<武士は食わねど高楊枝>

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<武士は食わねど高楊枝>
 先週で一番大きなニュースといいますと、やはり障がい者施設での殺傷事件です。なんともむごい事件でしたが、残虐性とともに注目を集めたのは普段世間一般にはあまり知られることがない障がい者施設というものでした。
 僕も含めてですが、今回の事件で初めてこのような大きな障がい者施設があることを知った人は多いと思います。また、施設の側でもできるだけ世間とは接点を持たないで済むように設計されているようにも感じます。その証拠に事件が起きたあとの警察発表では家族の要望で氏名の公表が自粛されていました。
 朝日新聞ではそのあたりをもう少し突っ込んで記事にしていましたが、家族には知的障害者が身内にいることをできるだけ「知られたくない」という思いがあったそうです。しかし、事件の報道を経てそうした思いでいたことを反省する気持ちになったと書いてありました。
 実は、このあたりもとても微妙で新聞記者から指摘を受けて気持ちを切り替えた、もしくは切り替えさせられた可能性もあります。人間は自分で自分の気持ちを認識するのは簡単ではありません。ですから自然な気持ちでなったのか、それとも周りの人からの有形無形の圧力で変心したのか、もう少し柔らかい圧力の意味でいいますと、自主規制というか周りの人の気持ちを忖度して気持ちが変わることもあります。それほど人の気持ちの揺れ方は微妙です。
 米国ではとうとうトランプ氏が共和党の大統領候補者に指名されました。この話は先週も書きましたが、僕はトランプ氏のような排他的でポピュリズム的な人物が指名候補者になったことを危惧しています。先週も書きましたが、繰り返します。ヒトラーはごく普通の人たちが投票で選んだのです。
 このように自分中心で排他的な主義主張が一定の支持を集める傾向が世界的に広がっています。英国のEU離脱も移民排斥が背景にありますし、仏でも独でも極右政党が伸長しています。EUが設立された最も大きな理由は各国が緊密な関係を築くことで二度と戦争を起こさないためでした。緊密な関係とはお互いを認め合うことです。排他的とは正反対の考え方のはずです。
 日本でもヘイトスピーチという言葉が聞かれるようになりました。ヘイトスピーチデモも行われてもいます。ヘイトスピーチとは憎悪を含む発言ですが、かつては憎悪を含んだ言葉を口から発するのは躊躇われるのが普通でした。それが堂々と口にするどころか叫ぶことさえ行われるようになったのですからとても危険な兆候と感じています。
 どんなに良心的な人であろうとも生きていますと、人を憎みたくなるような場面に遭遇することはあります。所詮、人間は考え方が違う生き物ですし、他人よりは自分のほうが「得をしたい」とか「優遇されたい」と思うのが自然だからです。ですから、口にこそ出しませんが「あいつなんか死んでしまえばいい!」と思うことは誰でも一度や二度はあるはずです。僕などはこれまでに何度思ったか数知れません。
 本当に世の中には「こんな嫌な奴がいるのか!」と思うほど嫌な奴がいるものです。そして、僕が思うのと同じように僕のことを「嫌な奴!」と思っている人もいるはずです。世の中はいろいろな人がいるのですからそれで当然ですし、お互いさまです。
 「嫌な奴」もその度合いが激しいと「死んじまえ!」と思いますが、間違っても当人に面と向かって言うようなことはしません。普通の常識のある人なら絶対にしません。今回の障がい者施設を襲った犯人は普通の常識のある人ではありませんでした。措置入院という精神的な病を患ってもいたようです。普通の人は他人を傷つけるようなことを頭の中で思うことはあるかもしれませんが、言動に表すことはしないものです。
 このように他人を傷つけることを頭の中で考えることはあってもそれを表に出さない理由は人間関係を良好にしておきたいからです。良好でなくてもよいのなら自分の正直な気持ちを相手に言いたい放題に言うこともできます。しかし、人間関係が崩れてしまうと損失を被るのは自分です。損失という言葉を使いますと、損得を考えているようであまりいい響きはありませんが、平和で穏やかな暮らしができないことは損失に当たります。
 世の中は自分ひとりで生きているのではないのですからそれぞれが少しずつ辛抱することが必要です。すべてについて100%満足するのではなく少しずつ相手に譲歩することで世の中は平和に営まれます。
 ですから自分の思いをすべてさらけ出すのではなく少し相手に譲歩した気持ちも含んだ言動が良好な人間関係を築くには必要になってきます。ですから正直な気持ちではなく建前で留めておくことは有益です。みんながみんな正直な気持ちだけで応対していたなら良好な関係など築けるはずがありません。
 嘘をつく人よりは正直な人のほうが好感されます。今の世の中はポピュリズム的な発言が人気を集めていますが、この背景には自分では口に出せない心の中で思っている気持ちを代弁してくれる人を支持する行動があるように思います。「移民を排斥して自分たちの雇用を守る」とか「国境に壁を設ける」とかしかも「その費用は相手国に支払わせる」などという「自分だけが得をしたい」という正直な気持ちを代弁してくれる政治家を称賛しています。
 しかし、本音をさらけ出す言動では平和で穏やかな社会を築くことはできません。今、世界で起きているテロ事件を見ていますと、新たな戦争に突入したことがわかります。自爆攻撃は防ぐことができないのです。ですから、かつてのように戦争に勝利してそのあとは平和が訪れると考えるのは無理があります。今の時代の戦争に勝利はあり得ません。なぜならいつまでもテロとして戦争を継続することができるからです。
 そんな時代に平和を築くには本音だけで語るのではなく建前でお互いが関係を築くことが必要です。建前と聞きますと上っ面な印象がありますが、建前には自分の本音ではない世間という視点も考慮したお互いが納得できる部分があります。建前で相手と交渉するならお互いに相手を傷つけることなく話し合うことができるように思います。あまりに本音をさらけ出しすぎますと敵対心しか生まないような気がします。
 ときには本音ではなく建前で生きることも必要です。
「武士は食わねど高楊枝」
 じゃ、また。




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