<公園の光景>

pressココロ上




 東京ではほとんどの地域に公園が整備されています。その公園では親子連れや年配の方や園児を引率した保育士さんなどの姿を見かけます。このように公園は地域の住民が気軽に身体を動かすのに打ってつけの公共施設です。
 僕も子供たちが小さい頃は休みの日に子供たちを連れて公園に行ったりしました。東京では空き地がどんどん少なくなってきていましたので公園は住民にとって安らぎの場ともなっていました。その公園は今でもありますが、昔と今では利用の仕方に変化が生じています。最も大きな変化は砂場の使い方です。昔は公園の一角に砂場あり誰でも簡単に入って遊べていました。しかし現在は簡単に遊べないようになっています。
 例えば、砂場全体に網がかけられており使うときにその網を外し、使い終わったらまた網をかける必要があります。そのほかには砂場の周りが柵で囲まれていたりもしています。このようにいろいろな規制ができているのは野生の猫など動物が糞をしたり、砂の中にガラスの破片など危険な物質が紛れ込んでいてケガをすることを心配しているからです。
 昔は「糞」ごときをあまり気にしなかったのかもしれませんし、また砂遊びでケガをすることも想定内と考えていたのかもしれません。どちらにしても最近の親たちが自然との接し方に過敏になっているのは間違いにように思います。そうした親が増えていますので、公共の場を管理する行政側としましても規制をする必要性に迫られているのでしょう。
 住民にとって大切な公共の場ですが、その公共の場を私用として使う人たちがいます。そうです。ホームレスです。
 僕が利用するガソリンスタンドの近くの公園にも60才過ぎくらいの女性のホームレスの人がいます。まるで自分の住処であるかのようにいつも公園の隅にあるベンチに座りあたりを見渡したりベンチの周りに置いている荷物をごそごそと整理などしています。
 普通、ホームレスといいますと、近隣の住民からはあまり好ましく思われていないものです。公共の場を勝手に使っているわけですから「好ましく思わない」のも当然の気持ちです。しかし、その女性は近隣の住民と良好な関係を保っているようでした。周りの住民全員とはいいませんが、少なくとも住処にしている椅子に最も近い住民の方とは良好です。なぜなら、その住民である50才過ぎの男性と親しそうにお話をしている場面を見たことがあるからです。
 こうした関係になっているのはこの男性の気質が優しいことが大きな要因でしょうが、ホームレスの女性も気配りをしているようでした。たまたま早朝にその公園に行ったときにそのホームレスの女性が公園に隣接している家の周りの道路を掃除している姿を見かけました。
 このような行動をすることから察しますと、この女性は常識的な感性の持ち主であることが想像できます。そうであるなら、余計にホームレスになっていることが不思議です。しかし、人間には他人からはわかり得ぬ部分があるものです。ホームレスという選択をとっているのもなにかしらの理由があるのでしょう。
 また違う公園では70才くらいのホームレスの男性を見かけていました。この男性は身なりはホームレスにふさわしい風貌ですが、髪の毛はきれいな長い白髪の持ち主でした。この公園は遊歩道にもなっているような長い公園なのですが、その真ん中あたりのベンチを住処にしているようでした。
 先ほど、昔と今の公園の利用法の変化を紹介しましたが、あとひとつ大きな違いがあります。それはこのベンチです。今のベンチは真ん中にベンチを2つ長いベンチでは3つに仕切るように立法体の木片が打ち込まれていることです。その理由は、ベンチで横たわって寝られないようにするためにです。つまりホームレス対策です。この対策は公園のホームレスが社会問題化していることを示しています。
 話を戻しますと、この男性は白髪もきれいな長髪ですが、髭も生やしています。しかも10センチ~20センチくらいの立派な長い白い髭でした。70才過ぎでホームレスといいますと、背中を丸めた貧相な体つきの薄汚い容貌を想像します。ですがこの男性は体格がいいとはいえませんが、背筋もまっすぐに伸びており身なりさえこぎれいにしていたなら元気なお年寄りといった雰囲気があります。顔つきもうらぶれた表情ではなく目力も活発な印象があります。
 先週、その公園の前を通りがかりました。するとその男性の近くに生成りの長めのジャケットを纏った50才~60才くらいの外国人らしき男性が立っているのが見えました。いつもと違う光景に僕は近づいて行きました。近づくにつれて外国人らしき男性がホームレス男性の前を右に行ったり左に行ったり動いているのがわかりました。外国人の容貌はちょっと小太りで見た感じではトルコとかパキスタンといった中近東の方の顔つきに思えました。そして、さらに近づいて僕は驚きました。
 なんと、その男性はホームレス男性の散髪をしていたのです。右手に鋏、左手に櫛を持ち器用に動かしていました。切っていたのは髪の毛だけではありません。髭もです。ホームレスの男性は外国の男性にすべてをゆだねているかのように静かにたたずんでいました。
 僕はこの光景を見ていて不思議な気持ちになったのですが、それは「ホームレス」という一般的な日本人の感覚では非難する対象である人に対して優しく接しているのが外国人だったからです。しかもその外国の人が欧米人ではなく中近東というどちらかというと裕福とは思えない地域の人だったことも印象に残りました。
 先ほどホームレスを「非難の対象」と表現しましたが、普通に頑張って働いて生活している人からしますと、ホームレスは怠け者という判断をしがちです。ですが、中近東の人は優しく手を差し伸べているのです。いったいこの二人の関係はどんなものなのでしょう。もし、単に「公園で知り合い、たまたま散髪をして身奇麗にしてあげよう」という純粋な気持ちからだったならこれほど人間らしい行為はありません。
 先々週、「ダーウィンが来た!」というテレビ番組の話を書きましたが、弱者に優しくするシステムを作れるのは人間の世界だけです。それなのに現実の世界では動物の世界と大して違わない状況が起きています。同じ人間があるときは優しい性格になりまたあるときは冷たい性格になります。
 …優しい性格でいる時間をどれだけ多くできるかが人間性を決めるのかもしれません。
 そんなことを考えた先週でした。
 じゃ、また。




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