<パートナー>

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 先々週、このコラムで娘の結婚式に出たときの様子を少し書きました。僕的には結婚式というセレモニーにはあまり興味はありませんが、披露宴の最後に感心したことがありました。
 たぶん今の結婚式はどこもそうなのでしょうが、式のはじまりから披露宴が終わるまで撮影の専門家と思われる数名のカメラマンが会場のあちこちでカメラのシャッターを押しビデオを回していました。
 式の指輪の交換の場面では神父さんの斜め後ろから指を狙い、新郎新婦が誓いの言葉を述べるときは正面から二人の表情を狙い、もちろん新郎新婦の両親にもカメラは向けられました。披露宴会場でも親類や友人たちの席の周りを動き回っていました。
 僕が若い頃から、結婚式でカメラマンが写真を撮ったりビデオを回すのはよく見かける光景でした。写真や映像が残っていることは間違いなく素敵な思い出になるのに役立ちます。このように、僕には写真やビデオを残すのは数年後に振り返るためのものだと思っていました。
 僕にはそうした先入観がありましたが、披露宴の最後にその先入観が覆されることがありました。
 披露宴の式次第も全て終わり新郎新婦が披露宴会場をあとにしたあと、会場が暗くなりました。すると会場の壁際に天井からスクリーンが降りてきて、そしてそのスクリーンに映像が映り始めました。僕はその映像を見て驚き感心したわけです。
 その映像が、ついさっきまでカメラマンが披露宴会場を動き回って撮影していたと思われる映像だったからです。そこには新郎新婦はもちろん式や披露宴に出席していた人たちの笑顔が映し出されていました。
 なにがすごい!って、ほんのわずかな時間でビデオの編集をしたことです。さすがプロの腕前と思えるほど披露宴の楽しそうな感じが伝わる構成になっていました。ビデオカメラはあとから見るためではなく、すぐに見るために撮影されていたのでした。
 僕はその編集の早さに驚いたのですが、あとで新郎のお父さんから聞いたところでは今はどこの結婚式でも行なわれているそうです。結婚式や披露宴に疎い僕が知らなかっただけで、最近の流行だということでした。それにしてもこのサービスは好評なのではないでしょうか。
 結婚は男女が生涯のパートナーを決める約束事ですが、人間はひとりでは生きていけない生き物です。そもそも人がたくさん集まって成り立っているのが社会ですから、その社会で生きていくということはそれだけでひとりで生きていないことを表しています。
 人はひとりで生きていけないのですから、パートナーを持つのは自然な流れです。というよりはパートナーを欲するのが人間という生き物です。ひとりでいるよりパートナーがいたほうが安心ですし、楽しさも生まれます。もちろん嫌なこともたくさんありますが…。
 パートナーを芸人の世界に当てはめるなら相方です。先月、このコラムで関西の女性漫才師オセロについて書きました。オセロは突っ込みの中島さんとボケの松嶋さんのコンビですが、中島さんが霊能者にマインドコントロールされたことで世間を騒がせたことで知られています。コラムでは芸能活動を中止している中島さんを気遣っている松嶋さんの優しさについて書きました。松嶋さんは中島さんの復帰を心から望んでいるようでした。
 しかし、先週は松嶋さんの期待が裏切られるニュースが報じられました。まだ最終確定ではないようですが、中島さんが事務所を辞めたこととコンビの解散が報じられました。タレントのテリー伊藤さんはあるバラエティ番組で「中島さんはまだマインドコントロールが解けていない」と話していたそうですが、中島さんの相方である松嶋さんが納得できる方向へ進むことを願っています。
 歌の世界でパートナーといいますと、デュエットです。僕が若い頃の男性デュオといいますと、真っ先に思い出すのはオフコースです。メジャーになったときオフコースは小田和正さんをリーダーとしたバンド形式になっていますが、僕が初めて知ったときは小田さんと鈴木康博さんのデュオでした。それから人数が増え人気が上がる中、途中で鈴木さんは脱退してしまいます。
 たぶん音楽活動を始めたときはふたりは仲がよく気持ちも通じ合って活動を始めたはずです。ですが、ときが経つにつれ考え方に違いが生じ、ふたりは袂を分かったのでしょう。世の中にはよくあることです。と簡単に口にしますが、僕はそのような足跡を辿る二人組みに寂しさを感じずにはいられません。人間は年を経るに従い考え方が違ってきますから仕方のない部分もあります。実際、ほとんどのデュエットが10年も経たないうちに解散しています。ですが、僕は長く仲良く続けているデュエットを見ていたいと思っています。
 デュエットに限らず、数人で一緒に始めたメンバーが途中から脱退する光景は第三者からしますと寂しさを感じます。僕は起業に関する本をたくさん読んでいますが、創業メンバーが途中から串の歯が抜けるようにいなくなることはよくあることです。…というよりもほとんどがそうです。
 「船頭多くして船山に登る」という格言あります。また「両雄並び立たず」という格言もあります。どちらもリーダーになる人が複数いることの弊害を表した格言ですが、たとえ優れた才能があろうとも、その才能を持っている者同士が同居しているとマイナスの効果しか生まないことを指摘しています。デュエットとはまさに両雄が並んでいることですから、両方に才能があったときはこの格言が当てはまる状態に陥ってしまいます。それはわかっていますが、それでも寂しさを感じるのが僕の気持ちです。
 そんな視点で僕が心配しながら見ていた男性デュオにチャゲ&飛鳥がいました。驚いたことにふたりとも既に50才を越えているそうですが、最近また二人での活動を再開したようで、うれしい限りです。
 僕がチャゲ&飛鳥に注目したのはデビュー曲「ひとり咲き」を好きになったからですが、その後、中ヒットを重ねていたときにチャゲさんが女性シンガーと「ふたりの愛ランド」をリリースし大ヒットとなりました。僕はこの頃からふたりの間に隙間風が漂い始めたように感じていました。そして、次に飛鳥さんがソロでヒットを飛ばすようになり…。
 そのような紆余曲折がありながらも、活動休止はあっても解散せず、そして今年になり活動再開が発表されたのはうれしい限りです。デビューしてからもう30年以上が過ぎています。
 チャゲ&飛鳥よりもう少し若い男性デュオで僕が心配しながら見ているのは「ゆず」です。あの伝説的な路上ライブを経てデビューしてからもう15年が過ぎていますが、途中で幾度か解散の危機に見舞われているように感じたときがありました。
 本などを読みますと、単独で路上ライブをやっていたガンちゃんにユウジンさんが参加する形でゆずは誕生したそうです。つまり最初はガンちゃんがリーダーだったことになります。実際、当初の頃は声質といい声量といいガンちゃんのほうが優れていました。ところがシングルでヒット曲を連発するのはユウジンさんが作った作品のほうです。そうしたことが影響したかどうかはわかりませんが、7~8年過ぎたあたりからふたりの心に隙間風を感じるようになってきました。ちょうど恋人や夫婦の倦怠期にあたります。
 この頃たまたまテレビ番組でふたりが別々にインタビューを受けている映像を見ましたが、ふたりの関係のぎこちなさが伝わってきました。考え方や進む方向にお互いが疑問を持ち始めている印象を受けました。
 こうしたふたりの心の変化は僕の推測でしかありませんが、もう少し大胆に踏み込んで推測をするなら、ふたりの関係のぎこちなさはユウジンさんの側だけにあるように思っています。僕はガンちゃんが好きなのでえこひいきの側面もありますが、ガンちゃんはものごとに振り回されずブレない性格の持ち主です。ですから、歌が売れようが売れまいが意に介していないように映ります。「ただ歌が好き」というシンプルな気持ちが音楽活動の原点になっているように感じられます。
 ユウジンさんは売れて有名になったことで考え方に少し変化が現れてきました。そして最初にガンちゃんに「一緒にやりたい」と告白した原点を見失いそうになっていました。ゆずが誕生したときの自分の立ち位置に対するコンプレックスがそうさせていたのではないでしょうか。
 僕が抱いているこれまでの「ゆず」のイメージはガンちゃんがマイペースでシンプルに好きな音楽の道を歩いていて、その周りをユウジンさんが右へ行ったり左へ行ったりしながら一緒に歩いている感じです。
 このイメージはどちらかが優れているということではなくそれぞれの性格を表しているに過ぎません。もし、どちらかが優れていることを少しでも意識したならこの関係はすぐ崩れてしまうでしょう。
 本当のパートナーとの関係は糸でつながっているものです。針金のような強く丈夫なものでありません。少し力をくわえると簡単に切れてしまう糸です。そんな糸でつながっている関係ですから、糸に対しては慎重性が必要ですし、また気配りも欠かせません。
 このようにパートナーとの関係を長く続けるには糸の持つ長さや強さなど糸の性質を理解していることが大切です。それを見失うとき、糸は簡単に切れてしまいます。
 パートナーは音楽の世界だけにあるものではありません。芸人の世界にもありますし、企業の世界でもあります。もちろん人生においてもあります。それが夫であり妻です。どちらかがひとりになったとき、ふたりで過ごした時間を思い返し、相方が愛方になっているのが理想の姿です。
 じゃ、また。




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