<本物人>

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 今週の本コーナーでは、先週少し書きました元TBSプロデューサーの久世光彦氏が主宰していました「久世塾」の講習をまとめた本を紹介しています。先週も書きましたように、久世氏は社内では「天皇」とまで命名されていましたから、かなりの実力者であったことがわかります。しかし、この本によりますと、この塾も1回開講しただけで終わっています。その理由はシンプルで「採算が合わなかったから」だそうです。3ヶ月だけの期間で高額な受講料を徴収していたようですが、それでも赤字だったのですから「塾の運営方法が悪かった」のは間違いありません。実力者であろうとも、「採算が合わない」なら塾を継続することはできないようです。
 僕はどんな仕事でも採算が合わないなら「価値がない」と思っています。ですから、僕の基準からしますと、久世塾も「価値がない」ということになってしまいます。もちろん、僕などに裁断されようと放送界や社会からの久世氏に対する評価はいかほども変わるものではありません。しかし、社会の底辺で生きている普通の人の感覚での評価もあながち間違ってもいないのではないでしょうか。
 久世氏が発掘した俳優のひとりに樹木希林さんがいます。デビュー当時は悠木千帆という芸名でしたが、寺内貫太郎一家で沢田研二さんのポスターに向かって「ジュリー」と叫んでいたあのおばあさんを演じていた役者さんです。最近では、結婚情報誌「ゼクシィ」のCMで着物を着て座っていました。その樹木さんを最初にドラマに起用したのは久世氏でした。ですから、本来は樹木さんにとって久世氏は恩師にあたる人です。ですが、ある打ち上げの席で樹木さんは久世氏を批判する行動に出ました。
 それは、久世氏がドラマに「出演していた若い女の子を妊娠させた」という衝撃的な不倫暴露話でした。樹木さんの「人を食ったような雰囲気」からしますと、まさに面目躍如たる行動でした。プロデューサーとしてテレビ界で実力者の立場にいた久世氏を糾弾したのですからその度胸たるやすごいものがあります。相手が誰であろうと態度を変えない姿勢に賞賛でした。
 人を評価するとき、僕はその人が「相手によって態度を変えるか、否か」を判断基準のひとつにしています。どんなに好人物に思える人でも、強いものにヘイコラし、反対に弱いものに偉そうにする奴は嫌いです。世の中には、いろいろ資質の人がいますから、中には生まれつき傲慢さが身についた人がいても不思議ではありません。仮に、傲慢な人であろうと接する相手によって態度を変えないなら、それも僕はOKです。
 例えば、普段どんなに偉そうに振舞う人であっても、その偉そうな態度を自分より役職が上だったり権力を持っていたりする相手にでも変えない人であるなら、僕はその人に好感です。こういう人を本物の傲慢人といいます。
 傲慢とは反対のヘイコラについても同じです。自分より役職が上の人や権力を持っている人に対してだけでなく、自分より下の人や権力を持っていない人にもヘイコラするなら、そういう人もOKです。こういう人を本物のヘイコラ人といいます。
 要は相手によって態度を変える人を僕は好まないのです。相手が偉い人であろうとそうでなかろうと、自分の態度を変えない人を総じて本物人といいます。傲慢であろうと、ヘイコラであろうと、それは個人個人の性格ですからどちらでも構いません。強いものに弱腰で、弱いものに強腰なのが一番いただけません。僕はこういう人を本物人に対してズルイ人と呼びます。そして残念なことに、こういう人って多いんですよねぇ。
 僕はこれまでに副業の経験が複数ありますので、普通の人よりもいろいろな職場を経験しています。これらの経験からしますと、年齢に関係なくまた性差に関係なくどんな職場でもズルイ人はいるものです。得てしてこういう人はその職場におけるパワーバランスを読むのに長けているのが特徴です。ですから、自分が損な状況にならないように策略を図ります。だからといって、上手に立ち回れるわけでもありません。仮に、「うまく立ち回れた」としても短期間で終わるケースが多いようです。
 そもそも普通の多くの人はズルイ人を見抜いています。それを見抜けない上司もたまにいますが、そういう職場は職場として機能しないことが多いので、自ずと職場が消滅することになります。もちろん、最悪の場合は職場の消滅だけでなく企業自体が倒産するケースもあり得ます。ある意味、世の中はうまくできています。
 先々週でしたか、僕は井上ひさし氏の奥様が書かれた本を紹介しました。この本で奥様は井上氏の私生活でのDV夫ぶりを暴露したわけですが、DV夫は間違いなくズルイ人に入ります。外面と内面で行動が180度違うのですから、それも相手の身体に傷をつけるほどの「違い」ですから尋常の域を越えているズルイ人です。
 そういえば、この本には今は芥川賞作家として有名な方の編集者時代のことが書いてありました。奥様が原稿を届けに出版社まで出向くと、「足を机の上に乗せて」応対したようすが綴られていました。その作家の方は外見上はとても穏やかで優しい感じがしていただけにまだ売れていなかった井上氏への対応が傲慢だったことが驚きでした。
 このほかにも、この本からは編集者という立場にいるズルイ人の一端を知ることもできます。売れている作家に対する態度と売れていない作家に対する態度が正反対なようすを読みますと、編集者にはズルイ人が多いような気がします。
 そういえば、宮部みゆきさんという芥川賞作家がいますが、宮部氏も売れる前の時代にある出版社の編集者の対応に怒りを覚え、「現在でもその出版社には本を書いていない」という記事を以前読んだことがあります。
 編集者と作家の確執で今一番過激なのは、以前紹介したことがありますが漫画家の佐藤秀峰氏でしょう。佐藤氏のブログなどを読みますと、編集者への怒りや恨みが幾重にも積みあがっている様が見てとれます。テレビ局のプロデューサーもそうですが、編集者も作家の人たちにとっては権力者です。ですから、そうした人はズルイ人になる権利を持っていることになります。その権利を履行するか否かが本物人になれるかどうかの分かれ目です。
 こんなことを考えていましたら、ラーメン屋時代のことを思い出しました。選挙のときだけヘイコラし、当選したあとは傲慢になる議員さんを見ました。そんな人物が選挙で当選する結果を見るのは悲しいものがあります。そうした政治にならないように私たちは常日頃から政治に、もしくは政党や政治家に関心を持つように心がける必要があります。
 最近の報道を見ていますと、政治が動きそうな雰囲気が漂っています。皆さん、本物人を見抜く練習を怠らずに日々を過ごしましょう。
 ところで…。
 先週は、僕には画期的と思える新聞報道がありました。それは、小沢氏のプライベートなスキャンダルが大手新聞で記事になったことです。内容については、すでにいろいろなメディアで報じられていますので、今さら紹介するまでもないでしょう。
 この流れで一番重要なのは、そうした醜聞が週刊誌だけではなく大手新聞で記事になったことです。これは、小沢氏の政治家としての“力”が衰えたことの証明のように僕には感じます。また、菅元首相が小沢グループの人たちに「覚醒」を呼びかけていることもマスコミは報じています。間違いなく、小沢氏に対する風向きはこれまでと変わっています。
 それにしてもあれですねぇ。井上ひさし氏にしろ小沢一郎氏にしろ、本当の姿が世間に晒されるのは奥様の暴露がきっかけになっていることが多いようです。
 自戒を込めて、皆さん奥さんには気をつけましょう。
 じゃ、また。




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