<ワタミと資生堂ショック>

pressココロ上




 最近ではブラック企業としてのほうが名高いワタミですが、そのきっかけとなった自殺した女性社員の遺族との和解が成立しました。内容はほぼ原告側の主張どおりですのでワタミおよび創業者である渡邉美樹氏側の全面敗訴といえるものでした。
 和解後に渡邉氏は取材に応じていますが、全面的に自らの非を認めていました。ほんの数ヶ月前までは徹底的に戦うと話していましたのでその変遷ぶりには少し驚かされました。いずれにしましても、ひとりの人間が自殺に至ったのですからその責任を重く受けとめなければいけません。
 そうした中、今週の経済誌で渡邉氏はワタミの業績悪化について取材に応じています。その中でとても気になったのが「僕が経営していたら、このような結果にはならなかった」という発言です。この発言と和解での発言にはどうしても矛盾を感じてしまいます。
 渡邉氏がカリスマ経営者として成功の階段を上っていく過程で従業員に求めていたのは「死ぬ気で働け」ということだったはずです。そうでなければ、ほとんど休みもなく長時間労働を強いるような働き方をさせることはありません。
 もし、渡邉氏が心の底から反省をしていたのなら経済誌での「僕が経営していたら…」などという発言はあり得ません。渡邉氏の経営は従業員に過酷な労働を強いることだったからです。記事によりますと、自主的という名目で休日に研修に参加させてもいたようです。もちろん人員が足りないことを理由に休日出勤もあったでしょう。このような経営をしていながら「僕が経営していたら…」などと発言すること自体に齟齬を感じてしまいます。
 僕は人と人の間に上下関係を作ることが嫌いですが、会社というのは上下関係で成り立っている側面があります。ですからある程度は仕方ないと思う気持ちもありますが、あまりに上下関係が律しされている組織は正常ではないと思います。
 10年くらい前、テレビで渡邉氏に密着するドキュメンタリー番組を放映していました。その一場面にワタミの早朝会議があったのですが、その会議での渡邉氏に対するほかの社員の接し方はまるで絶対の神にでも接するかのような態度でした。渡邉氏以外のすべての人はただただ緊張をしているだけでした。予算が達成されないことを詰問されることを恐れていたからです。現在のワタミの業績悪化の要因はこの場面に凝縮されています。社員が自分の意見を言う雰囲気が全くないのです。このような企業が活性化するはずはなく、そして好業績を残せるはずはありません。
 ここ数年ブラック企業という名前を耳にすることが多いですが、ブラック企業をのさばらせない一番の方法は働いている人が辞めることです。もしそれさえもさせてもらえないなら、もう犯罪です。公的機関に救いを求めるしか方法はありません。
 犯罪にまで至らないブラック企業の場合は従業員は辞めるのが一番の対応策です。なにしろそのような企業に勤め続けていてもメリットはなにもありません。仮に、ある従業員が辞めることで企業が倒産するなら、そのような企業は初めから存在する価値がないことを示しています。辞める従業員に責任を負わせるのはお門違いというものです。
 先月、コラムで「マタハラ」について書きましたが、職場というのは公平かつ平等であることがとても大切です。特定の人に負担が偏っては公平な職場とはいえません。
 先月資生堂ショックという言葉が注目されました。化粧品メーカーである資生堂が勤務システムについて方針転換することを指していますが、具体的には時短制度やノルマなどを変更することです。
 美容部員はほとんどが女性ですので、子供の保育園の送り迎えなどを考えますと時間や曜日が選択できるシステムは歓迎されます。しかし、このシステムの導入により店頭に人員を配置できない状況になったそうです。資生堂の発表では10年前に比べて売上げが一千億円減少したそうです。
 また子育てを優先するために土日に休みを取得することが多くなり、子育てをしていない社員との不公平感が生まれたそうです。「マタハラ」でも書きましたが、職場の人間関係は一方に配慮することでもう片方に負担が偏ることに問題の根源があります。短期間なら我慢もできますが、長期間となりますと人間はやはりストレスが溜まります。誰しも決して穏やかな心持ではいられないでしょう。
 実はこれは介護についてもいえるのですが、人間は短期間なら耐えられる人が多いのですが、ゴールが見えない状況での介護は必ずや精神的に追い詰められます。僕がそれを初めて実感したのはラーメン店を開業したときでした。ほとんどの人が3年~5年で廃業を選択したのはまさに働きづめであることに耐え切れなくなったからのように思えました。
 脱サラや起業は過酷な労働が伴いますが、事業の成長とともに過酷な労働環境を解消することが大切です。そして、そうした改善が従業員に対しては安全で衛生的な環境を提供することにつながります。
 その意味において渡邉氏は自らをカリスマの存在にするためにそうした考え方ができなかったのかもしれません。渡邉氏が本心から反省しているかどうかは今後の活動で明らかになるでしょう。
 じゃ、また。




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