<流れ>

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 先々週のことになりますが、吉野家の中興の祖といえる安部修仁社長の退任発表がありました。飲食業を営んでいた僕としては感慨深いものがあります。脱サラをした当時、安部氏の本をよく読み返していたからです。
 安部氏はアルバイトからのたたき上げで社長になったことで注目された経営者です。吉野家は1958年に松田瑞穂氏が父親から継いだお店を企業化して設立された企業です。順調に成長し米国にも進出していましたが、結局は海外展開が失敗に終わり倒産したといわれています。
 倒産したのは1980年と僕がちょうど社会人になった年ですが、当時本を読んだ僕の印象では「海外に展開した」ことが原因というよりは、創業者が「個人商店から企業化するにあたり頭の切り替えができていなかった」ことが原因のように感じました。
 倒産したときに、多くの社員や幹部が辞めていく中でアルバイトだった安部氏たちが再建を目指して必死に働き1987年に再建を果たしています。この成功過程はマスコミでも多く取り上げられましたのでご存知の方も多いでしょう。
 それからの吉野家は牛丼業界で一人勝ちを続けるのですが、僕が印象に残っているのはライバル企業に先んじて低価格を次々と実現させていたことです。そのピークはスマップの中居君がCMに登場していた頃でしょうか。
 資本主義の日本では価格を企業が好きなように決めることができます。単純に仕入れ価格に利益を上乗せして価格を決めていいですし、ライバル社との差別化のために利益をある程度無視して価格を決めることも自由です。
 このように利益を無視して価格を設定しても、ライバル社が倒産したり撤退するなどしたなら利益無視価格も意味があります。ですが、ライバル社も追随するなら単に利益が減るだけですから、自分で自分の首を絞めることになります。
 そうした状況の中、当時僕が「すごいなぁ」と感心したのは安部社長は低価格を実現しながら利益も確保するシステムを確立してから低価格を推し進めていたことです。今でこそ、吉野家は牛丼業界で3番手になっていますが、当時はダントツのトップで利益を確保しつつ低価格を実現していました。僕は当時、こうした芸当は吉野家しかできないように思っていました。
 成長を続けていた吉野家ですが、時代は常に動いています。吉野家の業績が伸び悩むようになったきっかけはBSE問題だったと思います。覚えている方も多いでしょうが、2000年代に入ってすぐの頃にイギリスで伝達性海綿状脳症といういわゆる狂牛病とわれる牛の病気が発生し、それが世界に広がった事件でした。当時、牛丼業界は牛肉を米国から調達していましたが、この事件が牛丼業界に大きな影を落としました。
 この頃に安部社長は頻繁に記者会見を開いていた記憶が僕にはあります。安部社長は牛肉の調達を米国からの輸入にこだわっていました。安部社長曰く「おいしい牛丼を作るには米国産でなければならない」でした。
 しかし、すき家や松屋はいち早くオーストラリアなどほかの地域からの調達に切り替えていました。ですから、一時期は吉野家だけが牛丼を販売していないという時期がありました。そのときに豚丼を販売するようになったのですが、牛丼の販売を一時中断するときはニュースでも取り上げられるほど社会の関心を集めました。
 実は、僕は安部社長の一番の経営能力は「広告のうまさ」にあると思っています。もっというなら「マーケッティングのうまさ」です。記者会見などを開くこともそうしですし、一時中断する際に牛丼販売の最後の様子をニュースで取り上げるように算段したこともそうです。
 しかし、時代の流れというのは恐いもので、一度流れがひとつの方向にできるとその流れを押し留めることは難しいようです。「あれよあれよ」という間に業界3位に落ちてしまいました。そして、吉野家に代わって業界の盟主になったのがすき屋です。すき屋の成長も既に多くの人が知っていることですが、そのすき屋も現在苦境に面しています。
 すき屋が業界1位に上り詰めるまでの成長ぶりには目を見張るものがありました。M&Aをしながら順調に規模を大きくしていきました。そのすき屋の社長は小川賢太郎氏という方ですが、吉野家の安部社長とほとんど同年代です。
 そして、小川社長は吉野家に勤めていた経歴があり、吉野家が倒産したのを期に弁当屋で起業をし、そしてのちにすき屋を創業しています。こうして二人を比較しますと、安部社長と小川社長は対照的な人生を選んだことになります。倒産した企業に残り再建を目指した人生と、倒産した企業に見切りをつけて自らが創業した人生です。
 小川社長は安部社長とは違い、あまりマスコミに登場しません。このあたりも対照的な二人ですが、それよりも対照的なのはふたりの経歴です。安部氏が九州から上京してきたミュージシャンを目指していたアルバイトだったのに対して、小川氏は中退はしていますが、東大の学生でしかも学生運動に熱中していました。いわゆる全共闘でした。
 小川氏は今から数年前に一時期だけいろいろなマスコミに登場したことがあります。理由は定かではありませんが、当時はたくさんの取材を受けていました。そのときの雑誌のインタビューなどでは全共闘時代のことも隠さず話していますし、その後バリバリの資本主義者に転向した過程についても話しています。
 業界首位に上り詰めた後のすき屋はさらに飛ぶ鳥の勢いで成長しており、このまま栄光が続くのかと思っていましたが、やはりビジネス界というのはなにが起こるかわかりません。ネットなどでも盛んに指摘されていますが、今のすき屋は苦境に立たされています。そして、興味深いのがその理由です。すき屋が苦境に陥ったの理由は人員不足でした。
 僕は自分でお店を運営していたときに一番困ったのは人員の確保でした。飲食店は人海戦術の最たる業種ですので人員確保が最たる使命です。僕のお店は個人営業にしては広い店内でしたので妻と夫婦だけでこなすのは無理がありました。ですから、お昼のピークタイムには必ずパートさんが必要だったのですが、その確保にいつも悩んでいました。
 当時、僕は個人のお店ではなく企業のように大きなところは、人員不足といいながらもなんとかやりくりができるものとうらやましく思っていました。個人商店と違い、企業は、ある程度余裕の人員構成になっていると思っていたからです。ですから、今回のすき屋の閉店騒動は僕にとって驚きの事件でした。
 僕の生活圏でも幾つかのすき屋の店舗に「パワーアップ工事中」という紙が貼ってありありますが、まさか従業員が集まらなくて倒産することはないと思います。ですが、ほんの些細なことがきっかけで流れが変わることがあるのは過去の歴史が教えています。そして、気をつけなければいけないのは、流れがある方向に流れ始めると、その方向を変えることが容易ではないことです。これはいい意味でも悪い意味でも当てはまります。
 先週はAKBの選挙がありましたが、今のAKBはまさに大きな流れに乗っています。今のAKBですとなにをやっても成功する流れになっているように見えます。それにしても、いつまでAKBの総選挙がゴールデンで放送されるのでしょう。
 じゃ、また。




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