<努力と結果>

pressココロ上




 オリンピックも残りわずかとなり名残惜しいですが、それにしてもオリンピックはいいですねぇ。スポーツは感動します。基本的に僕自身がスポーツ大好き人間という性分だからだと思いますが、どのスポーツと限らずなんの種目を見ていても感動感激することが多々ありました。正直に言いますと、オリンピックが始まる前まではそれほど興味がありませんでした。しかし、実際に始まりテレビで選手の活躍している姿を見ていますと、段々と引き込まれていく僕がいました。スポーツっていいですねぇ。
 やはり金メダルを獲得した選手のコメントを聞いていますとこちらまでうれしくなります。反対に、思うような結果を得られなかった選手の失意の表情を見ていますと、こちらまで悲しくなってしまいます。特に、僕はうまくいった人よりもうまくいかなかった人に思いを馳せる性向がありますので、たぶん必死に練習したであろうこれまでの努力を考えるとき、勝ち負けのあるスポーツの厳しさを感じずにはいられません。そうです。オリンピックに出場する資格があったのですから、間違いなく普通の人以上に努力していたはずです。そうしたことを思うとき、惨敗の結果だったとしても、安易に責めたりなどできるはずがありません。
 今回のオリンピックはこれまでに比べてメダル獲得数が多いそうですが、それは即ち期待に応えた選手が多かったことを示しています。僕がその中でも一番に印象に残ったのは体操の内村 航平選手です。団体では完璧な演技ではありませんでしたが、それにもめげずに個人総合での金メダルは一層価値があると思います。内村選手というと、「緊張しない」ことで有名だそうですが、大会前のインタビューなどを聞いていてもそれを思わせる雰囲気を出していました。そして、実際に大会が始まってからもそれは変わりませんでした。
 団体競技のとき最後のあん馬で着地に失敗しました。僕は、だからこそ個人総合で金メダルを獲得したことに意義がある、と思いました。普通なら、「引きずり」ます。普通の人が持っている「自信」程度なら、失敗を「引きずり」ます。それが当然です。それを撥ね退けての金メダルですから、「普通の自信」ではないことを証明したことになります。そして、それが「緊張しない」ことが嘘でないことの裏づけとなりました。内村選手は怪物です。
 しかし、本物の怪物はこれからが試練かもしれません。僕は今、スポーツ週刊誌numberを編集したベストコレクションを読んでいますが、そこにボクシング世界ジュニアフライ級チャンピオン具志堅用高氏のインタビューがありました。今の若い人は「ちょっちゅね~」の面白いおじさんの印象が強いでしょうが、僕の世代ではやはり13回防衛の強いチャンピオンです。
 具志堅氏は語っています。
「最初の頃は試合が楽しくて楽しくて仕方なかった。早く次の試合をやりたい、って思っていた」
 まさにこの頃までは挫折を知らない勝者だったわけです。しかし、8回目の防衛戦を迎える頃から「恐怖心が襲ってくるようになった」そうです。きっかけは「殴られる恐さを感じるようになった」と具志堅氏は語っていますが、その背景にはそれまでの精神的な負担の蓄積と肉体的な衰えがあったように僕には感じられました。
 僕は具志堅氏のドキュメント番組を見たことがありますが、その当時の防衛戦の直前の控え室での振舞いは本当に恐怖心と戦っているようにしか見えませんでした。部屋の隅に小さくうずくまり脅えているような視線は世界チャンピオンには見えませんでした。なにかに耐えているような引きつった表情。あの場面だけを見たなら、幾度もチャンピオン防衛を重ねてきたボクサーには見えません。それほど恐怖心という魔物は本人を追いつめる力を持っています。
 恐怖心と緊張感は無縁ではありません。緊張感は恐怖心があるから生じるものです。恐くなければ、緊張などするはずもありません。
 そんな状態の中、具志堅氏はそれからも4回以上勝ち続けるのですから、本人の精神的肉体的負担は並大抵ではなかったでしょう。それを物語るように、最後は魔物に負けました。僕にはそう思えます。挑戦者に負けたのではなく、魔物に負けたのです。だからといって、誰に具志堅氏を批判する資格があるでしょう。魔物と戦いながら、4回以上勝ち続けたのですから、精神的肉体的に限界だったはずです。もう、充分でした。
 具志堅氏のインタビューを読んでいますと、人生の縮図を垣間見ることができます。具志堅氏は世界チャンピオンになるのに必要なのは「実力と運」と話していました。具志堅氏がプロデビューした直後にジュニアフライ級が創設されたことを指しています。具志堅氏はフライ級としては身体が小さすぎて体力負けしていたのです。
 また、「もしたまたま僕の右フックが当たらなかったらチャンピオンにはなれなかった」とも振り返っています。正直な気持ちではないでしょうか。勝者がよく口にする言葉に「運も実力のうち」という格言がありますが、これは勝者の論理のようで好きではありません。それに比べると具志堅氏は「運」を真正面から受け止めていたように思え好印象です。
 僕のコラムを検索で訪れる方のキーワードの上位に「燃え尽き症候群」があります。僕の記憶では、僕がこのキーワードでコラムを書いたのは前回のオリンピックのときだったと思います。そのときは水泳の北島康介選手が「燃え尽き症候群」で今ひとつ気持ちが盛り上がらないようすを書きました。しかし、その後北島選手は気持ちを吹っ切り、そして切り替え復活して2連覇を成し遂げたのですが、考えようによっては「燃え尽き症候群」も魔物といえるかもしれません。
 その北島選手は100m200メートルともに今回はメダルを獲得することができませんでしたが、今回も「燃え尽き症候群」との戦いだったように見えました。4年に1回のオリンピックを連覇するということは、緊張感というか戦闘モードの精神を8年間維持しなければいけないことですが、3連覇ともなれば12年間という年月です。これが相当なプレッシャーであることは誰でも想像できます。
 その神業ともいえる3連覇を成し遂げた選手が女子レスリング界に誕生しました。伊調馨選手と吉田沙保里選手です。女子レスリングは金メダルが3個と大躍進でしたが、この二人は12年間プレッシャーと戦い勝利したのですから驚異的です。
 伊調選手が勝利後のインタビューで印象深い発言をしていました。伊調選手は前回北京オリンピックのあと1度引退をしています。そのときの精神状態を指して、「なぜ優勝しなければいけないのか」という気持ちになったそうです。勝つ意義を見失ったのですが、まさに「燃え尽き症候群」の症状といえるものです。勝利をするためには努力は絶対に必要ですが、努力をする意義が見つけられなくては努力のしようがありません。努力をするには、努力をする気持ちになることが大前提です。
 以前、コラムで紹介しましたが、若い女優さんが座右の銘を問われてこう答えました。
「努力をする天才になりたい」
 まだ十代の若い女優さんがこのような発想をすることに驚きましたが、たぶん、この女優さんは読書が好きなのではないでしょうか。もしかすると、仕事柄熟練な年長者と出会う機会が多いことが関係あるかもしれませんが、若いうちからこのような考えをしていることは驚きです。僕が大学生の頃は、そんなことは全く考えもしなかったですから…。
 努力という言葉で僕が真っ先に思い出すのは、プロレスラーの長州力さんの本に書いてあった言葉です。これも前に紹介したことがありますが、また紹介します。
「努力をしたからといって成功するとは限らない。でも、成功した奴は必ず努力をしている」
 ね、いい言葉でしょ。僕が「努力」に関して一番好きな言葉です。
 僕は変わり者のところがありますので、マスコミがスポーツなどで好結果を得られたあとに必ず続ける言葉に違和感を持っています。
「頑張れば、必ず願いはかなう」
 この上っ面で薄っぺらな表現に比べると、長州力さんの言葉のほうが説得力が数倍あります。いくら努力しても、誰もが内村選手にはなれませんし、ボルト選手にもなれません。現実を見渡すなら、オリンピックの出場を目指して血のにじむような努力をしながら、出場さえ叶わなかった選手のほうが圧倒的に多いのです。多いどころか、全体からすると98%といってもいいのではないでしょうか。
 それでも、スポーツ大好き人間の僕としては、努力をする人が好きです。結果が伴わなくとも努力をする人が好きです。今週の最後は、僕が小学生の頃に、巨人の星を読んでいたときに一番記憶に残っている言葉で締めくくりたいと思います。
 原作者の梶原一騎さんは星飛雄馬の心情を表すために、明治維新で活躍した坂本竜馬の最後の場面を描きながらこう書いていました。
「どぶ底の中でもいい。前のめりに死にたい」
 ところで…。
 先週の週刊ダイヤモンドは特集でマクドナルドを取り上げていましたが、その記事を読みますと、僕の予想していたことが明確に書いてありました。僕は、今のマクドナルドはフランチャイズにシフトしていることが利益が増大している大きな要因だ、と以前書きました。記事ではそれを裏付ける数字を紹介していましたが、これは飲食業としては健全ではない、と僕は考えています。企業の結果は「利益が出ているかどうか」で決まりますが、もっと大切なのは「利益の出し方」です。
 極端に言いますと、いくら数字的には利益を出していようとも、もしそれが泥棒をした結果であるなら、誰も認めません。ですから、大切なのは「利益の出し方」です。今の野村HDはまさにそれを犯しているわけですが、今ひとつ心から反省しているようには見えないのは僕だけではないでしょう。
 スポーツの世界でも、ドーピング問題がいつも影で囁かれています。このような世の中をみてますと、最終的には「結果」なんてどうでもいいような気がしてくる最近の僕です。
 じゃ、また。




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