<今週は…徒然なるままに>

pressココロ上




 僕がニュースを見ていていちばん切なくなるのは子供が犠牲になっている事件に接したときです。先週、中学3年生が学校側の対応のまずさが原因で自殺をした事件が報じられました。
 この事件をかいつまんで紹介しますと、高校受験を控えていた中学3年生が間違った個人情報により推薦を受けられず、それを苦に自殺をしたのでした。間違った個人情報とは中学1年生のときに「万引きをした」という非行歴でしたが、これはほかの生徒の情報が過って記載されていたことが真相でした。しかも、さらに憤りを感じるのはその後その非行歴の記載が人違いであることが確認されながらきちんと訂正がなされていなかったことです。
 あとからの報道では、訂正がなされていた書面もあったそうで、つまりは正しい情報と間違った情報が並存していたことになります。そして、不幸なことに進路指導の教師が間違った情報のほうを見てしまい、その情報に基づいて指導をしていたようです。
 僕はこのコラムで度々先生方を批判する文章を書いていますが、それは先生方が教師という職業に真摯に取り組んでいないように見えるからです。今回の事件でも幾つか問題を感じる場面がありました。
 まず疑問に思ったのは「なぜ本人が否定しなかったのか」です。「万引きをしていない」のが真相なのですから、「非行歴があるから推薦できない」という理由はあり得ません。
 なぜ異議を言わなかったのか。もし、教師が親身になって生徒の気持ちに寄り添って進路について考えていたなら、そのときに非行歴の過った記載が表面化していたように思います。教師が居丈高に有無を言わせぬ態度で接していた様子が思い浮かびます。
 報道では、この進路指導が行われたのが「廊下での立ち話」ということになっていますが、教師はほんの軽い気持ちで伝えたのかもしれません。今になってこのような指導のやり方が問題視されていますが、これまで先生方は誰も問題に思わなかったのでしょうか。その感覚こそが問題です。
 高校進学を控えている中学3年生にしてみますと、進学相談は人生においてとても重要な意味を持っています。このような人生の岐路ともいえる進学指導を軽々しく廊下での立ち話で済ませようというのではあまりに無神経です。このような対応が僕には「真摯に取り組んでいない」ように見えるのです。
 このように学校には教師という個人の問題もありますが、同じくらいに組織面でも問題を感じます。事件を報じる記者会見では校長が会見を開いていましたが、実際には校長は現場にあまり関わっていないようでした。僕からしますと、ここが学校という組織の大きな問題点です。
 以前から教育現場では校長と教師の関係が物議を醸していました。簡単に言ってしまうなら、教師は校長を上司とは認めない風潮があることです。数年前に見たドキュメンタリー番組で新任の校長が職員会議を開こうとしているときにある30才過ぎの男性の先生が強く反発していた場面がありました。そこには上司に対する尊敬の雰囲気など微塵もありませんでした。
 大手の新聞などではあまり報道されませんが、学校という組織は上下関係をできるだけ認めたくないような風潮があるように感じます。もちろんそこには日教組という労働組合の存在が背景にあるのは想像に難くありません。
 僕は日教組が悪いとかそんなことをここでいうつもりはないのですが、学校という組織が組織として機能していないように思えるのです。校長という学校組織の責任を負うべき人の指示をないがしろにしようという雰囲気を感じるからです。責任の所在があいまいな組織がきちんと機能するわけはありません。
 新聞では進路指導に関する会議に校長が全く出席していないという報道がありましたが、これは校長がさぼっていたのか、それとも校長をないがしろにしようとする力が働いていたか定かではありません。
 この記事を読んで僕は10年ほど前の民間出身の校長先生の自殺を思い出しました。この事件も広島県だったからです。実はこの事件は校長自殺の原因を究明する委員会の責任者ものちに自殺をしています。こうした流れを見ていて広島県の教育界に問題があると想像するのは僕だけではないでしょう。
 僕の想像が正しいかどうかはわかりませんが、学校という組織がきちんと機能していないのは間違いのないところです。ひとりの生徒の人生を決めることにもなる個人情報が間違っていることがまかり通っていたからです。学校関係者はこのことを真剣に受け止めて今後の学校運営に活かしてほしいと思います。
 先週は東日本大震災を「忘れない」という声がいろいろなマスコミから聞こえてきましたが、命の尊さや重さは誰でも同じです。東日本大震災は天災ですが、この事件は人災です。工夫をすれば防げるものです。教師の方々は教師という仕事の重みを常に認識していてくださることを願ってやみません。
 
 ところで…。(このフレーズはホント久しぶりです(^_^♪))
 「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが注目されていますが、保育園問題は僕の子供たちが小さかった頃から子育て世代の悩みの種でした。ラーメン体験記でも書いていますが、申し込むための条件として「働いていること」が要件となっているのでは矛盾しています。就職面接では小さな子供がいては採用されるのは不可能だからです。求職中ということでも申し込みはできますが、優先順位が下がりますので入園できる確率はとても低くなります。
 根本的な原因は保育園が足りないからです。ですが、認定NPO法人フローレンス代表理事・駒崎弘樹さんのサイトを読みますと保育園を増やすことも容易ではないようです。結局は、社会全体の問題ということになります。子育て世代だけではなく老若男女すべての人が同じ考えにならないと無理のように思います。でも、そんな社会って民主国家ではないですよね。そこが難しいところです。
 本当に、民主主義ってむずかしい…。
 じゃ、また。




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