<リーダー>

pressココロ上




 本屋さんのビジネスコーナーに並んでいる本の題名を眺めていますと、ある傾向があるのに気づきます。それは命令口調のものが多いことです。例えば、「~しなさい」とか「~しろ」だとかそんな調子です。特に自己啓発の棚に多いのですが、世の中には命令されたがる人がたくさんいるようです。出版社は売れそうな本を出すことを常に考えていますから、好きかどうかは別にして命令調の題名が一定の売上げを見込めるのは間違いないのでしょう。
 また、ここ1年くらい前から題名に好んで使われている単語があります。それは「1%」です。僕の記憶では、最初に「1%」を題名に使っていたのは米国のコンサルタントの人が書いた本だと思います(違っていたらすみません)が、それから「1%」を使った題名の本を日本人の著者名で見かけることが多くなりました。
 そんな出版業界でいつの時代もコンスタントに出版されているのがリーダー向けの本です。リーダーになるためのノウハウが書かれているのですが、上昇志向が強い若い人はいつの時代もいることの証拠です。
 若い頃は誰しもヒーローに憧れます。そして、ヒーローとは人の上に立っているのが普通です。誰が見ても人の上に立って多くの人に指示を出している姿は格好がいいものです。多くの部下を持っていることはサラリーマンのステイタスにつながります。ですから、人は出世を望むのでしょう。
 そうした欲望をあからさまに口にするのは恥ずかしくてできませんが、多い少ないの違いはあっても誰しも心の中に持っているはずです。
 中には、出世欲を前面に出す代わりに「給料が上がるから」などといった理由を述べる人もいます。ですが半分の本心は、人の上に立ちたい病に犯されているはずです。
 しかし、誰もがリーダーを目指したなら必ずその組織は崩壊します。ですから、組織は上下関係を作るために工夫します。
 久しぶりにテレビ界で高視聴率を出した半沢直樹ですが、銀行という組織は民間企業の中では最も官僚的といわれています。そしてそのことは、常に競争に晒されていることでもありますが、勝者と敗者が生まれることです。
 ヒエラルキーの象徴のようにいわれる官僚ですが、官僚は課長あたりまでは同じペースで出世をします。そして、そこから先で差がつくそうです。で、競争に敗れた人はどうするかといいますと、天下りをすることになります。こうしたことから、組織が常に高いレベルの人材を確保しておくために天下りが重要な役割を果たしていることがわかります。天下りとは、官僚内の競争で負けた人の進路にほかなりません。
 同じことが半沢直樹がいる銀行内でも起きています。銀行の場合は天下りとはいわずに出向といっています。しかし、銀行が官僚と違うのは出向が即、敗退を意味するとは限らないことです。銀行の世界では出向のあとに戻ってきて、そしてもう一度競争に参加することもあります。
 官僚や銀行のように競争に負けた人材の受け皿があるところはいいですが、多くの企業では受け皿がありません。多くの企業は受け皿にならざるを得ない側のほうです。では、受け皿がない企業はどうするか。答えは決まっています。競争に負けた者は指示に従う側にならざるを得ません。
 サラリーマン社会で辛いのは上司が年下の場合だそうです。僕はサラリーマンの経験がほんの数年間ですので実感したことはありませんが、中年になってからいろいろなバイトを経験していますので似たような感覚はわかるような気がします。しかし、バイトという身分であきらめがついている者と同じ社員という身分で上下がはっきりしているのでは心境も違うとは思いますが…。
 天下り先や出向先がない企業にはこのような中高年がたくさんいるはずです。そういう状況を考えるとき、僕は「みんながリーダーになろう」と考えることに疑問符を持ってしまいます。
 詰まるところ、ほとんどの組織において指示を出すリーダーではなく、リーダーの指示に従う人がいなければなりません。全員がリーダーを目指す組織はきっとギスギスして憎悪が満ち溢れた空気にならざるをえないでしょう。そんな気がします。
 なので、僕は出世欲のない人も組織なり企業には必要ではないか、と思っています。福沢諭吉翁の論でいうなら「天は、人の上に人を作らず」なのですから、リーダーになりたいという発想自体が正しくないかもしれません。
 ところで…。
 ホテルのレストランでメニューに書かれてある食材に虚偽があったことが報じられました。謝罪会見に出た社長の表情はとても強面であり、ややもすると逆ギレでもしていると感じさせる印象を与えていました。たぶん、緊張感がさせていて、本当はあのような社長ではないように、僕は想像しました。
 ですが、多くの人はあの社長の「言い張り」と表情に憤りを感じたことは容易に想像がつきます。でも、僕があのニュースを見て一番に思ったのは、内部告発があるまで「誰もお客さんたちは見抜けなかったのかなぁ」ということです。
 味のわからない人たちが外見とか見てくれだけでなにも違和感を感じない世の中に、僕は疑問を持ちました。
 じゃ、また。




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