<再建>

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 先週は歌舞伎界で訃報がありました。市川團十郎さんがお亡くなりになったのですが、昨年は中村勘三郎さんがお亡くなりになるなど歌舞伎界は大きな転機を迎えているように見えます。
 僕は歌舞伎界に特別関心があるわけではありませんが、マスコミで大きく報じられますと自然と目が向いてしまいます。歌舞伎に限らず古来から続いている日本芸能は伝統がある文化です。決して多くの人から支持されているわけではありませんが、伝統を継承するという意味では存続することは意義のあることです。
 ですが、大阪市長の橋本氏ふうにいうなら「存続するための努力」はもっとする必要があるとも思っています。
 歌舞伎界には、国からの運営費交付金、補助金、出資金という形で税金が投入されていますが、民間企業や自営業者からしますと不公平感があります。民間企業などは利益が出なければ倒産してしまい、それは即ち存続できないことを意味します。そうした現実からしますと歌舞伎界に対する不公平感に共感する人は多いはずです。特に、昨今の労働環境を見渡しますと、そうした思いは強くなってきます。リストラされて明日の食事にも事欠く人がいる現実の中で、税金をもらうことで仕事ができるのは羨望の的です。
 伝統を守る、文化を継承するということは大切なことですが、その理想の姿は税金など投入されないで活動することです。自立して存続していることです。歌舞伎界の現状を産業界に例えていうなら、そろばん業界が税金を投入されながら活動し、その業界で働いている人たちが人並み以上の報酬を得ていることになります。
 どんな業界・企業であろうとも国から援助を受けていながら、その業界・企業に従事している人が人並み以上の待遇を得ている状況は正しい経営の姿ではありません。自分の力だけで頑張っている業界からしますと納得できるものではありません。日本航空でさえ国から支援を受ける際の条件は従業員の賃金カットや年金の支給額の減額でした。自立していない企業はそれ相応の覚悟が求められなければなりません。
 税金の投入がなければ存続できないことは、無理やり生かされているようなものですから健全な姿ではありません。企業の健全な姿とは自分たちの力で食い扶持を獲得しながら活動している姿です。そこには自立した大人の姿があります。税金を投入されながら存続している文化は親の脛をかじりながら生活している大人になりきれない青年の姿と重なってみえます。
 團十郎さんの訃報に際してマスコミからインタビューを受けていた海老蔵さんは以前の傲慢な雰囲気がありませんでした。数年前、海老蔵さんは元暴走族のリーダーと事件を起こしましたが、その当時は高慢で不遜な匂いが漂っていました。僕はあのとき、思っていました。あの傲慢さの元を辿るなら、究極的には歌舞伎界が国から援助を受けながら伝統を守っているところにまで行き着くだろう…と。
 先週、yafooのトピックを見ていましたら、エニグモの創業者である田中禎人氏の記事が目にとまりました。エニグモとはバイマというソーシャル・ショッピングサイトを運営するベンチャー企業ですが、以前経済誌で「創業者が二人」ということで取り上げられていたのを思い出しました。今回の記事はそのひとりである田中氏がエニグモの経営から離れることを報じたものですが、その中で創業時代の話が印象に残りました。
 田中氏は「起業をすると、人間が謙虚になる」と語っています。それは自分たちの体験から得られた教訓でした。田中氏たちは起業する前は大手有名広告代理店に勤めていました。大手有名広告代理店ですから、仕事をするに際してはその看板はとても役に立ちます。例えば、誰かにアポイントをとりたいときにも会社の名前を名乗ることで苦労することなくできました。しかし、会社を辞めた途端に、アポイントをとるというそんな簡単なことが簡単ではなくなったそうです。そういう経験をしたことが田中氏たちを謙虚な人間にしたそうです。同じように、田中氏の知人で大手企業に勤めブイブイいっていた人間が、起業をしたあとに会ったら謙虚になっていた姿に驚いたとも笑いながら話していました。
 起業または独立をすると誰でも謙虚になります。それは謙虚にならなくては生きていけないからです。企業に勤めていますと、ましてや大手有名企業に勤めていますとその企業に属しているという理由だけで一目置かれる存在になっています。そうした状況で仕事をするわけですから最初からとても有利な状況に身を置いていることになります。
 つまり、大手企業という看板が背中にあることでうまくいっている仕事の成果なのですが、そうした真実に気がつかない人が多くいます。往々にして大手企業に勤めている人ほど自分の実力と思い違いしています。
 田中氏はその思い違いを指摘していたのですが、元暴走族のリーダーと事件を起こした当時の海老蔵さんはまさにそのような心境にあったのでしょう。もし、歌舞伎界に税金の投入がなく全てを自腹で賄わなければ活動できない環境であったなら、もっと謙虚になっていたはずです。いいえ、謙虚にならざるをえなかったでしょう。
 先々週の本コーナーで石原裕次郎氏の本を紹介しましたが、石原氏をスターにした映画界も歌舞伎と同じ芸能の世界です。しかし、映画界は国から支援を受けることはありませんでしたので歌舞伎界とは異なった苦難の道を歩むことになります。
 テレビが普及する前は映画は国民的娯楽でした。ですから映画界は活況を呈していました。しかし、テレビが普及すると映画界は斜陽業界に転落してしまいました。そうした中で役者の方々も試行錯誤するわけですが、スムーズにテレビ業界に移行できた方は生き残り、それができなかった方は芸能界から消えていくことになります。
 僕はスムーズにテレビ業界に移行できた役者さんも偉いと思いますが、反対に時代の波に抵抗してあえてテレビ業界に移行しなかった役者さんにも尊敬の念を持ちます。社会的評価や収入の面では低かったかもしれませんが、自分のポリシーを曲げなかった姿勢は偉いと思っています。ここまでくるとどちらの判断が正しいかではなく生き方とか人生観の問題になります。
 女子柔道日本代表の人たちが全柔連を告発した問題が大きく展開しています。ここまで大きくなってしまうと、単なる体罰とかパワハラの問題ではなくなっています。このような組織の存続に関する問題を考えるとき、取るべき道はふたつしかありません。
 ひとつは組織に見切りをつけて組織を去る道で、あとひとつは組織に残って組織を立て直す道です。今回告発した15人は後者を選んだわけですが、これからあとに続く後輩や組織の将来のことを考えるならこの道のほうが意義があるように思います。仮に、代表を辞退することを選んだなら、いつまでも古い体質の全柔連が続くことになり、苦しみ悩む後輩たちが続くことになり、日本の柔道が衰退することにつながるからです。
 告発内容で印象に残ったことがありました。それは「ロンドン代表を選抜した結果を発表するときにテレビ局の都合を優先して、選手の自尊心を傷つけた」という内容です。テレビ局は全柔連にとってスポンサーですからテレビ局を大切にしたくなる気持ちも分かります。そして、そのテレビ局は視聴率を稼ぐことを優先させますから選手の気持ちはどうしても二の次になります。二の次というよりも「選手の気持ちの揺れ」を映し出すことで視聴者に感動を与えようとします。それは視聴率至上主義の裏返しです。
 「気持ちの揺れ」は選抜された選手と落選した選手の表情を対比させることでさらに強調されます。しかし、その方法は落選した選手の側からしますと苦痛でしかありません。いったいどこに落選したときの自分の表情を喜んでテレビに映し出されようとする人がいるでしょう。選手たちは、そうした気配りのできない全柔連に失望と落胆をしていたようでした。
 フランスの俳優が税金の高さを理由にロシアに移住したニュースが報道されていました。フランスでは税率の高さから国外脱出をする金持ちが多いそうです。まさしくこの行動は先に紹介しましたふたつの選択肢のうちの前者の道です。このニュースに接して正直な感想をいうなら「なんと薄情な人間たちよ」です。やはりそこには「自分だけはよければよい」という発想が透けて見えます。
 僕は以前、プチアビリトでラグビーの精神を紹介しました。
「ワン・フォー・オール オール・フォー・ワン」
(一人はみんなのために、みんなは一人の ために)
 たかがスポーツの格言が全てのことに当てはまるとは思いませんが、国家にしろ企業にしろ多くの人が集まってできる集団ではこの精神が一番重要だと思っています。
 お金持ちが税金を多く取られるのが嫌で国を捨てるなんて我がままだよなぁ…。お金持ちはお金持ちに相応しい振舞いをしてほしいよなぁ…。
 えっ、貧乏人の遠吠えだって…。仕方ないじゃん、貧乏人だから。 ウォ~ン。
 じゃ、また。




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