<代表選と総裁選>

pressココロ上




民主党、自民党ともに党の顔を選ぶ選挙に突入しましたが、国会議員はそちらのほうにばかり気を取られ国会議員としての本来の役割を果たしていないように見えます。先月末に通常国会が閉幕してしまいまいたが、終盤はほとんど機能していなかったともいえるほどの状態だったように思います。
 そんな中で僕が一番気になったのは、赤字国債発行法案が成立しなかったことです。ご存知のように、日本は赤字国債なしで国家予算を組めない状況です。そうした中で国債を発行するのに必要な赤字国債発行法案が成立しないまま国会が終了したのは憂慮すべきことです。
 しかし、そのことについてあまり騒がれないのも不思議です。僕が見ているニュース番組で、あえてニュースになったことといえば「地方交付税の支払いの先送り」を安住財務相が記者会見したことでした。法案が通らない状況を家庭に例えるなら、本当は借金しなければ生活できない家計なのにその借金のあてが決まっていない状況です。地方交付税の問題だけではないはずです。それが、大きな騒ぎにならないのが不思議です。
 「脱原発」も確かに大切ですが、生きていくための順番でいうなら国の予算のほうが上位にくるはずです。だって、今現在生活できなかったら「脱原発」もなにもありませんから。
 なにで読んだか忘れましたが、偉い作家の人が言っていました。
「人はまず、食うこと。その次に正義を考える」
 確かに、まずは衣食住が足りることが第一です。これがない中では正義もへったくれもあったものじゃぁありません。
 というわけで、赤字国債発行法案が成立しなかったことは大変なことなのですが、それでも地球は動いています。実は、昨年も同じ状況だったのですね。でも、結局なにもなかったかのように時間は過ぎ、今年になっています。ですから、世の中の皆さんはこの状況に慣れてしまって、それほど危機感を感じなくなっているのかもしれません。いわゆる麻痺という感覚ですが、世界最大借金国になっている日本。いつか突然、ギリシャのようにならないか心配でもあります。
 このような現実の中で、選挙が一番大切な政治家が代表選・総裁選を一番重要視する気持ちもわからないでもありません。党の顔は自らの選挙にも大いに影響しますし、議員は「落選すればただの人」ですから必死になるのも理解できなくもありません。話はそれますが、地方交付税の支払い先送りを記者会見した安住財務相は官僚の言いなりといった印象を僕は受けていますが、皆さんはどうでしょう。
 それはともかく、民主党、自民党ともに代表・総裁選がはじまり、普段あまり報じられない議員の方々の近況ならびに本心が垣間見えることに興味を持ちました。
 民主党での代表選びの動きの中で一番僕が興味を持ったのは細野環境相を取り巻く動きでした。細野氏を推す中堅・若手議員の方々がわざわざマスコミの前で要望書を手渡す映像には違和感がありましたが、基本的に細野氏擁立を推した議員以外は誰も本気で細野氏の立候補を考えてはいなかったのではないでしょうか。
 結局、早々と細野氏が辞退することで決着しましたが、当然の結果だと思います。と同時に細野氏の見識の高さが評価されることになり細野氏にとっても悪くない展開だったと思います。この動きは必ず将来に生きてくるはずです。
 細野氏の対応は評価されますが、それ以前の問題として細野氏に出馬を要望した中堅・若手議員には思慮の浅さを感じました。現時点での政界を眺めるなら、細野氏がいかに優れた政治家で能力もあったにせよ、その実力を発揮できないのは火を見るよりも明らかです。要望した中堅・若手議員の理由には、「野田首相が民主党の顔では選挙を戦えない」という項目もありましたが、自分の選挙のために代表を選ぶという発想がいただけません。ここに基本的間違いがあります。
 細野氏に対する出馬要望には、このようにいろいろと疑問に感じる点があることを総合的に考えるなら、中堅・若手議員の動きというよりは、寧ろそうした動きをうしろで動かしている勢力の存在を想像することもできます。傀儡政権ならぬ傀儡勢力とでもいいましょうか。そうとでも考えなければ、今の時点での細野氏擁立には無理があるように思います。
 もし、中堅・若手議員の方々の独自の、そして本気の動きであったなら、それはそれでその議員の方々の思慮の浅薄さが浮き彫りになっただけです。そうした人が国会議員という要職についていることを不安に感じることもあります。くり返しになりますが、現時点での細野氏擁立は、完全に現実的はありません。
 同じように、違和感を持ったのは細野氏擁立の動きを本気で報じていたマスコミに対してです。そのような行為は、マスコミの見識のなさを露呈したにすぎません。政治の世界に精通しているマスコミ人がする報道ではありません。本気で、細野氏擁立があり得ると思ったのでしょうか。女性週刊誌であるなら、そのような報道があっても不思議ではありませんが…。
 こうしたことを踏まえるなら、実は、民主党には野田首相に正面から挑む人物がいないことがわかります。もう、菅さん鳩山さん小沢さんらのトロイカの時代ではなくなっています。とういよりは「あってはならない」ことです。次の世代ともいえる岡田さん前原さんらが挑まないならほかに候補がいないのが実状です。
 先週の土曜日からNHKで新しいドラマ「負けて、勝つ」が始まりました。戦後の日本を支えた吉田茂元総理のお話ですが、1回目は面白かったです。
 「昔はよかった」という年配者が好んで口にする言葉を肯定するわけではありませんが、やはり昔の自民党には人材が、それこそ「人財」が揃っていたように思います。ある意味、誰が総裁総理になっても国家として道を踏み外すことはない、という安心感がありました。こんな気持ちになるのも、僕が年をとった証拠かもしれませんが…(笑)。
 これも年配者が好んで口にする言葉ですが、「今の自民党は小粒な政治家しかいない」。その兆候が出始めたのは宇野さんや海部さんの頃からでしょうか。お二人に共通するのは自らの力で総理になったわけではないことです。最大派閥に担がれて総理になっています。一口で言ってしまいますと、傀儡政権ということになってしまいますが、実権の伴わない政権が実力など発揮しようもありません。ましてや自らの力で手繰り寄せた総理の座ではありませんから、政治家としても小粒の証拠を示しているようなものです。
 小粒になってしまった自民党の政治家で総理の座に相応しい人物といいますと、う~ん…。言葉に詰まってしまいますが、でも、次の選挙では民主党が第一党の座から滑り落ちる可能性が高いと言わざるをえない状況です。そんな風が吹いている中での自民党の総裁ですから責任は重くなります。
 個人的印象でいいますと、谷垣氏はリーダーシップに欠けますし、町村氏は「世代交代の揺り戻し」の感がありまし、安倍氏は「今さら」の感がありますし、石破氏は「無理してオタク」の感があります、林氏に至っては「誰?」と思う人が多いでしょう。
 このように考えますと、どの政治家も「帯に長し襷に短し」の感があります。結果はどうであれ、本当に総理に相応しい人はなんとなくそのときの雰囲気でひとりの人物に収斂していく流れができていくものです。その一連の流れができて総理になった政治家はやはり結果を残しているのではないでしょうか。
 ここまでの政界の動きを見ていて気になることがひとつあります。それは小沢氏の動向です。これだけ政治が動く時期に小沢氏の動向がマスコミから報じられないことが気になっています。先週、森元総理のインタビューについて紹介しましたが、その中で、森氏は「さすがに今回で小沢氏は終わった」旨の発言をしていました。
 今までの小沢氏であったなら、絶対になにかしらの動きをしていたはずです。そして、マスコミもそれを報じていたはずです。今回はそうした動きが全く感じられないのは小沢氏が動いていないからか、マスコミが無視しているのか…。そのあたりは定かではありませんが、「動かない」という動きが不自然に思えて仕方ない今日この頃です。
 ところで…。
 政治家という職業は、マスコミや世論から厳しく批判非難されるのが仕事のようなものです。その中でも、総理大臣という仕事はより強い逆風に見舞われる立場です。その批判非難の強さは一般の政治家の比ではありません。それにも関わらず、多くの政治家が総理を目指すのが不思議です。
 ものごとには全て表と裏がありますから、表で賛成されることは裏では反対されることを意味します。つまり、全員が賛成することはあり得ませんから、ひとつのことを決めるとなると必ず反対勢力から反発が起きます。それでも実行するのが本来あるべき政治家の姿です。
 全ての人から褒められることがあり得ないのが政治家です。半分の人からは嫌われるのが政治家です。総理大臣です。それでも、なりたがる人々がいます。ある人が書いていました。
「自己顕示欲の強い人しか、政治家にはなれない」。
 確かに、そういった性向のある人でないと務まらない一面もあるでしょう。そういった欲望でもない限りあれだけ大変な仕事を務めたい気分になどならないとは思います。ですから、自己顕示といった見返りを得たいという欲望を求めることは認めてもいいと思います。ですが、ただひとつ気がかりなことがあります。
 それは、こういう人って一歩間違うと自己“堅持欲“に走りやすくなるんですよねぇ。いつまでも権力の座にしがみつかれては困ります。
 じゃ、また。




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