<適材適所>

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 僕のネットの使い方を一言でいうなら情報収集です。ですからPCでネットを開くときは一番最初にYafooのトップページが表示されるように設定しています。そしてブラウザーは Internet Explorer を使っています。つまり僕にとっては Internet Explorer と Yafooはセットになっていることになります。
 僕がいう情報収集とはある特定のことについての情報だけではありません。世の中全般の出来事についてです。ですから言葉を変えるならニュースといってもいいかもしれません。つまり、僕がYafooを見るのはニュースを見ることと同義語ということになります。テレビのニュース番組は時間という制約がありますのでどうしても扱う内容の広さや深さに限界があります。この限界は新聞も同様です。テレビよりは広い範囲を扱えますが、それでもやはりページ数という限界があります。
 それに比べてネットは無限です。昔からamazonの一番の特徴はロングテール販売といわれていました。それが可能なのはネットという空間で商品を扱っていますので扱う点数が無限に近いからです。同じことが情報についてもいえます。
 僕がパソコンのスイッチを入れて最初にやることはネットを開くことです。そしてYafooトピックスのニュース全般を見渡してから経済の項目に移ります。そうした中で気になった項目をクリックして詳しく読むという流れになっています。
 以前、年配の識者がネットと対比しての新聞の長所を「自分の興味のないことにでも目を触れる機会があること」と話していました。新聞を一面から社会面まで目を通すことは自然と多分野のニュースを目にすることになるからです。
 ですが、僕にいわせるなら「自分の興味のないことにも触れるチャンスがある」のはネットのほうだと思っています。先ほど新聞の長所は「興味のないことにも目を触れる」と書きましたが、実は人間は全く興味のないことには見向きもしないものです。ですから、仮に新聞で興味のない記事を目にしてもただ文字を追うだけでそれ以上詳しく読む気にはなりません。
 それに比べてネットの場合は「興味のあることに近い情報」を提示してくれます。ですからクリックすることも多々あります。そうしますと自然と情報の幅が広がることになります。全く興味のないことと違い、興味のあることに近い情報ですので読みたい気持ちになる確率は高くなります。
 僕はスマホでも同じような使い方をしています。Yafooで全体のトピックスから経済項目に移るパターンです。最近、Yafooが画面を一新したのですが、ちょっと使いづらい感じがしています。まだ慣れていないからかもしれませんが、前のほうが見やすかった感じがしています。
 僕はスマホも含めてネットを情報収集のために活用していますが、若い人はそうでもないようです。若い人は「知りたいことを調べる」ことが目的です。僕のようにニュースを読むことを目的としてネットを利用するのではなく「調べる」ことが目的です。この違いが最も大きな点です。
 因みに、僕のサイトは検索結果から訪問する方がほとんどですが、この傾向はつまりは「調べる」目的から訪問していることになります。最近の訪問者の検索サイトを見ますと7~8割がYafooです。2~3年くらい前まではgoogleと「ハーフハーフ」でしたが、現在はgoogleは減ってきています。googleの人気が落ちたとは思えませんのでちょっと不可解な気持ちでいます。
 これまで書いてきましたように、僕はネットをニュースの情報収集に利用していますが、先週はそのネットで盛り上がった話題がありました。それは就活場面における学歴フィルターについてです。
 言葉からおおよその想像ができると思いますが、この言葉は就活に際して企業が大学の偏差値によって足きりをしていることを意味しています。ですが、僕からしますと「なにを今さら」といった感があります。僕が就活をしていた30年以上も前からそのようなことは行われていました。そもそも企業が公平感や平等感を示すために学生を採用する際に「学歴で差をつけない」とすることに無理があります。
 学歴をわかりやすい言葉でいうなら、「頭のよさ」です。企業が「頭のよい」学生を採用したいと考えるのは当然です。プロ野球の球団が新人を発掘する際に予選で敗退する弱い学校の選手よりも強豪といわれる学校の選手に注目するのと同じです。ドラフトで上位に選出されるのは野球の偏差値が高い学校の選手です。
 しかし、偏差値が高いからといってプロになって活躍できるという保証はありません。ドラフト上位の選手が1軍で活躍しないまま数年で引退する例はたくさんあります。いうまでもありませんが、学業にしろスポーツにしろ偏差値の高さと人間性は全く別問題です。
 就活フィルターが新聞やテレビといったマスコミであまり取り上げられないのはマスコミに従事している人たち自身が当事者であるからと僕は想像しています。つまり、フィルターでふるい落とされずに残った人たちです。そのフィルターの恩恵を受けた人たちがフィルターを問題視することには無理があります。
 フィルターといいますと、採用する側だけの効用と思われがちですが、実は応募する側にもメリットはあります。少し考えてみてください。
 仮に偏差値50の学校の学生が偏差値70以上の学生の集団の中に入ったなら、普通の感覚の人は尋常ではいられません。たぶん気後れをして、たとえ実力があったとしてもその実力を発揮できないでしょう。よほど偏差値を上回る実績、たとえばなにかのことで全国優勝したとか世界的に認められることを成し遂げたなど、を残している人でなければ気持ち的もしくは精神的に追い詰められることになります。そのような状況にならないためにも学歴フィルターの活用は悪いことではありません。
 いい悪いは別にして偏差値の高い学校出身者は「頭のよさ」を自負しています。普段表に出さない人でも一皮向けば自負が溢れています。その自負はややもするとほかの人に厳しく接することにつながります。
 先週、元衆議院議長の町村信孝氏がお亡くなりになりましたが、町村氏の印象を「とにかく厳しい人だった」と評していた記者がいました。なにに対して「厳しい」かといいますと「きちんと勉強しておくこと」についてです。記者として落第な質問をすることを許さない面があったそうです。町村氏は東大出身で元通産官僚ですが、「頭がいい人」に多いタイプの性格です。
 僕の想像では、「頭のいい人」は「頭の悪い人」の気持ちがわからないように思います。例えば、「集中力が続かない人」や「努力をできない人」の気持ちがわからないといったことです。「頭のいい人」はそういった人たちを許せない気持ちがあるのかもしれません。
 先週は障害者施設での虐待の様子が報じられました。施設での実態が隠しカメラで撮られていた映像がニュースで放映されていました。職員の障害者に対する偉そうな態度や傲慢な対応はあまりにも悲しい映像でした。教えたとおりにできないことへの「いらだち」が虐待を起こさせたのかもしれませんが、人として決して許されない行為でした。心のどこかに障害者を蔑視する気持ちがあるように思わせる映像でした。
 障害者は弱者です。その弱者に接する仕事に従事する人はその職種にふさわしい資質を持っている人がなるべきです。間違っても「楽だから」とか「偉ぶれるから」といった理由でなることがあってはいけません。
 中には障害者に接する仕事の大変さに同情する意見をいう人もいますが、大変だからこそふさわしい資質の人だけが仕事に就いてほしいと思います。施設の運営者はそうした資質の持ち主を採用できるように工夫するのが使命です。大手企業が偏差値の高い学校出身者を選ぶのと同じです。世の中全体で適材適所がなされるのが理想の社会です。
 じゃ、また。




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