<人材>

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 結局、民主党の代表は野田総理に落ち着きなにごともなかったかのように政権は続きます。今回の代表選を通じてわかったのは、民主党の人材不足ぶりです。それにしても、今回の選挙で小沢一郎氏の動向がほとんど報じられなかったのが印象的でした。小沢さんの意志に関係なく、時代は間違いなく進んでいます。いい方向かどうかは別にして…。
 次は26日に自民党の総裁選がありますが、自民党も似たり寄ったりの感は否めません。派閥が機能しなくなってから派閥の領袖という立場の磁力がなくなってきましたから、総裁に相応しい人物が排出しなくなったのかもしれません。昔から「肩書きは人を作る」といいますが、トップの立場を経験しているのといないのとではリーダーとしての格の出来具合が違うように思います。やはり、後見人というかうしろに誰かいてものごとを決断するのとうしろに誰もいないで決断するのではそのプレッシャーの度合いが違います。
 きっとそれを一番痛感しているのは安倍普三氏ではないでしょうか。いろいろなメディアで安倍氏を見ていますと、政権を投げ出したことを逆手にとっているように感じます。ですが、その作戦が功を奏するのか判断に迷うところです。小泉氏というリーダーの下で自らの主張を発言し決断するのと、総理となりなんの後ろ盾もない状態で発言し決断するのでは緊張感が全く違っていたはずです。それを痛感しているからこその今回のリベンジでしょう。
 そうした経緯があることから考えますと、今回の立候補者の中で一番の適任者は安倍氏だと僕は思っています。ですが、残念ながら「政権投げ出し」の残像が強く残っている党員や議員が多数いると思われますので、投票的にはかなり難しいかな、と推測しています。
 かつての安倍氏と同じ道を歩みそうなのが石原伸晃氏です。石原氏の立場はまさに前回の安倍氏と同じですが、石原氏が安倍氏と違うのは上司が後押ししていないことです。逆にライバル関係になっていましたから前途は多難です。週刊誌の見出しを見ていますと石原氏が叩かれるのが一番多いように感じますから、石原氏も人気度で難しいと判断せざるを得ません。
 僕は谷垣氏の決断を勇気ある撤退と評価していますが、反対に町村氏には憂慮しています。報道によりますと体調を崩して入院したそうですが、大局的な視点から判断するなら、入院した時点で立候補辞退の決断をするべきです。もし、総理になってから体調を崩したりしたなら国政への影響は計り知れません。総理の可能性もある総裁です。健康状態は総裁としての第一条件です。総理を目指す人物なら一国のトップが持つべき健康に対する責任感の自覚が総理の資格があるかどうかの判断材料になります。
 石破氏について語るなら、僕の感想は「いつの間にか立候補できる立ち位置にいた」という感慨です。それこそ派閥の領袖どころか無派閥に近い状況の中、推薦人を集められただけでもすごいことです。林氏は今回というよりも将来のための布石といった趣が正解ではないでしょうか。
 こうして自民党の立候補者の方々を見ていますと、誰がセンターに立つのか予想がつきません。ですが、誰が選ばれたにしてもAKB48の大島さんよりは感動的なスピーチをしてほしいものです。
 財界に目を転じますと、アサヒビールの元会長・樋口 廣太郎氏の死去が報じられていました。樋口氏は僕が脱サラ後に経営に関する本を読み漁っていた頃にビジネス書をたくさん出版していましたので強く記憶に残っている経営者です。当時はスーパードライの大成功で名経営者の称号を与えられていました。ですから、なにかあれば樋口氏の名前を利用しようとする人たちがたくさんいてビジネス界のいろいろな分野で名前が登場していました。
 樋口氏の訃報を聞いて僕が真っ先に頭に浮かんだのはある若手起業家 O(オー)氏でした。O氏はベンチャービジネスの元祖のような方で、年代的にはソフトバンクの孫氏とほぼ同じ世代です。そしてこの方の経歴もこれまでにマスコミで紹介されてきた多くの若手起業家の例に漏れず、学生時代に起業をして軌道に乗せています。事業内容は写真の現像をするチェーン店を展開する企業でした。当時、若手経営者として賞をとっていたと記憶しています。
 O氏のチェーン店の展開はフランチャイズでした。僕が批判的なフランチャイズシステムですが、そのシステムで店舗数を増やし、成功者の冠を社会からいただいたのでした。しかし、どのフランチャイズシステムでもみられるように「チェーンに加盟しながら失敗した加盟店主との問題」が常に囁かれていました。機転の利く方はおわかりでしょうが、その後にデジカメとプリンターが普及し「現像する」ということがなくなったからです。売上げが半減したそうです。
 僕が樋口氏の訃報を聞いてO氏を思い出したのはO氏が樋口氏の弟子のような立ち位置にいたからです。僕は、O氏に対してジジ殺しの素質を持っているような印象を持っていました。
 このように若手起業家から慕われていた樋口氏ですが、僕が樋口氏に興味を持ったのは出世街道から降ろされたことが返って後世に名を残す名経営者の道を歩むことになったからです。
 樋口氏は住友銀行で副頭取まで登りつめていました。しかし、当時住友の天皇とまで言われていた磯田頭取と衝突し外に出されたわけですが、第三者からみますと左遷です。左遷かどうかは別にしても、出世競争で負けたことを意味するのは間違いありません。二人いた副頭取の片方が頭取になったのですからならなかったほうは敗者ということになります。銀行で出世競争に敗れた人が外部に出るのは普通のことです。
 これも野次馬的な発想でいうなら、出世競争に勝ち頭取になった方は磯田氏に取り入られるような努力をしていたと考えるのが普通です。そうでなければ天皇に後継者として指名されることなどあり得ません。
 しかし、このあとに住友銀行は不祥事が続くのですが、その根源は磯田氏にあったとされています。磯田氏の経営理念は「向こう傷は問わない」でした。これはいい意味でいうなら「果敢に挑戦すること」ですが、悪い意味だと「手段を選ばずに挑戦」となります。住友銀行はその悪い意味での理念に蝕まれていたことが表面化します。結局、頭取に出世した方は磯田氏の尻拭いに奔走することになり、批判されるばかりの経営者となってしまいました。それに対して外へ出された樋口氏はアサヒビールで名経営者の道を順調に歩んだのですから、人間はなにが幸いするかわかりません。
 本当に優れた人材は、一時は不遇な時期があったとしても、必ず光が当たるときがくることを樋口氏の人生が教えているようです。今、不遇の渦中にいる皆さん、死ぬまであきらめずに頑張りましょう。
 ところで…。
 樋口氏の本などを読みますと、樋口氏がアサヒビールに社長として転籍して最初に発した言葉は「ビールについては素人ですので、皆さん教えてください」だったそうです。これは会社の幹部に対してと同時にライバル社に対しても同じだったそうです。つまり、樋口氏はキリンビールの社長に挨拶に行き、ライバル社の社長に教えを請うたことになります。こうした謙虚で常に学ぶ姿勢が経営者として大成した一番の理由といわれています。
 このように樋口氏に関してはアサヒビールの中興の祖としていろいろなメディアで賞賛されていますが、実は僕は樋口氏の前の社長を務めた村井勉氏も忘れてはいけない人と思っています。
 村井氏も樋口氏同様に住友銀行からアサヒビールに出向してきた人物です。ここから先は僕の憶測ですが、出向に至った経緯は樋口氏と同じなのではないでしょうか。銀行という民間官僚のような世界で外に出されるということはやはり出世競争に負けたことを示唆します。しかし、樋口氏もそうですが、負けたことに落ち込んでなどいないように見えます。そうした姿勢や考え方が成功にたどり着く要因かもしれません。
 村井氏はアサヒビールの前に東洋工業(自動車会社のマツダ)に出向させられています。東洋工業を再建したあと銀行に戻り、そしてまたアサヒビールに出向しているわけです。普通ならクサってしまっても仕方のない境遇です。しかし、クサることなくのちにやってくる樋口氏が成功できるような企業の下地を作っていました。極端にいうなら、樋口氏の成功は村井氏の下準備があってこそなし得た結果です。
 今、不遇の渦中にいる皆さん、もし死ぬまで光が当たらなかったなら、そのときは人材としての能力に欠けていたとあきらめましょう。
 じゃ、また。




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