<環境を変える>

pressココロ上




 今読んでいる本は、僕が信頼している経済評論家の山崎元さんの本です。山崎さんは主に経済に関する本と転職に関する本を書いていますが、今の本は後者のほうです。
題名は「会社は2年で辞めていい」ですが、普通の大人とは違う視点に興味深く読んでいます。僕も意外と普通の大人なので「せめて3年くらいは辛抱しないと、その仕事の本当の姿や価値はわからない」と思ってしまいます。
 ですが、山崎さんの主張には頷ける部分も多く、「自分に合わないと思ったらさっさと辞めても問題ない」という意見には一理あるように思いました。大分前ですが、アビリトコーナーで「人の悩みのほとんどは人間関係である」という箴言を紹介したことがあります。この箴言は、特に職場に当てはまると思いますが、やはりどうしても合わない人はいます。そうした人が後輩ならまだしも同僚や上司であったなら、その職場は地獄です。そうした環境から逃れる方法は転職以外にありません。「異動を待つ」という方法もありますが、異動は会社が決めることですので、自分が選べる手段ではありません。
 普通の大人は「辛抱ができない人はほかの職場でも長続きしない」などと言いますが、次の職場では水が合って楽しく働けるかもしれません。
 少し前に、20代半ばの若い人と話す機会がありました。彼は調理の専門学校を卒業したあとに複数の業態を展開しているチェーン店に就職しました。彼は、今は一般的な和食の店で働いていますが、最初の配属は高級和食店でした。「一般的な」とは客層や価格帯がファミレスと同程度という意味です。しかし、最初に配属になったのは高級和食を提供するお店だったそうです。複数の業態を展開していますので、同じ和食でも高級感溢れる料理を提供する店と値ごろ感溢れる料理を出す店に分かれています。
 さて、本格的な高級和食店に配属された彼は、それこそ人間関係に悩んだそうです。周りが厳しい先輩や上司ばかりで、緊張の連続で疲れ果てたそうです。飲食業の世界は職人の世界といわれますが、職人は口下手で寡黙で、「口より先に手が出る」のが普通と思われています。実際に、彼の配属先の先輩方はそのようでした。
 彼の一番の悩みは同じ年頃の同僚がいないことでした。そんな中で厳しい先輩たちに囲まれていては心が休まる暇がなかったろうと思います。
 彼は退職を願い出たのですが、それがきっかけとなり現在の職場に異動になったわけです。今の仕事場は楽しいと話していました。やはり、職場は人生の中でかなりの時間を過ごす場所ですから、そこが「楽しい」のと「辛い」のでは人生に与える影響は計り知れないものがあります。
 今紹介しました例は、彼が働いていた企業がある程度の大きさの規模で、企業としての姿勢も社員の職場環境に配慮をする企業だったからできたことです。しかし、そうでない企業もたくさんあります。そうしたときに当事者ができる対応は転職しかありません。それを普通の大人は「逃げの転職」などと表現することがあります。
 学校でのいじめが事件になりマスコミなどで報道されることがあっても、いじめはなくなりません。少し前に「スクールカースト」という本を紹介しましたが、学校という狭い世界では自分の居場所を見つけられるとは限りません。そうしたときに転校という手段は有効な対応策です。というよりは転校しか当人が気持ちよく過ごせる場所を見つけることはできません。
 普通の大人は、「次の学校に行っても同じかもしれないよ」などと言って転校を思いとどまらせようする人が多そうです。ですが、仮にそうであったとしても再度転校すれば済むことです。山崎さんの本にはそうした発想が書かれています。
 これまでに幾度か生物学者の教授の本が売れたことがあります。そうした本の共通した面白いところは人間の世界でも通用しそうな少し変わった発想が書いてあることです。昨年100万部を越えたのは阿川佐和子さんの「聞く力」という本です。この本は土曜日の朝に放映している「サワコの朝」というテレビ番組を土台にしていますが、昨日は生物学者として有名な長沼毅さんが出演していました。
 僕はこの番組を見るまで知りませんでしたが、長沼さんはすでに有名な方のようでした。いろいろなテレビ番組に出演していたことをあとから知りました。僕はテレビを、特にバラエティ番組を観ませんが、テレビというメディアが常に新しい人を探していることを実感します。3~4年前の渡部陽一さんもそうですが、少し風変わりな人生を歩んでいる人を探す努力を常にしているように思います。
 さて、番組の中で長沼さんは「チューブワーム」という植物について説明していました。長沼さんによりますと、海底2000メートルに生息するその植物は生存競争に敗れた結果、どんどん海底の奥底に居住場所を移動させたそうです。普通ならそのような環境では生きていけないそうですが、チューブワームは生きる場所がそこにしかないことから、自分自身が変化をしていったそうです。チューブワームの計上は台所のシンクの排水口からつながっている蛇腹の管のような形をしていますが、その形はその場所で生きていくのに最適な形状のようです。僕にはチューブワームの生き方が人間の生き方の参考になるように思えました。
 社会に出て働くということは、自然と競争に参加することです。そして、競争は常にゼロサムゲームですから、負けたほうは同じ場所に留まることはできなくなります。IT社会ではよく「winwin関係」という言葉が言われますが、これも「winwin関係」のグループに属していないグループが「loss」の状態になっていいます。世の中に「loss」組はたくさんいます。
 ですが、長沼さんのお話を聞いていますと、「loss」組であろうとも、場所を変えることで立派に生きていけるような気がしてきます。冒頭で紹介した彼も最初の職場では先輩たちから「loss」組の烙印を押されていたと想像できます。しかし、今の職場で気持ちよく働けているなら、それに勝る働き甲斐はありません。
 学校という環境にいる人も、企業という環境にいる人も、そして市場競争という環境にいる人も、今の環境が合わないのなら「場所を移動する」、「変更する」ことを選択肢のひとつにくわえることもひとつの対応策です。
 もし、学校という場でいじめに遭っていたなら転校することもひとつの選択です。企業という場で不必要な人材という冷遇を受けていたなら転職もひとつの選択です。市場競争の場で利益が出なくなったのなら撤退することもひとつの選択です。
 今の環境がどうしても辛かったなら環境を変えることは「逃げ」とは限りません。生きる術のひとつです。「逃げ」と批判する普通の大人は、自分ができなかったことの裏返しで批判しているのかもしれません…。
 自分のやりたいように、生きたいように生きてこそ、生まれてきた意義があるというものです。そんなことを考えさせられた長沼さんのお話でした。
 ところで…。
 僕が大人になる過程において、「数字を多めにいう人が多い」という感想を持つことがたびたびありました。タクシー会社でも営業売上げを多めに言う人が少なからずいましたし、ラーメン店時代も月商を多めに言う人がいましたし、保険代理店時代も契約高を多めにいう人がいました。
 こうした心理の背景には、自分を大きく見せたいという虚栄心が潜んでいることがあります。多かれ少なかれ、誰しもそうした心理を持っていますが、そのことによって実害が出るときは問題があります。
 先日は、現在40代半ばの元ラーメン店で働いていた男性と話す機会がありました。その方が30代半ばに勤めていたラーメン店の売上げについて「年商で4~5億円くらいいっていた」と話していました。しかし、お店の大きさを尋ねたとき、僕としては辻褄が合わない気持ちになりました。
 お店の席数はわずか18席です。男性の話では「行列ができていた」とのことですが、営業時間は朝の11時から翌朝の5時までです。つまり、営業時間は18時間です。この間休憩時間もなく、また行列も途切れることがない、としましても、1日の来客数は多く見積もっても、1時間に18席×2.5回転として45人、それの18時間ですから810人となります。客単価はラーメン専門では1,000円くらいでしょうから、1日の売上げは81万円です。
 そうしますと、月商は81万円×30日=2430万円で、年商は12ヶ月ですから2億9,160万円、約3億円です。男性が話していた年商とは大分離れてしまいます。
 虚栄心といったかわいげのある理由で数字を多めにいうのは多少許せるとして、意図的に多めに数字を言い、それで暴利を得ようという場合は許せるものではありません。数字を聞くときは、その根拠となるものをしっかりと見極めることが大切です。
 実は僕、2日前から風邪をひき、喉の調子がおかしくなり、声が出なくなってしまいました。なので、昨日から一言も言葉を発していません。
 じゃ、また。




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