今、僕がハマっているのはNHKの朝ドラ「あまちゃん」です。昨年の同時期に放送されていた「梅ちゃん先生」にもハマりましたが、「あまちゃん」も負けないくらい、もしかしたらそれ以上にハマっているかもしれません。最初の頃は、リアルタイムで観られるときだけ観ているだけでした。それでもある程度は話の展開がわかりましたので、それでも満足していました。しかし、最近ではあまりの面白さにリアルタイムで観られないときは録画までして観ています…。
ひとつ前の「純と愛」は視聴率が物語っているように、僕も面白さを感じませんでした。脚本が「家政婦のミタ」と同じ人という触れ込みで期待が大きかっただけに残念な結果でした。やはり、実力がある脚本家でも当たり外れがあるようです。
「あまちゃん」の脚本家は宮藤官九郎さんですが、僕が宮藤さんを知ったのは娘からの情報でした。今から大分前、7~8年くらい前でしょうか、娘はお笑いと劇団にハマっていました。その劇団のひとつに大人計画という松尾スズキさんが主宰する劇団がありました。そこに所属していたのが宮藤さんでした。
因みに、その頃に娘が一番ファンになったのは阿部サダヲさんでした。2年前にヒットしたドラマ「マルモのおきて」で主演を務めていた俳優さんです。阿部さんが俳優仲間と組んだバンド「グループ魂」のコンサートによく行っていました。
その頃から宮藤さんについては関心を持っていましたが、次に僕の関心の領域に入って来たのはギャグ漫画家・しりあがり寿さんの原作「真夜中の弥次さん喜多さん」の映画監督を務めたときです。
僕がしりあがり寿さんを知ったのは週刊誌に連載されていた「オーイ・メメントモリ」を読んだときでした。その視点の面白さが僕の感覚に合致していました。僕の好きな二人が、また僕が好きな筑紫哲也さんの番組に映画の宣伝で登場していました。
この3人のように全く畑違いの人たちですが、その人たちに実はつながりがあったことをあとから知ることが度々あります。偶然か必然かわかりませんが、僕が好きな人とか関心を持つ人というのは自然と遭遇するようになっているように思います。「類は友を呼ぶ」の世界なのでしょうか。
さて、「あまちゃん」で魅力を発揮している俳優さんに松田龍平さんがいます。わざわざ言うまでもありませんが、あの松田優作さんの息子さんです。たぶん、僕の世代では印象に残る名優の上位に入ることは間違いのない個性派俳優でした。「太陽にほえろ!」での最後の場面で銃弾を受けたお腹から流れ出る血を押さえた手を見ながら言う台詞、「なんじゃ、これゃぁ」は永遠に語られる名台詞です。
優作さんは40才という若さで病に倒れてしまいましたが、龍平さんはその魅力を引き継いでいる感があります。「あまちゃん」の役柄では少し違いますが、風貌からは優作さんの野生的な臭いが漂っています。
これもまた、わざわざ言うまでもありませんが、優作さんにはあとひとり息子さんがいます。龍平さんの弟にあたりますが、松田翔太さんです。翔太さんからは優作さんの繊細な部分がにじみ出ています。この兄弟を見ていますととても不思議な気分になります。それは、兄弟同士はあまり似ていないのですが、どちらも優作さんの息子であることが伝わる、感じられる雰囲気がするからです。
また、どちらにもいえることですが、有名で個性的なあの松田優作さんの息子でありながら、どちらも淡々としています。気負っていないところが魅力です。やはり、有名な親と比べて見られるのは宿命です。ですから、どうしても力んでしまうのが普通だと思いますが、どちらもそうした素振りが感じられないのは、優作さんの遺伝子なのかもしれません。
僕は本が好きですが、その中でもノンフィクションを好んで読みます。そのノンフィクション作家は小説家ほど多くはありません。たぶん僕の想像では、取材など執筆を始めるまでに時間と費用がかかり、割りに合わないからだと思っていますが、どうでしょう。
このような特質を持つノンフィクション本ですので、僕が興味を持つ題名を書いている作家もある程度限られてきます。その中に、松田美智子さんという作家がいます。
この方の本を最初に読んだのは「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を取り上げた本でした。この事件は、人間が抑圧された環境の中にいると、強者に迎合していく精神構造になることを教えてくれていました。美智子さんは、新潟で起きた女子児童監禁事件についても本を書いています。
こうした傾向の本を得意としている美智子さんに僕は興味を持っていましたが、ある日その美智子さんの自伝を見つけました。そして、松田優作さんの最初の奥さんだったことを知ったのです。そのときの驚きは忘れもしません。
ここでも、僕の好きな人がつながりました。
美智子さんの本は人間が精神的に追い込まれている事件が多いですが、最近はそうしたニュースが続いています。兵庫県尼崎市の連続変死・行方不明事件や大阪府堺市でも同じような事件がありました。どちらも「強者に精神的に支配されて崩壊させられる」人や家族の事件です。実は、こうした事件は今に始まったことではなく、10年くらい前にも福岡県で起きた記憶があります。こうした事件で僕が不思議に思うのは、「どうして、逃げるなり反抗するなり、抵抗しないのか」ということです。
僕が想像するのは一番最初の対応のまずさです。その第一歩を間違えたばかりに強者に押し込められ徐々に精神的に追いつめられていったように思います。大切なのは、最初の一歩です。
そして、こうした対応は飲食業やサービス業といった接客業に共通する第一歩の対応に似ています。少し前に、本コーナーで宮本照夫氏の「学校が教えてくれない…」を紹介しましたが、接客業の難しさを指南しています。接客の第一歩を間違えると、お店は潰れます。曲者は最初はにこやかに、そして少しずつ心の隙に入り込んできます。そして、タイミングを見計らって一気に主従関係を構築します。こうなってはもう手遅れです。そうなる前に食い止めなければいけません。肝心なのは第一歩です。
もう大分前のことになってしまいましたが、日本は戦争をしていました。たぶん、そのはじまりはほんの些細な出来事だったでしょう。軽い気持ちで、遠く満州での事件だから「頑張れ」くらいの気持ちだったかもしれません。しかし、それがいつしか、戦争に反対することは非国民というレッテルを貼られることになり、全体主義という強者に従わざるを得ない雰囲気になっていきました。そうなっては、もう手遅れです。意見を言う自由を制限される社会にならないようにするには、そうなる前に意志を伝えることです。
肝心なのは最初です。選挙には行きましょう。
じゃ、また。