<救急車ナウ>

pressココロ上




 先週は激動の一週間を過ごしました。生まれて初めて救急車に乗ったのです。妻は20年ほど前に交通事故で既に経験済みですので、ようやっと追いつくことができました。
 はじまりは風邪のような症状が出たことでした。もう先々週になりますが、5日(金)の夕方に体調を崩したことが激動週間の発端です。「崩した」といいましてもそれほど重症ではありませんでした。熱が出ることもなくただ身体がだるく重く感じられるような状態です。そのほかには、鼻も詰まり気味で呼吸をするのが辛く感じるような症状でした。
 そのような体調でしたので、その日は少し早めに就寝することにして午後9時前には寝床につきました。翌日は仕事がお休みでしたので一日中安静にしていれば体調も回復すると考えていました。
 翌朝、目を醒ましますと、やはり今ひとつ体調がすぐれません。前日と同じように身体がだるく呼吸が苦しく感じました。そんな体調を感じながら病院に行こうかどうか迷っていました。土曜でしたので翌日曜はほとんどの病院が休診日です。ですから、行くとしたら土曜日しかありません。しかも午前中で終了する病院がほとんどです。
 迷いながら時間だけが過ぎていき、それに引きずられるように体調も悪くなっていくような感じです。相変わらず熱はありませんが、どうもしっくりいかない体調具合でした。ただ確かなのは鼻が詰まって息苦しい感じがしていることでした。
 そこでまず息苦しさを治すことが先決だと思い、耳鼻咽喉科に行くことにしました。昨年、僕は大学付属病院で副鼻腔炎の診断を受けており、手術を勧められていました。しかし、手術をすることに今ひとつ乗り気がせず、症状が軽くなったときに半ば強引に診療を中断して現在に至っています。
 このような状態でしたので、僕は手術をせずに副鼻腔炎を治療する医師に出会うのを待っていました。つまり僕の考えに賛同してくれる耳鼻咽喉科の先生を探していたことになります。ですから、今回耳鼻咽喉科に行くことにしたのは、半分はその意図もありました。僕は以前から「腕がいい」という評判を聞いていた病院に行くことにしました。その病院はちょうど、土曜日は午後1時まで診療していました。
 結論をいいますと、評判で言われているほど患者思いの医師ではありませんでした。先生は僕のこれまでの副鼻腔炎になった経緯と大学付属病院で診断された見解を聞いたあと言いました。
「手術を勧められているならそのほうがいいんじゃないですか」。
 評判がいいはずのその医師は患者の立場に立って考えることをしない先生でした。あとから聞いた話では、その病院は数年前に病院を建て替えてから感じが悪くなったそうです。建て替えをする前はいつも玄関の外まで患者さんたちの靴が並ぶほど人気があったそうです。真偽は定かではありませんが、僕が行ったときには評判どおりではありませんでした。
 さて、帰宅してからも体調が回復する気配もなく、それでも仕方ありませんので耳鼻科の先生が処方してくれた薬を飲み、布団に寝ていました。しかし、夜になっても快方に向かう気配もなく、僕はそのまま眠りにつきました。相変わらず身体はだるいままです。
 翌朝、目覚ましの時計の音でどうにか目を醒ますことはできました。しかし、体調がすぐれないのは前夜のままです。そうは言いましても、簡単に仕事を休むわけにはいきません。僕は体調が悪いまま起き上がり着替えをしました。そして、準備の整えいざ家を出ようとしたときに吐いてしまいました。とうとう僕は立っていることさえもできなくなってしまいました。
 結局、その日は仕事を休んだのですが、不思議なもので仕事を休む連絡をしてから体調が少し回復したような感じがしました。それまで胃の辺りがムカムカしてなにかが引っかかっている感じがしていたのですが、吐いたことがよかったのかもしれません。胃の辺りのムカムカがなくなりました。それが体調をよく感じさせたのかもしれません。そのまま体調は回復に向かい、その日の午後には気分もよくなり、翌朝には身体のだるさも感じなくなっていました。
 翌日は仕事に行き普通に仕事をすることができました。帰宅してからも体調が悪化することもなく普通に過ごすことができました。ただし、土曜に耳鼻科で処方された薬を飲むのをやめました。日曜朝に吐いたのが薬を飲んだあとだったからです。なんとなくあの薬が僕の身体に合わなかったように思えたからです。
 さて、体調が回復したと思っていた月曜の深夜2時ごろ、また胃の辺りがムカムカして眠りが醒めてしまいました。自分でもどこが苦しいのかはっきりとわからないのですが、とにかく胃の辺りというか胸のあたりというか、その辺りが苦しくて寝ていられなかったのです。僕は布団の中で身体を右向きにしたり左向きにしたり、はたまた屈めてみたり伸ばしてみたり、もちろん腹式呼吸もしました。
 僕は2年くらい前から動悸が感じられるようになっていました。心臓の辺りがドキドキするあれです。ひどいときは首の辺りで血液が「ドクドクッ!」っと強く流れるのを感じられることもあり、そのときはとても息苦しく感じていました。
 しかし、もう50才の半ばも過ぎていますから「動悸は起きて当然」という意識でいました。ですから、腹式呼吸で動悸を抑える方法をある程度会得していました。お腹の中に空気をたくさん取り込み、息を止めてその空気を心臓の辺りまで引き上げそしてその空気で心臓の鼓動を掴むようなイメージでそのあとはゆっくりと息を吐くのです。そうしますと、心臓のドキドキ感が吐く息のペースに引きずられる感じになり、ドキドキが収まる。このようなやり方で動悸を鎮めていました。大体8割くらいの確率で成功します。
 その日、息苦しさで目が醒めたときも動悸を全く感じなかったということはなく少しは感じていました。しかし、最も不快に感じるのは胃の辺りというか胸の辺りというかその辺りのムカムカ感です。そのような状態でしたが、一応複式呼吸も施していました。ですが、その日は一向に回復する兆しがありませんでした。
 結局そのまま朝を迎えることになったのですが、早朝の4時頃には布団に入って横になっている態勢が辛く居間に行き一番辛くない姿勢で座ることにしました。
 そのような状態でウツラウツラした精神状態で朝を迎えたわけですが、僕は「いつも通院している内科の病院」に朝一番で行くことに決めました。僕は開院時間である9時が来るのを待ち、車で向かいました。
 そのときの症状が今でも不思議なのですが、自分では息苦しさよりも胃の辺りというか胸の辺りのムカムカ感が一番辛い感覚でした。しかし、実際に病院に行って診察を受けてみますと、そのときの僕の不快感の大半は息苦しさ、つまり心臓に起因していたようでした。
 ようやっとの思いで病院に着き先生に症状を話しますと、いつもは僕のほうをあまり見ずにパソコンの画面を見ていることが多い先生が、その日は僕の表情や身体全体の雰囲気を丁寧に見ているようすでした。
 実は、僕はこの病院に来る前からある程度自分の病気を予想していました。それは数ヶ月前に、やはり熱は出ないのですが身体が重いときがあり、そのときは「お腹の風邪」と診断してもらっていました。そのときは薬を処方されてすぐに回復しています。ですから、今回も同じような展開になると予想しながらこの病院に来たわけです。
 ところが、先生は僕の話を聞きながら僕の話し方や症状を聞き、そして僕の身体全体の雰囲気を診ると、「ちょっと違うような気がします」と言って、僕をベッドに寝かせ触診をはじめました。お腹を数箇所押して痛いかどうかを聞いたあと、「ちょっと心配なことがあるので血液検査と心電図をとりましょう」と言いました。
 ここから話は急展開します。
 血液を採取され、診察室の隣の部屋でベッドに寝かされ身体中に細い電線をつけられました。そして、数分しますと看護士さんや先生の動きが慌ただしくなりました。なにやら心電図を見ながら先生と看護師さんが緊迫した雰囲気で話をしています。
 どれくらい経ったでしょうか。しばらくすると、先生が僕に話しかけてきました。
「ちょっと今、危険な状態ですので救急車を手配しました。このまま大きな病院に転院して入院することになると思います」
 青天の霹靂とはこのことです。ほんの1時間前まで入院という言葉など考えもせず、単に風邪の重い症状と思っており、病院で薬さえもらえればすぐに治ると思っていた僕です。それから少しして救急車が到着し、ストレッチャーに乗せられ救急車の中の人となりました。
 続きはまた来週…。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする