<パターナリズム>

pressココロ上




 年が明けてからSMAPの解散騒動がありベッキーの不倫騒動があり、その騒動が冷めやらぬうちに、今度は元プロ野球選手清原氏の逮捕が報じられました。いやぁ、次から次へと世の中に事件は尽きないもの、と驚嘆せずにはいられません。
 そして思うのは、SMAP騒動もそうですしベッキー事件もそうですが、ある事件が報じられるとその事件に関する玉石混交の情報が数多く発せられることです。事実にいろいろな尾ひれがつき、いったいどれが事実なのかわからなくなります。テレビの映像などを見ていましても、視聴者に悪者のイメージを与える場面や表情を意識的に選んで放映している感がしてなりません。これまで幾度も指摘されていますが、マスコミはひとつの方向ができるとその方向に一気に流れる傾向があります。ですから、僕たち視聴者はマスコミ報道を幾らか割り引いて受け入れることが必要です。
 やはり清原氏の事件といいますと、否が応でも高校時代からの友人である元巨人の桑田氏の感想を求める声が出てきます。その桑田氏が取材に応じている映像を見ましたが、数年前に「関わらないでくれ」と言われてから連絡を絶っていたそうです。それまで桑田氏は清原氏の良からぬ噂を耳にするたびに電話をしていたようで、それに対する清原氏の反応が「自分には関わらないでくれ」だったそうです。
 桑田氏は今回の事件に接して「自分がもっとこまめに干渉を続けていたほうがよかったのかなぁ、と思う」と話していました。しかし、僕は清原氏には桑田氏のそうした性格が重荷というか負担に感じられたのではないか、と思えました。
 パターナリズムという言葉があります。辞書によりますと、家父長主義とか父権主義と訳されますが、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるように、本人の意思に反して干渉すること」とあります。つまり、父親が子供に接するように守り保護することを意味しているのですが、これは親子関係なら当然のことです。子供は生まれたときはなにもできない存在ですから、親が保護しながら育てていくことは義務です。ですから、大人になるまでは親子の間に上下関係が生じるのは当然のことです。
 ですが、親子ではなく大人の他人の関係となりますと話は違ってきます。他人であっても年齢が離れているならある程度の上下関係は認められますが、そうでない場合は微妙です。人は誰しも他人との関係において下にはなりたくないものです。中には強い屈辱感を持つ人もいるはずです。
 僕は桑田氏のインタビューを聞いていてパターナリズムを思い浮かべました。桑田氏の話しぶりに親が子供に対して接するような雰囲気が感じられたからです。ふたりの場合は親子というよりも兄と弟といった関係でしょうか。どちらにしましても上下関係があるように感じました。たぶん桑田氏に悪気はないでしょうし、偉そうに振舞う意図もなかったと思います。ですが、結果的に上下関係が生じているように感じました。たぶん学生時代からのふたりの関係があの口ぶりにさせたのでしょう。
 以前、スポーツ新聞の取材に清原氏は桑田氏に対する尊敬の気持ちを語ったことがあります。「あいつは天才だ。あいつのおかげで今の自分がある」とまで語っていました。しかし、言葉とは裏腹にやはり反発心も心のどこかにあったのではないでしょうか。そうでなければ桑田氏を遠ざけるような対応は取らなかったと思います。
 僕は全く忘れていましたが、球界では覚せい剤で逮捕された先輩がいました。その方は今はもう解説者として復活しています。ですから清原氏も世の中に対してきちんとけじめをつけてから復活することを願っています。そのときは刺青はなくなっていることが最低条件です。
 他人との関係においてはパターナリズムを簡単に出すのは控えるべきですが、反対に親子であるのにも関わらず親がパターナリズムを発揮しない事件が続いています。
 僕は本当に憤りを感じていますが、親による子供への虐待事件があとを絶ちません。体格的に小さな子供が親に肉体的に敵うわけがありません。虐待事件が報じられるたびに僕はそのときの子供の気持ちを考えると辛く悲しい気持ちになります。
 子供ですから助けを求めることさえできないはずです。虐待事件では決まって父親が暴力をふるっていますが、母親が助けることができないのが悲しさを増幅させます。中には、母親自身が恐怖のあまり子供の虐待に手を貸しているケースもありますが、母性本能が少しでもあるなら自分の身体を犠牲にしてでも子供を守るのが母親の務めです。
 本屋さんに行きますと貧困について書いてある本が目に付くのですが、貧困と虐待は密接に関連しているように思います。貧困に陥っている世帯はシングルマザーが多いのですが、その原因で多いのが夫の妻や子供に対する暴力です。子供を守るために行動を起こすことは正しい判断ですし素晴らしい行動力ですが、現実は厳しいものがあります。
 小さな子供を抱えた若い女性が生きていくのは容易ではありません。先週は、昨年川崎市で起きた中学校一年生の上村遼太君が殺害された事件の裁判がニュースになっていました。この事件も元をたどれば貧困が背景にあります。女性が離婚をしてひとりで子供を5人も育てるのは並大抵の苦労ではありません。
 そのような状況にならなければ中学一年の子供が夜中に出歩くことはありません。昼夜働きながら子育てまでを完璧にこなすのは不可能です。母親だけに責任を押し付けるのはあまりにかわいそうです。
 僕には信仰心はありませんが、宗教関連の本を読むことは好きです。その中で印象に残っているのはイエス・キリストの「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」というお話です。詳しい内容は省きますが、要は「人間は誰しもある程度の罪を犯しているのだから、安易に人を断罪してはならない」ということを示しています。
 話は違いますが、口先だけでわかったようなことをいう人をギャフンと言わせたお話を最近知りましたので紹介します。ご存知の方もいるとは思いますが…。
 昨年末、五体不満足の乙武洋匡さんのツイッターに「障害者ってなにしても許されるし特だよね あたしも障害者に生まれたかったなー(笑)」とあったのに対して、乙武さんは「障害者となるには、何も先天性である必要はありません。いまからでも遅くはありませんよ?」と返したそうです。
 軽い気持ちで他人をあざける様には情けないものを感じます。
 ネットは匿名性が強いメディアですので他人を誹謗中傷、批判する文章が氾濫しやすい環境にあります。しかし、誹謗中傷、批判の類の文章は読んでいて気持ちがいいものではありません。やはり自制の聞いた文章のほうが信頼性も高いように思います。
 パターナリズムも一見すると大人の視線のように思いますが、その裏には上から目線の気持ちも含まれているように思います。よくご意見番などという立場の人がいますが、よくよく注意をしないといつの間にか自分が偉くなったような気分にさせてしまいます。
 じゃ、また。




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