<国家>

pressココロ上




イデオロギー100年
民族1000年
宗教永遠
 上記の言葉はこのコラムで幾度か書いたことがありますが、僕がこれまでに読んだ本の中でとても強く記憶に残っているもののひとつです。共産主義は100年で消滅してしまいましたし、民族も1000年以上紛争が続いていますし、宗教対立も融和する兆しが見えません。
 この言葉には国家が登場してきませんが、それだけ国家という枠組みが歴史という大きな括りの中では意味をなさないことの証かもしれません。そもそも国家というのは人間が恣意的に策定したもので自然と出来上がったものではありません。そうであるからこそ問題が起こるのも当然です。
 先週は国家という枠組みについて考えさせられる出来事がありました。英国におけるスコットランドの独立投票です。結果は残留で決着しましたが、もし独立が選択されていたならその他の国に及ぼす影響も計りきれないものがありました。
 中国やロシアでも同じような動きが起きた可能性もありますし、日本も無関係とはいえなかったかもしれません。それは沖縄が独立を目指すことです。もちろん沖縄が独立を果たすことは現実的なことではありません。独立を果たすためには経済的な裏づけが必要だからです。
 スコットランドの独立に反対していた人たちもその理由は経済的な要因が大きく占めていました。人間は生きるために衣食住が必要ですが、それらを満足させるためには経済がきちんと成り立っていることが必要です。現在は落ち着いていますが、2009年頃にギリシャやスペインなどで債務問題が騒がれたのは経済が成り立たなくなることを危惧したからです。
 経済的な問題を考えに入れないならやはり民族で独立することを望むのが人間というもののようです。世界を見渡しても紛争が起きているのは民族間の対立が原因です。ユーゴスラビアも民族ごとに住み分けることで解決の道ができました。
 このように人間の本質は民族で固まるのが理想のようです。一見、多民族が融和しているように見える米国でさえ人種差別が表面化することがあります。やはり異民族を無理やりにひとつの国という枠組みに押し込めるのは…、酷か。
 今週は忙しかったので、短めに
 じゃ、また。




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする