<現実>

pressココロ上




 本当は今週のテーマは違うものを予定していたのですが、本日の早朝に後藤さんが殺害されたらしき映像がインターネット上に配信されましたので予定を変更して人質事件について書くことにしました。
 ネットに配信された映像の信憑性については、ほとんどのメディアが事実として伝えていますし、安倍首相も記者会見を開いていますので事実であるのは間違いないようです。あまりにも残虐な行為で言葉もありません。ご家族の気持ちはいかばかりでしょう。
今回の事件が起きてからいろいろなことを考えました。正確に言うなら、フランスでのシャーリー事件からというべきでしょうか。テロに対する日本という国の立ち居地もしくは姿勢、さらにいうなら軍事力などについてです。
 これまでは日米安保という同盟によって日本は軍事力や武力とは無縁の外交をしてこられました。そこには日本を再び国際社会の脅威にさせないという意志もありました。しかし、冷戦がはじまり日本も西側諸国の一員としての役割を担うべく自衛隊が創設されました。それでも、憲法9条の「いかなる戦力も保持しない」という条文により武力を行使することに対しては一応の制約が課せられていました。
 そうしたこれまでの日本の姿を変えようとしているのが安倍首相です。僕のイメージでは、かつては小沢さんがその方向を目指していましたが、小沢さんの神通力もさすがにここにきて通じなくなってきています。
 それはともかく僕は安倍首相の目指している日本の姿には賛成ではありません。「反対」ではなく「賛成ではない」のはまだ自分の考えが固まっていないからです。つまり自信のなさの表れですが、そんな僕ですので今回の一連の流れで考えが揺れるのも当然です。
 僕は世の中が平和であることを願っています。ですから、世の中から紛争というか争いがなくなればいいと常々思っています。ですが、現実はそれほど簡単ではなく紛争が起きていない時代は一度もありませんでした。イデオロギー対立や民族紛争などが世界のどこかで必ず起きていました。
 それでも僕は武力を否定する考えが消えることはありませんでした。なぜなら武力の行使の先には自分が殺人者になる可能性があるからです。このコラムで僕は毎年、夏にやってくる終戦記念日の頃に書くことがあります。
 明石家さんまさんが主演をした「さとうきび畑の唄」のお話です。その中でさんまさんが最後に叫ぶ言葉あります。
「わいは人殺しをするために生まれてきたんやないで!」
 そうなのです。武力を行使することは人殺しをすることにつながります。それが嫌ですので武力行使には反対なのです。専守防衛。これは日本の防衛政策の要となるものですが、防衛といえども武力を使うことは究極的には人殺しをすることになる可能性もあります。
 だから、僕は悩むのです。
 いつかの国会で、野党の質問に安倍首相は「外国で日本人が襲われたときに救出できるようにする国」と答えていました。そのときはまだ現実感がありませんでしたが、今回のような事件が起きますと、そうしたことの必要性、重要性を考えてしまいます。
 やっぱり、、安倍首相が変えようとしている日本の姿のほうが現実的なのでしょうか。…悩みは尽きません。
 あとひとつ今回の事件で思ったことは、やはり政権党としての自民党の安定感です。もし民主党であったなら官僚が仕切るしか対応の仕様はなかったように思います。戦後のほとんどの時代を担ってきた経験は伊達ではありません。
 じゃ、また。
 
 




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