<ニセモノの意思>

pressココロ上




 5月31日は「タバコ禁煙デイ」だったそうで、ニュースでも取り上げられていました。僕は非喫煙者になってかれこれ3年ほどになりますが、喫煙者に戻る気持ちが沸き起こることもなく今日に至っています。
 僕はサイトにて「禁煙をする前に」というテキストも書いていますが、読んでくださっている方は1週間に1~2人くらいでしょうか。禁煙を考えている方々の背中を押す役割が少しでも果たせれば幸いです。
 冒頭で「喫煙者に戻る気持ちが起こらない」と書きましたが、「吸いたくなる気持ち」が全く生じないわけでもありません。それこそ1週間に1~2回くらいは生じることもあります。しかし、強い衝動ということはなく、「なんとくなく」といった程度のレベルです。ですから、喫煙者に戻ったときのマイナス面とは比べ物にならないほどに弱い喫煙願望です。
 僕が禁煙に成功した一番の理由はなんといっても精神的な要素が大きく占めています。テキストでも書きましたが、タバコに含まれるニコチンにコントロールされている自分に嫌気がさしたからです。
 かつては「タバコを吸うという行為くらい自分の意思で決めたい」と考えていました。他人や行政から喫煙の自由を規制されることに反発を覚えていました。しかしある日、「吸いたい」という気持ちは自分の意思ではなく、ニコチンがさせているワザと思った瞬間に吸いたい気持ちがいっぺんになくなってしまったのです。現在、タバコを止めたいと思っている人が僕と同じ気持ちになり、禁煙に成功することを願っています。
 タバコを止めた立場なのでいえることですが、喫煙場所にたむろしてタバコを吸っている喫煙者の様には悲しいものがあります。もちろん、喫煙場所を必死に探している様も同様です。今の時代は、タバコを簡単に吸えない環境になっていますのでタバコを吸うのも一苦労です。
 今週の週刊誌の見出しには、覚醒剤で逮捕されたチャゲ飛鳥の飛鳥さんの記事が踊っていますが、覚醒剤の一番の罪は依存症にさせることです。もちろん廃人にすることも恐怖ですが、それも依存症にさせるからこそです。もし覚醒剤が依存症でなかったならいつでも止められますからそれほど恐怖ではありません。今の僕から見ますとタバコも依存症です。喫煙者が定められた狭い場所で吸っている様は依存症に侵された麻薬中毒者の症状と同じように僕には見えてしまいます。
 喫煙者だった頃、タバコの効用として「気持ちが落ち着く」ということを僕は上げていました。実際に、仕事などで区切りがついたあとの一服の安堵感は気分を落ち着かせるものがありました。しかし、今になって思いますと、それは自分の気分が落ち着くのではなく、ニコチンが「落ち着いた」に過ぎないのです。ニコチンが人間の身体に「吸う」ように仕向けていたのです。つまるところ、人間がニコチンにコントロール、言葉を変えるなら支配されていたことになるのですが、それでも喫煙者の方々はタバコを吸い続けますか!
 とまぁ、喫煙者を少しでも減らそうと厳しい意見を書いてきましたが、それは少しでも健康に害する行為をする人を減らしたいと思うからです。実は、今回コラムのテーマに禁煙を選んだのは、最近テレビなどのドラマで喫煙シーンが増えてきているのを感じたからです。以前の一時期、放送界では喫煙シーンをなるべく映さない暗黙の雰囲気があったように思います。
 僕が青春を謳歌していた頃はドラマで喫煙シーンはたくさんありました。たとえば、中村雅俊さん主演の青春ドラマや萩原健一さんや松田優作さんのアウトロードラマなどでは主人公がタバコを吸う場面が人気シーンとなることもありました。こういう人たちの喫煙する振る舞いがとても格好良かったのです。
 しかし、喫煙が身体に害を及ぼすことが指摘されるようになってから徐々にドラマなどでは喫煙シーンを減らしていたように思います。ところが、最近のドラマでは喫煙シーンがやたらと目に付きます。
 例えば、コラムでも紹介しました浅田忠信さん主演のNHK「ロンググッドバイ」では浅田さんは5分に1回は喫煙していましたし、現在放映されている西島秀俊さん主演の「MOZU」でも西島さんの喫煙シーンが多くあります。これらのシーンは明らかにタバコの弊害が指摘されている世の中の流れに逆行する傾向です。
 ですが、僕はドラマのシーンにおいてまで無理に喫煙シーンを避けるのには反対です。ドラマの流れの中で必然性があるときは喫煙シーンも必要です。逆に、無理やり喫煙シーンをカットしてしまってはドラマの魅力が損なわれるように思います。
 タバコが身体に害を与えるのは事実だとしてもそれを選択するのは個人です。僕はたまたま非喫煙者になりましたのでタバコを吸う行為に情けなさを感じるようになりましたが、そうでない人がいても不思議ではありません。基本的には、タバコを吸う吸わないは個人が決めることです。
 大切なのは、喫煙か非喫煙かではなく、それを選択する自由があるかないかです。そして、その自由を選択するときには本当の自分の意思であることが大切です。間違っても自分の意思ではなくニコチンなど自分以外のものにコントロールされたり支配されたりすることがあってはなりませぬ。
 先週、北朝鮮が拉致被害者または拉致を疑われる行方不明者の調査に合意したというニュースがありました。こうした被害者はまぎれなく自分の意思とは関係なく自由を奪われた人たちです。このような人たちを助けてこそ、国家の責任を果たすことになります。
 それにしても安倍首相の政権運営には感心させられます。集団的自衛権が物議を醸しているこのタイミングで拉致被害者の話を進展させることの意義は大きいものがあります。安倍首相が考える集団的自衛権が支持される契機になるかもしれません。ですが、集団的自衛権の先にあるのは徴兵制です。そして、徴兵制は自分の意思とは全く関係なく自由を奪われることです。若い人たちはそのことも認識しておく必要があります。大切なのは、自分の本当の意思の自由を確保しておくことです。
 それにしても、前にも書きましたが、今の安倍首相のブレーンは本当に有能な人が集まっている感があります。
 じゃ、また。




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