<為政者>

pressココロ上




 参院選は終わりましたが、東京ではまだ選挙戦の真っ最中です。都知事選があるからです。東京以外にお住いの方はほとんど関心がないでしょうが、政治というか選挙の戦い方に興味のある方には気になることがいくつもあります。
 まず、鳥越氏が立候補を表明したときに小池氏が「究極の後出しじゃんけん」と揶揄していましたが、この例え方はマスコミを意識した発言です。選挙という戦いではどれだけマスコミの注目を集めるかが勝負の分かれ目になるからです。できるだけインパクトのある立候補表明のやり方が有利であるのは間違いありません。あまり早く表明してしまいますと新鮮味が薄れ、下手をすると忘れられる可能性もあります。ですから立候補のタイミングはとても大切です。
 それがわかっていながら小池氏が真っ先に立候補を表明したのは自民党内における自分の立場が微妙だからだと想像できます。おそらく既成事実を作ることでしか自民党から推薦を得られないと考えていたのでしょう。結局、その作戦は失敗に終わりましたが、それは逆に小池氏の主張の信ぴょう性を疑わせる結果となったように感じます。
 小池氏は自民党の推薦依頼を取り下げてから都議会の黒幕らしき「自民党のドンの悪評を暴露をする」ようになりました。猪瀬元知事もそれに呼応するかのような発言をネットで発信していますが、猪瀬元知事は自分が辞めさせられた当時の恨みから復讐の意味で行っている可能性もあり、二人は相通じているのか判断に迷うところです。それはともかくもし推薦を得られていたなら自民党の都議会のドンと言われる人にはどのように対応するつもりだったのでしょう。興味深いところです。
 増田氏につきましては岩手知事時代に「県の借金を3倍にしたあげく岩手県を捨てた」とか舛添氏と同様に「出張の際はファーストクラスを利用していた」とか、ネットでは悪評が多いですが、県知事を2期も務めていた実績は評価されるべきものですからテレビでの討論会や街頭演説などでどれだけ挽回できるかがカギです。
 鳥越氏につきましては週刊誌に女子大生へのセクハラを報じられていますが、この報道がどれだけ投票に影響するのか難しいところです。それは別にして年齢や健康について考えるとき、やはり無理があると思うのは僕だけではないでしょう。
 そうであるだけに本人がなぜ立候補する気持ちになったのか不思議でならない気持ちもあります。また実務面から考えましても無理があるように思えてなりません。
 かつて民主党が政権を取ったとき、「ミスター年金」と異名をとっていた長妻氏が厚生労働大臣に就任しましたが官僚たちを使いこなすことができず、結局なにもできないまま退任したことがありました。外野から批判をするのは簡単ですが実際に自分が当事者になり責任が伴ったときの難しさを垣間見せた出来事でした。祭りごとは傍で見るのとは大違いのようです。鳥越氏が都知事になっても同じような光景になりそうな気がします。
 僕からしますと、鳥越氏はジャーナリストでありながらパフォーマンスが過ぎるところがありますので、そうした気質が判断を誤らせたように感じていますが、真実はどうなのでしょうか。
 今回の都知事選はこの3人の方以外にもジャーナリストの上杉隆氏や元労働大臣の山口敏夫氏など総計21人が立候補しています。中には泡沫候補と言われる人もいますが、海の向こうでは泡沫候補だった人物が共和党の指名候補にまで上り詰めてしまいました。なにが起こるかわからないのが世の中ですが、さすがに日本ではそんなことは起こりそうもありません。。
 そんな日本に比べ米国は本当に民主主義の国と実感します。同時にチャーチルの言葉も思い起こさせます。
「民主主義は最悪の政治形態らしい」。
 最悪の政治形態であろうとも誰かからの強制ではなく自分の意思で選ぶことができるのですから民主主義に長所があるのは間違いありません。隣には政治家を選ぶことができない国家もあるのですから民主主義の素晴らしさを実感します。しかし、トランプ氏が指名候補に決まるのを見ていますと、民主主義が万能でないことも確かなようです。
 ユダヤ人を虐殺したヒトラーは誰かの命令で総統に就任したのではありません。選挙によって政権のトップにまで上り詰めたのです。民衆が拍手喝さいで総統に祭り上げたのです。その事実を忘れてはいけません。
 つまり人間は常に正しい選択をするとは限らないのです。ヒトラー現象はそれを証明しています。今世界各国を見渡しますと、民衆を扇動する政治家が台頭しつつあるように感じます。いろいろな国で移民を排斥したり自分たちだけが幸せになるような主張をする政治家が人気を集めています。民主主義が揺らいでいます。
 英国はEU離脱を国民投票によって決めましたが、決まったあとに「きちんと考えなかった」とか「勘違いをしていた」などと離脱に後悔しているニュースが伝えられています。やはり、人間は常に正しい選択をするとは限らないようです。
 為政者が神様のような存在で人間社会を高いところから俯瞰しながら政治を行うなら、仮に偏った間違った方向に行きそうになったときは修正してくれるでしょう。しかし、残念ながら為政者はそのような存在ではありません。為政者は民衆が選んだごく普通の人間です。ですから間違った選択をした結果の為政者である可能性もあります。
 このように民主主義は完璧な政治形態ではありませんが、それでも民主主義で人間社会を営むしか方法はありません。なぜならほかによい政治形態がないからです。チャーチルは先の言葉に次のように続けています。
「ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが」
 民主主義を誰もが納得できる政治形態にできるのは人間です。人間だけが民主主義を素晴らしい政治形態にできるのです。ただし、忘れてはいけないことがあります。それは、為政者にニンベンをつけると偽政者になるということです。
 じゃ、また。




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