<生きる意味>

pressココロ上




 誠に悲しいことにテロ組織による日本人拘束事件は最悪の結末で終結してしまいましたが、その一連の経緯についてマスコミが検証をしています。
 先週書きましたように僕自身は考えが揺れ動いているのですが、若い人たちにも是非揺れ動いてほしいと思っています。安易に答えが出るほど簡単な問題ではないはずです。こういうときに気をつけたいのは一時の感情に押し流されて答えを出すことや行動を起こすことです。イスラム国というテロ組織の戦闘員になっている人たちはそれこそ一時の感情に動かされた人たちではないでしょうか。そうでなければ、人を刃物で殺すという恐ろしい行為を簡単にできるわけはありません。
 飛行機からミサイルで爆弾を発射させる戦闘行為は、ある意味ゲームの延長感覚でできます。ですが、刃物で人を殺すという行為はゲーム感覚ではできるものではありません。仮に、なんの躊躇いもなく刃物で人を殺すことができる人がいるなら、そのような人はすでに人としての資格を失っている人です。先日、名古屋で女子大生が77歳の女性を殺害した事件がありましたが、そうした怪奇事件を起こす人はすでに人ではなくなっている人です。
 そして、ごく普通の人をそのような恐ろしいモンスターのような人にするのが戦争です。ですから、どんなことがあっても戦争になるような流れになることはなんとしても食い止めなければいけません。
 しかし、社会に警察は必要です。悪い人が悪事を働くならそうした人を取り締まる体制を整えておくことは大切です。それがないなら平和な社会は成り立ちません。やはり武力は必要です。
 ここで袋小路に入ってしまいました。武力はいけないけれど、武力がなければ平和な社会は作れないのです。どちらに進むのかの分岐点に我々は立っているようです。
 昨日、「そして、父になる」という映画が放映されていました。僕の好きな是枝監督の作品ですが、この映画の主題も簡単に答えがでない問いかけでした。
 ご覧になっていない方のために簡単に説明しますと、二組の夫婦の赤ちゃんが取り違えられて育てられ、6年後にその事実がわかったあとに、子供を血のつながったそれぞれの親の元に戻すかどうかで葛藤する夫婦のお話です。
 自分の血がつながった子供がほかの夫婦に育てられ、自分は他人の夫婦の子供を育てる。この葛藤は並大抵の究極ではありません。愛情は血のつながりから生まれるのか、環境から生まれるのか…。
 是枝監督は結末を「育ての親に戻すこと」にしました。是枝監督がその答えを導き出した根拠は子供に視点をおいていたからではないでしょうか。僕にはそう映りました。冷静に考えてみますと、育てられる子供にとっては親が血がつながっていようがいまいが関係ありません。大切なのは愛情を注がれて育てられているかどうかです。
 悩むのは親の側です。そこには感情という魔物が心に潜んでいるからです。その感情とはエゴです。自分中心の気持ちです。そして悩む理由は、子供を育てる際に自分が満足感や納得感を得られるかどうかが判断基準になっているからです。言葉を変えるなら、子供が幸せになることを目的にしているのではなく、自分が幸せになることを目的にしていることになります。そんな親に育てられては子供は不幸です。
 ですが、ここにひとつ問題があります。それは親が幸せを感じられない気持ちで子供に幸せを感じさせることが可能かどうかです。幸せを感じる親に育てられてこそ子供も幸せを感じるのではないでしょうか。
 またまた袋小路に入ってしまいました。
 現在書籍の世界では「21世紀の資本」が話題になっています。先日は著者であるトマ・ピケティ氏も来日し、いろいろな番組に出演していました。この本は経済誌などでも紹介されていましたので、大まかな内容をご存知の方も多いでしょう。なにしろ分厚い本ですので、本物を読むのは至難の業です。ですから、経済誌などで解説されている程度しかわかりませんが、最も指摘していることは「資本主義は格差社会を大きくする」ということのようです。
 オックスファムという貧困を生み出す状況を変えるために活動する団体の報告によりますと、世界の上位1%の富裕層が世界の富の半分を所有しているそうです。もしこれが真実であるなら、これはピケティ氏の指摘を証明していることになります。
 世界のお金持ちランキングで常に上位に入っているビル・ゲイツ氏やウォーレン・バフェット氏は慈善家としての顔も持っています。また、米国では寄付という行為が社会に根付いているという記事を読んだことがあります。しかし、僕からしますと慈善家になったり寄付をするよりも、最初から桁外れの報酬を得られない社会システムにしておけばよいと思ってしまいます。
 そうしたシステムにならないのは、心の中に「自分だけが得をしたい」という欲望があるからです。資本主義は個人の欲望がエネルギーの源になっている面があります。つまり、常に勝者と敗者を作ることで社会の発展を成し遂げられるシステムということです。
 このような社会においては一度でも勝者になれる人であるなら問題ありませんが、常に敗者であるなら、幸せな人生を送れるはずはありません。イスラム国というテロ組織が生まれた背景にはそうした社会状況があるといわれています。
 単に武力でテロ組織を壊滅させても、また同じようなテロ組織が生まれる可能性が指摘されています。確かに、世の中に絶望感したか持たない若者が増えるならそうした指摘も誤りではないかもしれません。
 誰もが幸せを感じる世の中にするのは大変です。もしかすると想像の世界だけで終わる可能性もあります。ですが、そうした世の中を目指していくのが人間が生きている意味なのかもしれません。
 そして、そうした活動をしていたのが後藤さんという弱者の立場を伝えることを使命としていたジャーナリストです。
 合掌。
 じゃ、また。




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