<復活>

pressココロ上




 多くの人が予想した通り民主党の惨敗でした。その裏返しとしての自民党の圧勝です。それにしても、この自民党の圧勝ぶりは予想以上でした。その理由はほかの選択肢がなかったからにほかなりません。
 選挙前の前の一時期は第三極が歓迎されるムードもありましたが、選挙が近づくにつれ期待がしぼんでいった印象があります。その原因を考えますと、第三極を作れなかったからだと思いますが、それはつまり政党の乱立を意味します。あまりに政党がありすぎて、たぶん多くの人が、どの政党がなにを主張しているのかよくわからなかったのではないでしょうか。
 新しくできた政党について僕なりに抱いた印象を書きますと、やはり一番印象に残ったのは日本維新の会です。新党の中では最も期待が持てた政党でしたが、最後の土壇場で石原氏との合流で魅力が半減してしまいました。もし合流がなければもっと議席数を伸ばしたように思うのですが、どうだったでしょう…。
 前にも書きましたが、橋下氏が石原氏と合流した理由が今ひとつはっきりとしません。冗談半分で「弱みを握られている」と書きましたが、どう考えても政策も違いますし合流するメリットがなにも見つかりません。選挙後の橋下氏、石原氏のコメントを聞いていてもその思いは強くなるばかりでした。ふたりの意見がすりあわされていないのは首相指名についての考えで明らかになりました。
 テレビ局のインタビューで、橋下氏が「圧勝した自民党の安倍氏が首班指名で選ばれるのは当然なのだから時間の無駄なようなことはせずに最初から安倍氏に投票する」と答えていたのに対して、石原氏は別の会見場で「政党のプライドの意味でも他党の党首を指名するのは控えるべきで自分たちの党首に一票を投ずるのが当然」と語っていました。昔から「二頭成り立たず」といいますが、維新の会はそれほど遠くない時期に分裂するのではないでしょうか。そんな予感がします。
 次に印象に残った政党といいますと、日本未来の党です。この政党も最後のドタバタ劇でイメージを悪くしてしまいました。代表の嘉田氏がどんなに言い繕おうが比例名簿順位のひっくり返しは小沢氏の豪腕ぶりを垣間見せました。原発問題が「重要ではない」とはいいませんが、原発問題だけが「政治ではない」ことを示したのも今回の選挙でした。もし本当に多くの日本人が真剣に脱原発を支持しているならもっと議席数を伸ばしていたはずです。それが惨敗の結果ですから、原発問題はそれほど大きな問題ではないと考えている国民が多いことの証拠です。政治家が思うほど国民の大多数は原発に対して強い関心を持っていません。いい意味でも悪い意味でも、多くの国民は沖縄の米軍基地に対する気持ち意識と同じレベル同じスタンスで臨んでいるのと考えるのが正しい捉え方のように思います。
 新党ではありませんが、小党の中で躍進したのはみんなの党でした。橋下氏と石原氏が合流した際に渡辺氏にも呼びかけていましたが、政策が違うことを理由に拒否した経緯があります。このような渡辺氏の考えがぶれていないところが好感されたように思います。また、選挙後にマスコミのインタビューを受けていましたが、渡辺氏の選挙結果に対する分析は的を得ている印象がしましたが、その冷静な社会を見る目がみんなの党の核心になっているように思います。
 ただ第三極を作るという目的で政党を作ってもうまくいかないのは民主党が証明してくれています。それにも関わらず数を頼みにする意味だけで小党が合流しても最後は瓦解するだけです。民主党の離党者が続出する最後の場面はあまりに悲しく情けないものでした。民主党の惨敗の原因はその一点に尽きます。
 思い返してみますと、民主党という政党は政権交代だけを目標に設立された政党です。米国や英国のように二大政党が競い合って切磋琢磨することが理想の民主主義としてそれを目指して作られた政党です。しかし、今回の選挙で二大政党による切磋琢磨がなくなる可能性が出てきました。日本では二大政党による政権交代でバランスを取るという形は無理なのかもしれません。
 それにしても心配なのは安倍総裁の右傾化に感じる発言です。今回の自民党の大勝は自民党を信認したわけでもましてや安倍氏を信認したわけでもありません、と思います。政治家はパフォーマンスとして、選挙前は意識して過激な発言をすることがあります。ですから、安倍氏のインフレターゲット発言や国防軍といった発言もそれに類するものと想像することもできます。というかそうであることを希望しています。
 かつて日本の政治は55年体制といわれていました。自民党が政権与党として政治を動かしそれを監視というか、ガス抜きというか、反対する政党として社会党が存在した体制です。その体制が崩壊したのが1993年の細川政権でした。そのときに自民党は初めて下野したのですが、しぶとく政権党にしました。今回も約3年で政権党に復帰したわけですが、こうした過程を見ていますと、「腐っても鯛」という言葉が思い出されます。
 3年前に下野する前、自民党には新人類なる若手政治家が台頭していました。例えば前回の総裁選に立候補した石原伸晃氏や河野太郎氏などですが、こうした方々は政策に通じていました。つまり官僚に負けないだけの知識を持っていることです。これはとても重要で、それまでは政治家は官僚にレクチャーを受けて政策を決めていました。これでは政治家主導の政治などできるはずがありません。
 政治家を見ていますと、発言の仕方や内容などで官僚にコントロールされているか自分自身の考えを持っているかがおおよそわかります。安倍首相は前回の総理のとき友だち内閣と揶揄された経験がありますから今回の組閣が注目されます。是非とも官僚政治にならないような内閣を作ってほしいものです。
 石原氏は第三極の結集を呼びかけながら結局は維新の会と合流しただけで終わりました。もし本気で「小異を捨てて大同に就く」気持ちがあったならみんなの党の政策も受け入れる度量があったはずです。それができなかったということは、つまりは自分の主義主張に同調できる人だけが集まることを目指しているわけで、これでは第三極などできようもありません。そもそもよく考えてみますと、第三極の結集するといいながらも、極めていくと数が集まらないのは道理です。
 ところで…。
 選挙とはとても厳しいものでどんなに偉い人でも、実績がある人でも選挙で多くの票をもらえなければ政治家でいられなくなります。政治家でなくなるということは即ち「ただの人」になるわけで、それまでのいろいろな特権や羨望を失うことです。たぶんいろいろな人が周りから去って行くでしょう。
 僕の世代では圧倒的に記憶に残る政治家・田中角栄氏の娘さんである田中真紀子さんが落選しました。諸行無常を考えざるを得ない出来事でした。ドラッカー氏の言葉の中で僕が一番好きな言葉を思い出します。
「変化はコントロールできない。できるのは変化の先頭に立つことだけだ」
 じゃ、また。




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