<本当の先輩>

pressココロ上




 ワールドカップはドイツの優勝に終わり、世界的イベントがひとつ終わりました。メジャーリーグでも日本のプロ野球でもオールスターが開催されていましたが、次にスポーツ欄の一面を飾るのは野球でしょうか。
 というわけで、今週は「野球に関して書こうかなぁ」なんて思っています。そんなことを思っていましたが、先週はたまたまマイク・タイソンの映像をYouTubeで見ましたので、まずはそのお話から…。
 というわけで、今週は「マイク・タイソンの話から書こうかなぁ」なんて思っていましたが、今週の本コーナーで紹介しています養老孟子氏の「自分の壁」についてちょっと書こうなぁ…。
 というわけで、今週は「『自分の壁』について書こうかなぁ」なんて思っていましたが、先週妻と出かけたときに頭にきたことがあったのでそれについて書く気になりました。人間は、どこかでストレスを発散させなければ生きていけない動物ですから…。
 先週、妻とショッピングモールに出かけました。中規模のショッピングモールですが、一度別行動をとってしまうと、どこにいるのかわからなくなります。ですから、必ず携帯電話の着信がわかるようにしておくことを二人の決まりとしていました。
 ちなみに、僕ら夫婦は人間的にガラパコスですので通信手段もスマホではなくガラケーのままで生活しております。一時期、スマホに憧れて変えようかと考えたこともありましたが、通信費の高さがどうしても納得できず、通信費がもっと安くなってからと考えております。
 それはさておき、以前妻と出かけたときに連絡がとれず苦労したことがありました。ですから、それ以降別行動をとる際は「着信がわかるようにしておいてね」とわざわざ言うようにしていました。この理由は、妻はバッグの中に携帯をしまっていますので着信に気がつかないからです。ただでさえ人ごみの中にいますと着信音が小さくて聞こえないことがあります。ですから、バイブも感じるように携帯電話を身に着けているものに直接しまうようにお願いしていました。
 今回もいつものように伝えていたのですが、連絡をしてみますと全くつながりません。なんど連絡をしても出ることはありませんでした。不思議なもので、そうなりますと意地でもつなげてやろうという気持ちになります。連続で電話をかけ続けました。すると不思議なもので、その意地がさらに意地を呼び、そしてつながらないことがさらに怒りを増幅し…、人間関係とはこのようなほんの些細な意地の張り合いが大きな怒りを産むのではないでしょうか。
 イスラエルとハマスの戦いはまさにこうした展開が大きくなったものです。恨みが恨みを呼びいつまでたっても収束する気配がありません。誰でも身近な人が殺されたなら仕返しを考えない人はいません。人間心理はそういうものです。だからこそ、冷静になりどこかで恨みの連鎖を断ち切ることが必要です。それなくして平和が訪れることはありません。
 このような混沌とした社会の中でワールドカップどころではない人たちもいます。実際に、ブラジルではワールドカップよりも社会から貧困をなくすほうにお金を使うように望む人たちのデモが頻発していました。世の中には貧困の状況にいる子供たちもたくさんいますし、紛争で生活が困窮している人もたくさんいます。ですから、「経済的に余裕のある人たちは自分だけの幸せを考えるのではなく、もっと世の中全体のことや社会について関心を持つことが大切である」という主張をする人がいます。自分の趣味や娯楽に現を抜かしているのは正しい大人のとる行動ではない、というわけです。
 今週本コーナーで紹介している養老孟子氏の「自分の壁」はそうした発想に疑問を呈している本です。一時期はやった自分探しということにも異見を述べています。養老氏の本を読んでいますと、肩肘張らずに普通の感覚や考えを普通に実践していくことの大切さを考えさせられます。無責任というのとは違った意味で社会と一定の距離を置くことの重要性を指摘しているように思います。
 普通の社会とは違うのはボクシングの世界です。たった2本の腕だけで社会をのし上がっていくのですから、並大抵の才能と努力だけではできない芸当です。
 僕が一番好きなボクサーはモハメッド・アリですが、実力がありながらもエンターテイメント感覚も持ち合わせているからです。そして、なにより頭がいいことが尊敬に値します。
 自分の頭で考えることをしていたからこそ、リングネームをカシアス・クレイからモハメッド・アリに変えたのでしょう。そして、ベトナム戦争への兵役を拒否したはずです。そのために王座を剥奪されていますが、それを覚悟しての決断でした。そして後年返り咲いているのですから、これほど素晴らしい生き様はありません。
 マイク・タイソンの実力もモハメド・アリに匹敵するほど強烈なものがあります。全盛期のタイソンは本当に一発で相手を倒していました。身体はヘビー級としては決して大きいほうではありません。どちらかといいますと、小さいほうに入ります。しかし、上半身をウェービングしながら相手を追い詰める足裁きは身体の小ささを補ってあまりある才能でした。
 そんなタイソンも晩年は闘争心が落ちていたように思います。タイソンがダウンする姿はそう見られるものではありませんが、引退する前の試合でパンチを受けダウンしたあとに両足を広げ力なくロープに寄りかかっている姿からは昔の面影が全く失せていました。まるで赤ちゃんがようやっと座ることができたときのような態勢でした。
 タイソンは現役時代に軽く300億円以上稼いだそうですが、最後は自己破産しています。取り巻く人たちに全部吸い取られてしまったのでしょう。これほどかわいそうなことはありません。
 若い皆さん、大切なのは本当に自分のことを案じてくれる人生の先輩に出会うことです。「本当に案じてくれる人」というのは「成功を心の底から一緒に喜んでくれる人」です。人間には欲や羨望がありますので、そうした人はそうはいるものではありません。親兄弟であっても「人の不幸は密の味」なのが現実です。遺産相続でもめている家族がたくさんいることがそれを物語っています。血のつながりに惑わされるのは危険です。
 オールスターに選ばれ、今ではメジャーリーグでも屈指の名ピッチャーとして一目置かれる存在になっているのがダルビッシュ投手です。ダルビッシュ投手が米国に渡る際、札幌ドームで行った記者会見は素晴らしいものでした。
 自分の気持ちを率直に伝え、その姿にいやらしさが全くなかった点で感動的でした。僕がダルビッシュ投手で一番覚えているのは入団早々に起こした事件です。それは未成年でありながら喫煙をして球団から処分を受けた事件です。
 もちろんマスコミからもバッシングされましたが、そのときの経験がその後の選手としてマスコミとの接し方において勉強になったように思います。有名タレントとのデキ婚とそのあとの離婚などに際しても、そのときの経験が活きていたように思います。
 そのダルビッシュ投手について広島の前田健太投手はあるトーク番組で面白いエピソードを語っていました。
 2010年の交流戦でのことです。当時、ダルビッシュ投手はすでに日本球界のエースに君臨している存在でした。そのダルビッシュ投手と投げ合うことになった前田投手はバッターとして対戦するときに「どんなボールを投げるのか」、少しでも参考にするために盗む気構えで臨んだそうです。
 そんな前田投手に対して、ダルビッシュ投手はなんと自分の持っている球種のほとんどを投げたそうです。ストレート、スライダー、ツーシーム、フォーク、チェンジアップ…。
「ピッチャーである自分を抑えるのは簡単なのに、なんでいろいろな球種を投げるのか不思議な気分だった」
 前田投手の感想ですが、ダルビッシュ投手はその意図をブログで明かしています。簡単に言ってしまいますと、
「これから日本球界を背負っていって欲しい前田投手に自分のレベルを教えたかった」。
 素敵ですねぇ。自分のことだけでなく、球界全体のことを考えて行動している姿は天晴れです。こういう先輩に出会えた前田投手は本当に幸せです。
 そして、そういう先輩に出会うためには出会えるまでのレベルにまで自分で上り詰める努力が必要です。
 人生って厳しいですねぇ
 じゃ、また。




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