<目くらまし>

pressココロ上




 先週の話題のニュースといいますと、やはり兵庫県議会の野々村竜太郎議員の号泣会見でしょう。たぶん誰が見ても異常としか思えない光景でしたが、会見内容も支離滅裂でした。自分の不正を隠す意図としか考えられないような振る舞いでした。
 僕が驚いたのは市議会の議員ではなく県議会の議員だったことです。なんとなくですが、市議会ですと「変な議員」が当選することがあっても不思議ではない感覚があります。やはり議員の格でいいますと、一番格が高いのが国会議員でそれから都道府県の議員、そして区市町村の議員と選挙地域が狭くなるにつれて格も落ちていくイメージがあります。
 そうした先入観があるだけに、野々村氏が区市町村議員ではなく県議会議員であったことに驚きました。選挙で当選するのは並大抵ではありません。よく「地盤、看板、鞄」がの3つの「バン」が必要といわれますが、これらを揃えるには相当なエネルギーと工夫が必要です。ですから、その段階ですでにある程度「変な人」は排除されるはずです。そうした思いがあっただけに変な県議会議員が誕生していたことが不思議でした。
 一応解説をしておきますと、地盤とは「自分を応援してくれる人」のことであり、看板とは肩書きであり、鞄とは資金のことです。
 それはともかく、このような変な人が県議会議員に当選していたのは事実です。そして、それを実現させたのは選挙民です。このような論理からいきますと、最終責任は選挙民ということになりますが、僕は一概にそうとばかりはいえないように思います。理由は、人を評価することほど難しいことはないからです。
 たぶん社会人のほとんどの人が仕事上でいろいろな人と接していて人物評価の難しさを実感しているはずです。同僚や上司、部下や取引先の人たちです。知り合った当初は「合わない」と思っていた人があるときをきっかけに「好感」に変わることもありますし、その反対もあります。
 このように人を評価したり判断することは容易ではありませんので、たかだか2週間ほどの選挙期間で候補者の政治家としての資質を正確に評価することは不可能です。もちろんマニフェストや選挙公約も判断材料になりますが、それも限界があります。
 そしてこの論理でいきますと、「だから投票に行かない」となりそうですが、その行為には賛成ではありません。中高年の中にも「誰がやっても同じだから」という理由で投票に行かない人がいますが、褒められた考え方ではありません。理由は、投票に行かないことは社会人としての責任を放棄することにつながるからです。
 韓国の沈没船事故で船長は自らの責任を放棄して真っ先に救助されたことが非難されています。投票に行かないことはこの船長と同じ行動をとることです。
 なぜ、選挙の時期でもないのに今週のコラムで投票について書いているかといいますと、安倍首相が熱心に進めている集団的自衛権の解釈変更について不安感があるからです。そして、若い人たちが安倍首相政権が進める政策とその運営方法に関心を持っていないからです。
 なぜ関心を持たないかといいますと、政治に無関心でも生きていけるからです。「政治」という言葉を「社会」に変えてもいいと思いますが、年齢が若いほど人間は自分の身の回りのことにしか関心がありません。僕自身がそうでしたのでその気持ちは実感しています。
 以前書きましたが、あまりに政治に執着しすぎるのも問題があります。執着しすぎて人間関係や地域関係が崩壊することもあります。しかし、あまりに無関心では社会が悪い方向に行ってしまいます。悪い方向とは戦争への道です。匙加減が難しいのが実際ですが、適度に関心を持つ人が増えるのが理想です。
 先々週あたりから北朝鮮との間で拉致問題解決に向けた動きが見られますが、僕には素直に受け取れない感じがあります。それは集団的自衛権問題から関心をそらす意図を感じてしまうからです。
 安倍首相が集団的自衛権の閣議決定について記者会見を開いていたとき、僕はちょうど車を運転していました。ラジオで生で聞いていたのですが、実は安倍首相の説明するひとつひとつの事例について納得している自分がいました。
 海外で危険な状態にある日本人を救助できない今の憲法解釈は間違っている。
 このように説得されてしまうとうなづかずにはいられません。これもなんどか書いていますが、安倍首相およびブレーンは会見の使い方や言葉遣いにとても長けています。僕の想像では小泉元首相の手法から学び、そして進化させているように感じます。そして、それを可能にしているのは「返り咲き」という経験です。安倍首相は間違いなく以前の失敗した経験を生かしています。
 新聞によりますと、記者会見で安倍首相と記者の質疑がかみ合わないことがたびたびあるそうですが、自分の都合の悪い質問には的確に答弁をかわしているようです。例えば、海外で自衛官が血を流す可能性です。人を殺す可能性です。こうしたことにもきちんと向き合ってこそ本当の意味での憲法9条の改正に向かう資格があります。
 僕が今、一番不安に思っていることは徴兵制です。もし少しでもそのような兆候が出てきたときは若い皆さん、必ず行動を起こしましょう。手遅れになる前に…。
 大切なのは個人の自由が束縛されない世の中が続いていくことです。
 じゃ、また。




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