<原稿>

pressココロ上




 先々週、安倍首相のスピーチについて書きました。「自信を持って読んでいる」と表現しましたが、それを可能にしているのはスピーのチ原稿に全幅の信頼をおいているからです。実は、僕は今の安倍首相のブレーンを評価しています。
 安倍さんが首相に就任して約1年が経ちますが、当初僕は安倍首相に期待をしていませんでした。それは、前回の辞任をする際に無責任な感じがあったからです。多くの人が「投げた」イメージを持ったと思います。途中で投げ出すような政治家に首相の資格があるとは思えません。ですから総裁を選ぶ選挙でもほかにふさわしい人がいたなら選ばれることはなかったと思っています。
 その安倍さんが首相になれたのは、いろいろな風向きが安倍首相になびいたからにほかなりません。昔ふうにいいますと、時の運に恵まれたということでしょうか。
 しかし、総理に就任してからの安倍首相は前回とは違った雰囲気が漂っていました。それは自信です。とにかく自信にあふれているように見えました。たぶん、きっと、安倍さんは周到な用意と心構えで総裁選に臨んでいたのでしょう。就任後の矢継ぎ早に発表された政策がそれを物語っています。
 最もポピュラーなのはアベノミクスですが、僕が最も印象的に感じていたのは外遊の多さです。あれだけ世界中を飛びき回ってよく体力が続くものだと感心していました。
 常識的に考えて、首相という立場は内政から外交、そして経済といろいろな問題に対処しなければいけません。例えば、福島原発の汚染問題もそうですし、消費税の決断もそうです。また、外交では中国や韓国との懸案もあります。もちろんこれ以外にも解決しなければいけないことが山積しているのが首相という仕事です。
 そして、それらを的確に判断して処理しなけらばいけないのですが、実際問題としてそれらをこなすのにはひとりの力では到底無理です。いろいろな問題は順番を考えて整列してやってくるのではありません。ときには一度に同時に襲ってくることもあります。そうしたときに首相がひとりでそれらの諸問題に対応するのは、誰がどう考えても無理です。
 そうした問題を適正に処理するには、自身の周りに有能なスタッフが必要です。しかもただの有能なスタッフではいけません。同じ考えを持ち、同じ感覚を備えていて、同じ情熱で行動できるスタッフです。そうしたスタッフがいなくては首相を務めることはできません。
 就任以来の安倍首相を見ていますと、安倍首相にはそうしたブレーンがいるように感じます。それはスピーチから察することができます。もちろんスピーチの内容の是非はあります。批判的な意見もあるのは承知していますが、それでもスピーチの内容からは世の中の動向を読み、社会の流れを察している感じが伝わってきます。
 ときには的が外れているように感じることもありますが、すぐにそれを修正する能力にも優れているように思います。そうした対応がこの1年の間、大きく支持率を下げることなく首相の仕事をこなせてきた理由だと思います。
 僕は今、朝日新聞を購読していますが、先週平田オリザ氏が安倍首相のスピーチについて寄稿していました。平田氏を全国区にしたのは鳩山氏が首相だったときの内閣官房参与への就任です。平田氏の本業は劇作家ですが、僕も名前くらいしか知りませんでした。たぶん、演劇で言葉を創作する人ですからスピーチの原稿を書くのには適任と抜擢されたのでしょう。
 ですが、結果としては失敗だったのではないか、と僕は感じています。鳩山首相は宇宙人などといわれていましたが、それは発言が突拍子もないことが多かったからです。そして、その責任の一部は平田氏にもあったように思います。今回の平田氏の寄稿を読んでそんな印象を持ちました。
 平田氏は寄稿の中で、安倍首相のスタッフの有能性を認めつつも、自身が鳩山首相に書いた原稿については「支持率が下がったことでスピーチの内容に制約を受けた」と書いています。しかし、支持率が下がったのはスピーチが受け入れなかったからで、その点において本末転倒のように思います。
 実際、もう大分時間が過ぎていますから定かではありませんが、鳩山首相のスピーチは世の中の動きや流れとは的が外れた内容が多かったようなイメージが残っています。そして、その原稿が平田氏によるものだとすると鳩山氏は人選を間違ったのではないでしょうか。その意味でも鳩山氏は首相にふさわしくなかったといわざるを得ません。
 今回、平田氏の寄稿を読んだことで久しぶりに民主党政権時を思い出しました。民主党政権を評価するなら、残念ながら民主党政権は「やっぱり自民党しかいない」という自民党の政権能力の高さを示す役割をしただけだったように思います。それにしても、民主党が政権をとったときのあの気持ちの高まりは忘れられません。
 同じような気持ちの高まりを感じたことが今から十数年前にありました。レーガン大統領とゴルバチョフ大統領が会談したときです。冷戦の終結を予想させる新聞の文字に興奮したのを思い出します。
 そのとき僕は冷戦がなくなったあと、世界に平和が訪れることを期待しました。ですが、結果は正反対でした。冷戦という重しがなくなったことで、紛争が多発したのでした。そして、米国一強の世界が続きましたが、それも結局行き詰まりを見せています。
 世の中は原稿どおりに進みません。
 じゃ、また。




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