<救急車ナウ 2 >

pressココロ上




 先週の続きです。
 突然の展開で救急車の中の人となった僕ですが、意識はしっかりとしています。ただ心臓のドキドキ感を強く感じるだけです。先週も書きましたように、僕が病院に行ったのは胃の辺り胸の辺りにムカムカ感を感じたからです。強いていえば、少し痛みも感じていたでしょうか。ところが、先生から「心電図で異常が見つかった」と伝えられたときからムカムカ感と痛みはどこかにいってしまい、心臓のドキドキ感だけが感じられるようになっていました。
 僕は救急車の中で不思議な気持ちになりながら、救急隊員の方に氏名などを聞かれ、それに答えながら車内を見渡しました。車内は思っていたよりも狭い感じがしました。壁にはいろいろな器具とともにヘルメットがかかっていました。
 そんな車内を見渡しながら僕はあることを思い出していました。
 「あること」とは病院で血液検査をしてくれた看護師さんのことです。昔と違い今は看護婦さんとは呼ばず看護師さんと呼ぶそうです。しかし、ここでは敢えて僕は看護婦さんと呼ぶことにします。それは看護婦さんという呼び名のほうが似合っているからだったからです。
 年の頃は40才前後でしょうか。かなりかわいい部類に入る顔立ちでした。たぶん若い頃はとてもモテたであろうその顔立ちは誰かに似ていました。採血をされるとき、僕は息も絶え絶えの状態でしたので下を向いていました。そして、針を刺され注射器に血液が少しずつ入っていくときに看護婦さんが声をかけてくれました。
「大丈夫ですか?」
 僕はその声に答えるように顔を上げたとき、初めてその看護婦さんの顔をはっきりと見たのでした。
「あ、あの人に似ている」。
 僕はそう思いながら、昔活躍していたアイドルの顔を思い浮かべていました。しかし、息も絶え絶えの状態ですから、思うように頭が働きません。「ええ、なんとか」と答えながら一生懸命考えましたが、やはりどうしても思い出せませんでした。
 僕は採血のあとに心電図をとられていました。そのときにその看護婦さんがいろいろと世話をしてくれました。そうされながらなんとか「あの人の名前」をい思い出そうとしましたが、やはりダメでした。
 そうこうしているうちに救急車内の人となったわけですが、走っている最中も頭の隅で「あの人の名前」が気になっていました。
 人間はなにかを思い出そうとするときに必死に考えます。ですが、考えれば考えるほど思い浮かばないことがあります。僕はその状態でした。しかし、人間の頭の中というのは不思議な構造になっているようでほんのちょっとしたことで思い出すことがあります。「ほんのちょっとしたこと」とは救急車が揺れたときです。もちろん激しい揺れではありません。ちょっとした揺れです。
 僕は救急車がちょっとだけ揺れた瞬間に思い出しました。半分はあきらめかけていただけにうれしさがこみ上げてきました。
「石野真子さん…」
 ようやっと思い出した喜びもつかの間、僕は救急車から降ろされ救急治療室に運ばれました。僕はストレッチャーに乗せられたまま治療室に運ばれたのですが、僕の状態はといえば寝たままの状態です。救急患者用の入り口から入っての2番目の部屋に入れられました。そして、ストレッチャーからベッドに移し変えられたのですが、ベッドに寝た瞬間に若い看護師さんたち5~6人に囲まれ、僕は身体中にいろいろな器具をつけられました。まな板の鯉とはまさにこの状態です。僕はただ天井を向いて寝ているだけでしたが、その素早い動きと手際のよさには驚かされるばかりでした。器具を取り付け始めるときにひとりの看護師さんがいいました。
「いろいろなところから手がたくさんでてきますから…」
 看護師さん5~6人がいっせいに機敏に動く様はまさにいろいろなところから手が出てくる感じです。5~6人の看護師さんですから本来なら最高でも12本の手しか出てこないはずですが、僕の印象ではもっと多くの手が僕の身体のうえを走り回っていた感じです。まるで千手観音さまならぬ六人観音さまのようでした。
 そうやってたくさんの器具を取り付けられている僕に30才くらいの医師が自分の氏名を名乗りながら声をかけてきました。この若い医師が僕の担当のようでした。その医師は僕に尋ねてきました。
「これまでに息苦しいとか、そういう症状が出たことはありますか?」
 そのようなやりとりを幾度かしていますと、そこにもう少し年長の医師がやってきました。僕と若い医師とのやり取りを聞いていたその中年の医師は僕たちのやり取りが一段落したところで僕たちの会話に入り込んできました。中年医師も氏名を述べると「担当であること」を僕に告げました。
 しばらくすると若い医師が僕の横に椅子を持ってきて座り話しかけてきました。
「今までにやったことがあるように、腹式呼吸で動悸を収めてみてもらえませんか」
 僕はこの医師とのやり取りの中で「自分の動悸の収めかた」を話していました。若い医師は中々収まらない僕の心臓の早い脈打ちを正常にしたいと思っていたようでした。僕は言われるままにいつもやっているように腹式呼吸をしたのですが、場所が場所です。しかも状況も状況ですから思うように精神を集中することができません。幾度か試してはみましたが、思うような結果は得られませんでした。それはモニターを見ていた医師もわかったようでした。
 それからしばらくすると、今度は中年医師が話しかけてきました。なにかしら説明をしているのはわかりましたが、詳しい内容まではよく聞こえませんでした。ただひとつ聞こえたのは
「一瞬だけ心臓を止めますので、気持ち悪くなるかもしれませんが、すぐに治りますから」
 僕は心の中で驚きました。「えっ!」
 僕が驚いているのもつかの間、「はい、いきます」。
 心臓だけではなく気持ちまでもがドキドキ感に襲われました。
「いったい、どんな気分になるんだろ…」
 ここまできますと、自分の感覚もどこまでが実際のことでどこからが気分的なものなのか、さっぱりわからなくなっていました。言われてみれば、気持ち悪くなったような気がしたような気がしますし、しなかったような気がしないでもありません。とにかく、それから少しして心臓のドキドキ感が収まっていくのがわかりました。
 僕は「一瞬、心臓を止めますから」といわれたときからずっと目を瞑っていたのですが、そのあとに聞こえてきた中年医師が若い医師に話しかけた言葉が耳に残りました。
「元に戻らなくて、ちょっと焦ったな…」
 この言葉はなにを意味するのでしょう。今でも不思議な気分になります。
 結局、その後は救急用のベッドで一日中安静にしていることになり、その間に妻に連絡をしたり息子に連絡をしたり、でドタバタが続きました。僕がこの日で一番辛かったのは注射を打たれることでした。点滴や検査のための採血も含めて、朝から数えて20回くらいは打たれています。しかも両手はもちろん足首から太ももの付け根までいろいろな箇所に打たれました。しかも下手な人にあたりますと、針を刺したあとに血管を探しているような動きをされたときは涙が出てきました。その看護師さんは血液を吸い取れなかった注射針を抜き取ると、何食わぬ顔で立ち上がりました。
「新しい針を持ってきますので…」
 看護師のみなさん、是非とも採血を上手にできるようになってください。
 僕がベッドで横になっていますと、救急治療室で僕の担当をしてくれた中年医師がやってきて「入院できますか?」と聞いてきました。僕は「いや、ちょっと仕事もありますんでそれは無理…、ムニャムニャ」。
 結局、翌日に外来に必ず来ることを条件にその日は帰宅することを許可されました。翌日、外来に行きその先生の診断を受け、「薬を服用しながら、状態をみて今後の治療方法を考えていきましょう」といわれ、現在に至っています。
 じゃ、また。




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