<普通>

pressココロ上




 先週はinternet explorerに問題点が見つかり、「使用不可を促す」報道がありました。日本の場合は、ネットを利用する人の約半分がinternet exploreを使っているそうです。結構、あわてた人もいたのではないでしょうか。
 僕もそのひとりでしたが、やはり心配でしたので2日間はgoogleのChromeに変更していました。現在はinternet explorerに戻していますが、Chromeを2日間使った感想としては、「使いづらい」ということです。Microsoftが喜ぶようなことを書きますが、やはりinternet explorerは使いやすいです。
 「毎日使っているから」ということもありますが、やはり「お気に入り」が左端にあることの便利さを痛感しました。しかし、もしかすると僕自身が「お気に入りが左端にあり、それを使うやり方に慣れてしまっている」からかもしれません。その意味でいいますと、「使いやすさ」という感覚も、普段の行動や振る舞いの中で醸成されている可能性もあります。
 このことは普通という感覚にも通じるものがあるように思います。つまり、普通という感覚は普段の生活の中で養われていくということです。
 理研のSTAP細胞論文問題において、小保方さんの論文が批判されています。その後、この論文の調査委員長である石井俊輔・理研上席研究員までが、自身の論文に疑惑があることを認め、辞任しました。
 「その流れの中で」といってもいいのでしょうが、ノーベル賞受賞者の山中教授までが「画像の切り貼り」疑惑を指摘されました。山中教授はすぐに会見を開き、疑惑は否定しましたが、実験ノートの保管に関してはミスを認め、謝罪しています。
 このような一連の状況を見ていますと、科学者といわれる業界では論文を発表することや実験ノートの保管に関する感覚が一様ではないように感じます。もう少し細かく指摘するなら、「一様でない」区切りとなるのは性差でもなく性格でもなく、世代による差のように思います。
 年長者の科学者と若い科学者では、その普通の感覚が違っています。些細なことですが、僕が学生だった時代頃からコピーという文化が社会に浸透していました。僕の世代は試験前に友だちから授業のノートのコピーをもらうのが普通の感覚でした。
 僕のような一般の学生と科学者の世界では、根本的なレベルが違いますが、似たような感覚はあるではないでしょうか。つまり、小保方さんたちの世代はコピペが普通であり、要点を正確に伝えるために、または強調するために実際の画像よりもきれいな画像に差し替えることはなんの問題もない、というのが普通の感覚ということになります。
 こうした感覚の違いがSTAP論文騒動の根底にあるように思います。
 年長者の科学者は「少しの変更も一切認められない」という感覚に対して、若い人たちは「成果を強調するための変更は認められる」という 感覚です。この違いは、まさに育った時代が異なることで生じたものです。
 少し違う話をしますと、今の時代は屋外で歩きながら飲んだり食べたりする行為をなんの違和感もなく行っています。まさに普通の感覚です。しかし、かつてはそうした行為は「はしたない」行為として捉えられていました。
 もしかすると「はしたない」という言葉も時代遅れというか、死語となっている可能性もありますが、普通という感覚は時代により変化するものです。因みに、マクドナルドが初めて日本で開業するときに一番心配したのは、「屋外で食べる」という行為が社会に受け入れられるかどうかでした。マクドナルドの創業は、大げさにいうなら、日本の生活様式を一変させるきっかけになったことになります。
 今では、電車の中で化粧をする女性の行為に対して論争が起きることもありますが、こうした行為も、かつてはありえませんでした。人前で化粧をすることを受け入れられる世代と受け入れられない世代が共存しているのが、今の時代です。
 「人前で化粧をする」ことで思い出したことがあります。記憶がおぼろげですが、作家の吉行淳之介さんは「人前で食事をすること」に抵抗感があったそうです。その根拠は口を開けて物を食べることが「まるで自分をさらけ出す」ようで恥ずかしかったからです。
 吉行さんからしますと、屋外で立ち食いすることや化粧をすることは考えられない感覚ということになります。
 このように普通という感覚は時代により、または個人により違うものです。それを逆手にとって悪用するのはインチキ宗教です。昔から、インチキ宗教は存在しましたが、その常套手段は相手の気持ちに自分たちの普通という感覚を摺りこむことです。これがマインドコントロールの第一歩です。
 インチキ宗教は、まだわかりやすいですが、巧妙に仕掛ける企業もあります。今週、本コーナーで紹介しています「ブラック企業経営者の本音」という本を読みますと、そうしたことを考えさせられる事例が幾つかあります。
 日本人といっていいと思いますが、日本人は基本的に真面目です。僕はいろいろな職場で働いている経験がありますが、どんな職場であっても末端で現場で働いている人たちは真面目です。「さぼる」ことや「手抜き」をする人よりも真面目に働く気持ちの人のほうが圧倒的に多くいます。
 もちろん、中には不真面目で「できるだけ楽をしよう」ということだけを考えているような人もいますが、そうした人はごく少数です。ほとんどの人が真面目にコツコツ働いています。
 日本人のこうした特性を悪用する企業がブラック企業です。悪用の仕方は「どんなにひどい労働環境であっても「みんなが頑張っているから」とか「今、辞めたら残った人に迷惑がかかる」とか、さらに自己啓発的なことでいうなら「辛いからといって、会社を辞めるのはビジネスマンとして失格である」とか「仕事から逃げるのは悪いこと」という感覚を持たせる、または植えつける方法です。
 劣悪な労働環境で働いている人は一度立ち止まって考えてみることが必要です。僕のサイトは脱サラのサイトですので、劣悪な環境であろうと自分の糧になるという気持ちで働くことを勧める気持ちもあります。
 ですが、単に「こき使うことだけ」を目的として従業員を雇用している企業で働くのはやはり避けるべきです。将来に役に立つことはなにもないといっても過言ではありません。強いていうならば、「世の中には従業員を人間とも思わないで働かせて暴利を貪る企業もある」ということを体験することぐらいです。
 ブラック企業に勤めていていいことはなにもありません。しかし、退職するのにも勇気があることもあります。ブラック企業ほど退職が容易でないような精神状態にしておくのが上手だからです。
 もし、退職する人を悪くいう従業員がいたなら、それは退職する勇気がない人の嫉妬心と考えても差し支えありません。もしくは、会社の幹部の回し者です。若い皆さん、仕事は簡単ではありませんし、厳しいものです。しかし、精神の自由まで拘束しようとする企業は働く価値がない企業と考えるべきです。
 韓国での船の沈没事件では、船内放送に従うか自分で判断するかが生死をわけました。第三者の主張や考えに従うかどうかを自分で判断することが大切です。本当の自分の感覚を磨くことを忘れてはなりませぬ。
 じゃ、また。




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