<手段>

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 先週はうれしいことがありましたので、まずはそのお話から。
 僕は自分のサイトで大道芸人方式というやり方で本を販売しています。ご存知の方もいると思いますが、僕の本を読んで「気に入った人」や「満足した人」が「お金を振り込む」システムです。
 しかし、この「お金を振り込む」という行為は決して簡単ではありません。なにしろわざわざちょコムというサイトに移動して手間のかかる手続きをする必要があるからです。普通の感覚では、それほどまでしてお金を振り込むのは面倒というものです。それに、読み終わったあとにする行為ですから、実際に行動に移すのはかなりの強い意志が必要です。「よし!絶対になんとしてもお金を振り込むぞ!」というような堅い決意がなければできない行為です。しかし、基本的にお金を振り込まなくともその後の生活にも人生にもなんの障害はなく、またなにも問題は起きません。もちろん不都合もありません。つまり「お金を振り込む」必然性は全くないことになります。
 ところが、先週の日曜日午後に、なんと、僕の口座に振込みがあったのです! 僕は驚き、そして歓喜しました。…僕が「どれだけ感激したか」おわかりになっていただけると思います。なぜ、そこまでして…。
 しかも決して低い金額ではありません。単行本が1冊購入できる金額です。2月17日にお振込みをしてくださった「Y・T」さん。本当にありがとうございます。たぶんニックネームだと思いますが、新聞少年のようなお名前。僕は一生忘れません。
 さて、お振込みをしてくださった際の名目が寄付金になっていましたが、先週の報道ステーションではその寄付金が取り上げられていました。
 原子力発電関連のニュースですが、日本原子力発電(以下:原電)が原発のある敦賀市に寄付をする行為に疑問を投げかける内容でした。原電が寄付するお金は電力会社から基本料金として徴収しているお金で、そのお金は電力会社が国民から徴収しているという論法で、最終的には「国民が負担しているお金を寄付金にした」と原電を批判していました。
 寄付金を受け取る敦賀市にしてみますと、そのお金で道路などインフラを整備する予定ですので必要なお金です。その寄付金を受け取ることを前提に原発建設を受け入れてきたのですから敦賀市にしてみますと当然のことです。
 ところが、番組では「最終的にお金を負担しているのが国民であること」を踏まえての疑問であり批判的コメントでした。しかし、僕はコメントを聞いていて違和感を持ちました。寄付金の出所をそこまで遡って考えることに対する疑問でした。
 寄付をすることの是非はともかく、そのお金の出所まで遡って批判するやり方は公平ではありません。「無理やり」もしくは「意図的」な感じがして、最初から「批判ありき」の発想のように思います。
 原電が寄付したお金はあくまでも原電のお金です。国民のお金ではありません。原電が電気会社から徴収した段階で原電のお金です。寄付の善悪は別にして、自分のお金をどのように使おうが原電の自由です。その区別はきちんとしておくことは大切です。
 例えば、電鉄会社が乗客から運賃をもらい、そうした営業活動によって得た収入をなにに使おうが自由のはずです。新しい分野に投資する目的でお金を使うこともあるでしょうし、沿線が栄えるようにどこかの地域に寄付することもあって当然です。このように収入の使い道は電鉄会社の裁量の範囲内であり、電車を利用する乗客がお客だからといって上から目線で批判する類のものではありません。
「お金に色はついていない」
 これは僕が信頼していて好感している山崎元さんの本を読んでいて気に入ったフレーズです。このフレーズの意図するところは、例えば宝くじで当たった100万円と地道にコツコツと働き額に汗して得た100万円に違いはない、ということです。僕のような単純な人間ですと宝くじで当たった100万円は運で手に入ったお金ですので「濡れ手で粟」感覚で捉えがちです。ですから、「なかったも同然」として「大切に使わなくてもいい」という発想が浮かんできます。例えば競馬やパチンコなどリスクの高いギャンブルに費やすことにも厭わない精神構造になってしまいます。「濡れ手で粟」ですから泡となって消えても当然という感覚で、お金を泡と考えてしまっています。
 しかし、山崎さんは「どちらも同じ100万円」でしかない、と言っています。額に汗して得たお金も濡れ手で粟で手に入れたお金も差はない、と言っています。僕はこのフレーズを読んだとき「なるほど!」と目から鱗が落ちた感覚がしました。お金の価値がわからない凡人に限ってお金に色をつけてしまい、大切なお金を失っていくようです。
 しかし、「お金に色はついてない」からといってお金を得る手段に鈍感なるのはやってはいけないことです。例えば、振り込み詐欺で得たお金は悪いお金です。泥棒をして得たお金も悪いお金です。そのようなお金は持ってはいけません。
 僕はお金儲けは大切だと思っていますが、そのときに忘れてはいけないのは儲けた手段です。よく「手段を選ばず△○する」という表現が使われることがありますが、手段はとても大切です。大切どころか△○を成し遂げたことにならないことさえあります。仮に「手段を選ばず成功する」としたとき、悪い手段であったなら例え周りから成功したように見えても、それは成功したことにはなりません。
 これと同じような意味で、どのような企業に勤めて給料を得ているか、も大切です。仮に、ある企業が給料が高く待遇も恵まれていたとしても、その収入の源が詐欺であったならその企業で働いている人も同罪です。実際に詐欺の実行犯でなく電話番だったとしても同罪です。高い給料をもらっていたという事実が同罪の理由です。その高い給料の源が悪い手段と用いて得たお金だからです。
 実際、昔豊田商事事件というのがありました。この事件はお年寄りたちに優しく接することで信用させ投資と称してお金を騙し取っていた事件です。中高年以上の方は覚えていると思います。そのような企業で給料が高いからといって働いていたのなら決して許されるものではありません。お金を得ることは大切ですが、手段はもっと大切です。
 独立・脱サラで成功を目指している若い方々、「手段を選ばず」などと勇ましい言葉を発する人には注意をしましょう。
 ところで…。
 毎年、年が明けてから今月一杯くらいまで本屋の平台である程度のスペースをとる本があります。ところが今年は異変が起きていまして、僕が知る限りどこの本屋さんにいってもそのような光景を見ることはありませんでした。その本とは、確定申告の本です。
 昨年までは「この1冊で簡単にできる確定申告」とか「本のとおりに真似するだけで誰でもできる確定申告」などといった名前の本が目立つどころに積んでありました。しかし、今年は棚の中に少しだけ並んでいるだけです。この異変はなぜか…。
 僕なりの答えを出すなら、それはネットの普及です。もうかなりの人がネットを利用して確定申告をしているのではないでしょうか。前にも紹介しましたが、今の国税庁のサイトはとても充実しています。税金や確定申告に関する知識がない人でも画面の指示どおりに進めていくと自動的に確定申告が完成できるようコーナーがあります。まだご存知ない方は是非一度国税庁のサイトを訪れてみてください。その便利さに驚くことでしょう。
 しかし、あまりに親切すぎで便利すぎるサイトを作ってしまうと、民業圧迫として訴えられたりするかもしれません。
 じゃ、また。




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