<中学生>

pressココロ上




 また、痛ましい事件が報じられました。僕は「いじめ」と「自殺」にとても敏感です。
 まだご存知ない方のために事件の概要を説明いたしますと、昨年10月に大津市で男子中学生が自殺する事件があり、その原因に関して調査した結果「自殺の練習をさせる」などといった「いじめがあった」という内容です。
 僕はたびたびこのコラムで「いじめによる自殺」について書いています。「たびたび」ということは、つまり同じことが起きていることです。僕は、この事実がとても腹立たしい思いです。
 僕が取り上げるということは、それだけマスコミで報じられていることの証ですが、それは多くの人に知られることにつながります。多くの人とは一般人もそうですし、もちろん教育の現場にいる人たちにとっては尚更のはずです。
 このような事件がありますと、大人は皆、「二度と起きないように」などと口にします。教育関係者は、「二度と起きないように」をもっと強い気持ちで事件を捉えているはずです。いえいえ、そのような気持ちで捉えていなければ教育に携わる人間として失格です。
 ですが、事件はまたもや起きてしまいました。…僕は強い憤りを感じています。事件を防げなかった学校関係者または教育関係者に対して。さらに言いますと、事件に関係していた大人全員に対して。
 報道によりますと、先生が「いじめを見てみぬふりをしていた」とか「少し注意しただけで、あとは一緒に笑っていた」などとアンケートに答えている生徒が複数いるようです。もちろん、指摘された教師が簡単に認めることはないでしょうし、また現段階では、その真偽について確かめることもできません。ですが、ひとりの中学生が自殺した事実は消えません。誰でも想像できるでしょうが、中学生は簡単に自殺などしません。
 きちんと調べたわけではありませんので正確さに自信はありませんが、18歳未満に限るとき、いじめによる自殺は「圧倒的に中学生が多い」と僕は思っています。その原因を僕なりに考えますと、小学生のときは、まだ先生の力が強く(腕力という意味ではなく)いじめが起きたとしてもいじめを行う子供やその要因を抑えることができます。また、高校生のときは、義務教育ではありませんから、退学もしくは転校する自由度が高くなっていますのでいじめられる側も逃げる方法があります。
 これに対して、中学生という時期はとても中途半端です。公立学校では高校と違い容易に転校などできませんし退学などあり得ません。また、小学生が先生に対して感じていた威圧感が薄れていますし、肉体的にも大人の先生に負けないほどの体格の生徒もいます。堅い言葉で表すなら「畏怖」が相応しいと思いますが、その畏怖の念を先生に対して感じなくなりつつある年頃です。畏怖の念が湧かない大人に対して、子供たちが見くびった態度をとるのは当然です。いじめが起きやすい土壌が整っています。そして、いじめられる子は逃げ場がないのが中学生です。
 僕はこのコラムで哲学者の池田晶子氏を幾度か紹介していますが、池田氏には教育に関する箴言がたくさんあります。その中で一番僕が感激した言葉は次のものです。以前に紹介していますが、今回も紹介させていただきます。
 「お金は人生の大事なものなのに学校で教えてくれない、という親がいるが、人生にとって大事なものはお金ではないことを教えることこそ教育」
 この言葉に感動するのは僕だけではないでしょう。その池田氏のベストセラー本に「14歳の哲学」があります。僕は「なんで『14歳』なんだろう…」と疑問に思っていましたが、先日、池田氏の違う本を読んでいて「14才」の意味を知りました。
 池田氏は出張講習を行うことが多かったそうです。もちろん、講習はいろいろな学校や学年へ出かけるわけですが、その際は最後に授業に対する感想を子供たちに書いてもらっていたそうです。その感想を読んでいて感じたのが「大人と子供の境目は14歳である」ということだったようです。
 例えば、授業で「戦争は、本当に悪いことだろうか…」と疑問を投げかけ、それについていろいろな考察をしていく進行をしていったとき。
 池田氏は「悪いことだろうか…」と問いかけながら、実は「戦争は悪いことである」と生徒たちが結論を導くように授業を進めていたそうです。しかし、授業終了後の感想を読みますと、本来導きたかった「戦争は悪いこと」ではなく、「先生の話を聞いていて、戦争が悪いことばかりでないことがわかりました」という感想を目にすることがあったそうです。
 池田氏は本来の答えとは正反対の概念を問いかけることによって、その問いかけの本質を考える授業をしたかったようです。しかし、池田氏の意図に反して子供たちは上辺だけ表面上のことだけで納得してしまっていたのでした。言葉が持つ表面的な意味と、言葉が持つ本質の意味の違いを察することができることが、「大人と子供の違い」と池田氏は諭しています。池田氏はこのような体験から、その境目が「14歳」だと池田氏は考えたようでした。「14歳」にはそのような意味がありました。
 このようなことから、中学生という時期が人生の中で最も精神的に中途半端な状態であることがわかります。そうした状況がいじめの要因となり「中学生にいじめによる自殺が多い原因」だと僕は考えています。
 僕の私見の真否はどうであれ、中学生が精神的に不安定な年齢であることは事実のように思います。それを理解しているなら、いじめによる自殺が起きたあとに、先生方が口々に発する「気がつかなかった」という言い逃れや言い訳が空虚であることは自明です。
 そうなのです。先生たちのどんな説明も、子供ひとりが命を絶ったという事実に対しては「言い逃れ」であり「言い訳」でしかありません。精神的に不安定な中学生の心の奥底にある本音を見抜くのが先生の仕事であり役割です。
 なん度も書きますが、大津市のような事件は今回が初めてではありません。過去になん度もマスコミが報じています。しかも、ことの重大さを示すかのように、事件後しばらくは特集なども組んでいます。それでも、同じような事件が起きています。
 今回の事件に関わっている先生方も、よもや「これまでの同じような事件を知らなかった」などとは言わないでしょう。
 ドイツの前大統領 ヴァイツゼッカー氏は「過去に学ばない者は過去を繰り返えす」と演説で訴えました。これになぞるなら、今回の事件に関与する先生方は全く「過去に学んでいなかった」ことになります。子供たちに教える立場の人間である教育者が、自らは「学ぶこと」をしていないなら、教育者の資格はありません。
 これまでのいじめによる子供たちの自殺について過去に学び、真剣に考え、取り組んでいたなら、子供たちの間でいじめが起きていることを見抜けないはずはありません。それでも、「見抜けなかった」と言い逃れをするなら、そのような感性しか持ち合わせていない人は先生になるべきではありません。
 事件に関する報道の量が増えれば増えるほど、自殺した子供が「SOS」を発していたことがわかってきました。そのような状況の中、あの子がどのような気持ちで日々を過ごしていたのかと思うと…。僕は、それがかわいそうでかわいそうで、そして悲しくて悲しくてやりきれません。
 ところで…。
 僕は青春時代、大人になれば誰でも素晴らしい人間になる、と思っていた時期があります。例えば、自分の欲望を達成したいがために他人を貶めたり、保身のために平気で嘘をついたり、自らが不利益を被りたくないがために事実を隠蔽したり……。そんな無様なことはしなくなると思っていました。社会経験を積んでいますので、自然と悟りの境地になると思っていたからです。
 でも、僕自身が年齢だけは充分な大人になり周りを見渡すと、素晴らしくない人間がたくさんいることを目の当たりにしています。もう、60才を迎えようかという人でさえ、自分だけが優遇されたいがために、または賞賛の声を受けたいがために、なんの躊躇いもなく平気で策略を呈している姿を目撃もしました。
 僕は、そういう人たちが子供の教育に携わる先生という職業に就かないことを願っています。
 じゃ、また。




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