<そこそこ>

pressココロ上




 先週の週刊ダイヤモンドは「起業」を特集していましたので、僕のサイトを訪問してくださる方々が読むに相応しい内容だったと思います。僕が紹介している「起業バカ」の著者も登場していました。また、起業といえば常連のコンサルタントの方々もいました。ですが、僕の正直な感想としては「イマイチ」でした。週刊誌ですから仕方ありませんが、やはり薄っぺらな印象は免れません。僕のサイトのほうが中身が濃くて役に立つと思うのは、手前味噌すぎるでしょうか。(笑)
 特集の中で、僕が「印象に残った」というよりも「コラムのネタ」に使えると思ったのは「そこそこ儲ける起業」について紹介していた記事でした。
 若い人が「一攫千金」とまではいかなくとも、「ある程度の成功」を夢見て起業するのはよくあるお話です。基本的には起業や独立といった場合はこのケースが想定されているのが一般的です。しかし、記事では年齢を過ぎた方が、成功ではなく「そこそこ儲ける起業」、略して「そこそこ起業」を目指す考え方もあることを例とともに紹介していました。
 仕事の理想は「趣味と実益を兼ねること」なのは誰も異論はないでしょう。プロ野球選手が「好きなことをやってお金が貰えることに感謝している」と話していましたが、「やりたいことを仕事にできる」ことほど幸せなことはありません。ほとんどの人は生活のために仕方なく仕事を選んでいます。
 しかし、以前、格言コーナーで紹介しましたが、
 ― ― 人は自由になればなるほど、能力に縛られる ― ―
 のが現実の世です。
 誰でもがイチロー選手になれるわけではありませんし、ヨーロッパで活躍する香川選手にもなれません。もちろん、松下幸之助翁も同様です。
 このように大成功する人たちは恵まれた才能があってこその偉業です。しかし、そこまでの才能でなくとも少しだけ抜きん出た才能とあとは努力と根性で、少しばかりの成功を夢見るのも人の情というものです。プロ野球選手になれずとも、社会人野球で活躍して社会人チームの監督になる道もあるかもしれませんし、サッカーの世界でも然りです。もちろん、会社員でも同様です。もしかしたらそこそこの出世も望めるかもしれません。
 それと似たような感覚が「そこそこ起業」にあります。大成功とまではいかなくとも「企業に属さず、自立している」ことに起業の価値を見いだす考え方です。このような起業の姿があっても間違いではありません。というよりは、ほとんどの人は普通の能力かもしくは少しだけ抜きん出た能力しか持ち合わせていないのが現実ですから、「そこそこ起業」を考えるのも無理なからぬところかもしれません。
 しかし、この考え方には落とし穴があります。先月、僕は新しいテキストをアップしました。「移動販売をする前に」という題名ですが、これはまさしく「そこそこ起業」のイメージと重なる部分があります。
 テキストでも書いていますが、移動販売で莫大な儲けを得ることは不可能です。うまくいったとしても「そこそこの儲け」しか得られません。詳しくはテキストを読んでいただくとして、投資金が少なくて済む移動販売では「儲け」も限られたものとなります。しかし、始めるのは簡単そうに思えます。
 「そこそこ儲ける」という発想は「大きく儲ける」に比べて簡単そうに思えます。この発想の肝は「簡単そう」ですが、実は「簡単」ではありません。そもそも「そこそこ」ほど難しいことはありません。起業や独立は、儲けを思うがままにコントロールできるほど生易しいものではありません。
 先週、パナソニックが約8,000億円の赤字と報じられましたが、電気関連企業はどこも同様のようで、亀山工場で一世を風靡じたあのシャープも約3,000億円の赤字に陥っています。パナソニックについては以前このコラムでも紹介しましたが、約10年前当時の中村邦夫社長が「大改革」を断行してV字回復を成し遂げました。しかし、あれから10年しか過ぎていないにも関わらず、また大赤字に陥っているのですから、いかに経営という仕事が難しいかわかります。
 シャープについては、僕の体験記の中で、4代目社長町田勝彦氏が祖父から聞いた話として次の言葉を紹介しています。
「商売は10年やったら3年は損する。5年はトントンで、儲かるのは2年。事業なんてそんなもんや」
 今のシャープを見ていますと、この箴言を地でいっているように見えますが、大企業といわれるパナソニックやシャープでさえ、ちょっと油断をするなら、もしかすると油断をしていなくとも、「そこそこ儲ける」どころか大赤字に転落するのが現実の世の中です。そんな中、「そこそこ」を目指していて利益を出せるはずがありません。
 「そこそこ起業」の落とし穴はここにあります。日本のサッカー界に多大な影響を与えたイビチャ・オシム元全日本監督が「 ライオンはウサギを狩る時だって全力を尽くす」と語っていましたが、起業を目指す人が「そこそこ」を目標にしていては決して利益を出すことは不可能でしょう。
 固定給がもらえる会社員であるなら「そこそこ」働いていても収入が途絶えることはありません。しかし、起業といわず独立することは固定給がなくなることを意味します。赤字になったなら収入が途絶えることです。収入が途絶えては生活するのも困難になってしまいます。それではせっかく始めた起業や独立を継続することはできません。
 結果的に、「そこそこ儲ける」となることはあります。しかし、最初から「そこそこ儲ける」を目標にするのは間違いです。あくまで目標は「成功」です。それを目指していてちょうど「そこそこ儲ける」結果になるのが自然です。
 皆さん、くれぐれも最初から「そこそこ儲けるを目標」などといった安易な気持ちで起業・独立を目指すのはやめましょう。
 「そこそこ」は漢字にすると「底底」です。
 ところで…。
 かつて僕が仕事を請け負っていた会社が倒産しました。それを知ったのは、数ヶ月前に、弁護士さんから手紙が届いたからです。手紙には、会社が倒産手続きに入ったことが記載されており、「今後は、社長ではなく弁護士に連絡をするように」と書いてありました。僕はこの会社に幾ばくかの債権がありました。この会社というか社長に僕は憤りを感じていました。理由は、支払いを意図的に引き延ばした節が伺えたからです。
 その後、弁護士さんからも全く連絡はなかったのですが、先月の終わり頃に思わぬ場面に遭遇しました。
 僕が自転車に乗り家に向かって走っていますと、見覚えのある軽トラックが目に留まりました。あの会社の軽トラックでした。路地裏の交差点を通過際に、通行方向と交差している道の先から目に飛び込んできました。
 僕は止まり、引き返しました。交差点まで戻り、気づかれないように少しだけ顔を出しました。よく見ると、確かにあの会社の軽トラックとその近くに元社長が立っており、高齢の女性と話し込んでいました。
 人間って、こういうとき不思議です。僕はなぜか声をかけることに躊躇しました。別に、僕が悪いことをしているわけではありません。借金を踏み倒しているのは元社長のほうで、僕はお金を払ってもらう側です。それでも、なんか心にひっかかるものがありました。
 迷った末、僕は、交差点の陰で立ち話が終わるのを待つことにしました。
 しばらくすると、二人の話が終わるのがわかりました。僕はすぐに軽トラックの近くまで自転車を走らせました。元社長は、最初僕の姿を見ても気づかないようで、僕のほうを眺めるだけでした。しかし、近づくにつれ僕という人間を認識したようで、表情が引き締まるのがわかりました。もちろん、債権者である僕が笑顔でいるはずがありません。
 僕は、金銭については、弁護士さんの手紙もありましたので、糾弾するつもりはありませんでした。しかし、社長としての社会的責任や道義的責任といった観点では謝罪を求めるつもりでいました。支払うべき金銭を意図的に支払わず、そのうえ弁護士さん任せであとは知らぬ存ぜぬの対応に憤りを感じていたからです。
 しかし、僕が謝罪を求め、それに対して元社長が謝罪をしたときに、僕はわけもなく後ろめたい気持ちになったのです。結局、言葉を少しやりとりしただけで僕はその場を立ち去っていました。
 元社長と別れたあと、僕の気分は晴れませんでした。声をかけたことを後悔していました。僕は、元社長に謝罪をしてもらいたくて声をかけたのですが、その気持ちが中途半端だったような気がします。もし、僕が強気な性格であったならば、声を荒げてお金の支払いを要求して気分もすっきりしたかもしれません。ですが、僕はそんな気性ではありません。「少しだけでも謝ってもらえれば気が済むかも」と考えたにすぎません。しかし、その中途半端な気持ちで声をかけたのは間違いだったように思います。あのときの、どんよりとした重たい気分がそれを物語っています。
 やはり、どんな場合でも、「そこそこ」は駄目ですね。
 じゃ、また。




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