<置かれた場所>

pressココロ上




 先週の驚きの事件といいますと、やはり誘拐されていた女子中学生が2年ぶり保護さられた事件です。前回のコラムも虐待を受けた少年のお話でしたので2週続けて暗い内容になりとても申し訳ない気持ちですが、前回同様やはり書かずにはいられません。
 被害に遭った女子中学生は中野区の公衆電話から助けの電話をかけています。実はその場所は週に2回くらいその前を通っているところですので他人事とは思えない気分になります。
 それにしてもよくぞ助けを求める勇気が出たものです。事件が明るみに出た当初は「逃げなかった不思議さ」を指摘する論調がマスコミから指摘されました。しかし、すぐにその指摘に反論する意見が出ましのたで安心しましたが、僕としても被害者に非があるような論調はどんな理由や根拠があろうとも認めることはできません。
 この事件に関してとても共感する文章がありましたので引用させていただきます。
『「なぜ!?」という問いは、しばしば相手への攻撃であり責める言葉になる』
                    碓井真史 新潟青陵大学大学院教授
 僕はこの「なぜ!?」という問いに無責任さを感じます。当然といえば当然ですが、「他人事だから大した問題ではない」という気持ちが透けて見えるのです。他人事であるならとやかくは言わないのが他人のマナーというものです。もちろん心の中で思うのは全く問題ありません。心の中のことは表に出さなければ他人を傷つけることはありません。あのヘイトスピーチも口から外に出すから問題になるのです。心の中で思っているだけならなんの問題もありません。心の中は個人の自由です。
 たぶん多くの人が経験しているでしょうが、自分が不利な立場にいるときはその不利さを少しでも和らげようと強い立場の人に迎合しようとする気持ちが芽生えるものです。ですから、よく見かける光景ですが、虐げられている側が虐げている側に施しを受けて「ありがとう」とお礼をいうことがあります。これは自然とそのような気持ちにさせられることもありますが、多くの場合は迎合する気持ちによりその選択をします。つまり、支配者に従順であることを示して、自分の待遇をよくすることを願う考えです。
 このような話をするときに僕がいつも思い出す経済誌の記事があります。僕はこのコラムをはじめて10年とちょっと経ちますが、これまでに数回紹介しています。ですが、今回も書きます。
 それは心を支配されることを断固として拒否する労働組合の記事でした。僕がラーメン屋さんを開業して5年くらいが過ぎたころですのでかれこれ25年も前のことですが、当事の僕にとっては衝撃的な内容でした。
 ある日本の大手自動車会社が米国に進出したときです。会社側は従業員の気持ちを○○したりひとつにするために全員が会社の業績が上がるような気持ちになることを要望しました。ある意味、会社に対して忠誠を誓わせる意図があったかもしれません。それに対して、労働組合の幹部がその要望を拒否したのです。
「会社の規則として制服を着用することや決められた帽子を被ることは受け入れる。しかし、会社側と同じような気持ちになれ、というのが受け入れるわけにはいかない。」
 企業に属して働くということは労働を与える代わりに賃金を得ることです。心まで企業に与えるのは間違いです。同じような話を作家の佐高信氏が指摘していました。佐高氏は辛口の評論家で有名ですが、今のpanasonic昔の松下電器が従業員に松下幸之助の本などを強制的に読ませていることを批判していました。松下教と揶揄しています。
 一昨年から昨年にかけてベストセラーになった本に渡辺和子氏の「置かれた場所で咲きなさい」という本があります。この本はどこにいてもそこで一生懸命に生きることの大切さを説いた本ですが、佐高氏はこの本についても批判的に書いていました。
 この本で説いていることは経営側にとって都合のいいことを言っているだけ、というわけです。もう少し具体的に説明しますと、給料が低く休みも少ないような労働環境であってもそこで一生懸命働くことの尊さを説いていることになります。こうした状況を経営側にとって都合がいいといわずになんといいましょう。
 つまり、この本は労働者に対して「つべこべ言わずに今の環境で満足して一生懸命働け」と言っているようなものだと佐高氏は指摘していました。
 アラブの春は虐げられた階層にいた人々が民主化を求めて大規模な運動をしたものですが、もし「置かれた場所」で満足するだけだったなら民主化運動など置きなかったでしょう。虐げられた場所に永遠にいることになります。自らの環境を変えるには行動するしか道はありません。
 アラブの春が成功した背景にはネット環境があるといわれています。ネットによってほかの世界の国々の状況を知り、自分たちの環境のおかしさに気づくことができたのです。あとひとつは、ネットによって抗議運動をする情報交換もできたというメリットがあります。このように行動する際に情報は欠かせない要因です。
 女子中学生が助けを求める行動に出られたのは「両親が探している」という情報に接したからです。新聞報道によりますと、犯人は女子中学生に「親に捨てられた」とか「借金の代わりに売られた」などと話し、精神的に支配しようとしていたそうです。つまりマインドコントロールをしていたことになりますが、それを打ち破り行動に移せたのは女子中学生を勇気付ける情報があったからでした。情報はとても大切です。
 残念ながらアラブの春は民主化のあとに混迷が続いています。ある意味、成功したとはいえない状況です。英国の首相チャーチルが言っているように民主主義は万能ではありません。ほかのどのイデオロギーよりはましという程度です。ですが、行動しなければなにも始まりませんし、なにも起こりません。保護された女子中学生も助けを求めるという行動を起こすまでに葛藤があったのは想像にが難くありません。それでも行動したからこそ助かることができました。「置かれた場所」で納得していたならあの犯人と一生暮らしていくことになったのかもしれません。先のことは誰もわかりません。行動を起こして成功するかもしれませんし失敗するかもしれません。大切なのは成功か失敗かではなく行動することです。
 新しい年度が始まりました。新しく社会人になられた皆さん。「置かれた場所」について考えることは大切です。
 じゃ、また。




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