えました。
 マーケッティングの観点から言いますと、マスコミに登場する、取り上げられることはとても重要です。マスコミに取り上げられることは広告宣伝の数倍以上の効果があります。簡単に言ってしまうなら、経営者の発信能力とは広告宣伝の能力といえるかもしれません。そして、今の時代にとても重要なのはブログやツイッターなどといったITツールを使いこなすことです。その重要性に気づき、そして使い誤らないことがとても大切なようです。
 さらに、もっと大切なことはそのリスクを熟知していることです。一歩間違えるなら炎上してしまう危険性を常に自覚し発信する能力が求められます。これを言いかえるなら、空気を読む感性です。この感性が鋭敏でなければITは使えこなせません。
 日経ビジネスではランキング趣旨と正反対の経営者像についても取り上げていました。全く、マスコミに登場しない経営者の方々です。しかも、そういう方々でも経営者としては立派な成績を残していることが書かれていました。僕個人としては、このような方々のほうが地に足が着いているように感じて好きです。
 記事では、マスコミに登場することのマイナス面について指摘する社長について紹介していました。そのひとりがオリコン株式会社の社長ですが、この社長は創業者である父親時代の子供時代について話していました。創業者である父親は当時テレビなどマスコミに頻繁に出ていましたので覚えている方もいらっしゃるでしょう。派手な服装で長髪の風貌は若者たちから支持されていたように記憶しています。
 社長は子供時代、家族の一員としてマスコミに頻繁に出る父親に違和感を持っていたようです。それは父親が社長として無理をしていたからであり、演出をしていたからのようです。結局はそうしたことが社員にも負担を強いることになり、そうしたことを体験したことが現社長がマスコミに出ない理由になっているようでした。マスコミに登場することは本人は注目されることですが、家族や社員は負担を抱え込むことになるようです。そうした弊害を現社長は話していました。
 経営者の発信能力は本人ひとりの問題ではすます、必ず周りを巻き込むことを覚悟する必要があるようです。
 昨年の日本シリーズ。ソフトバンクが優勝したとき、秋山監督と一緒にマウンドまで走った孫社長の動き振る舞いがテレビを意識した行動であることを感じた人は僕だけではないでしょう。
 じゃ、また。




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