<ファースト>

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 僕は毎日大手スーパーのフードコートに妻と出かけることを日課にしています。実はなにを隠そう、僕の夫婦の理想の姿は「夫婦は常に一緒にいること」と思っているからです。僕がサラリーマンを辞めて商売を選んだ理由のひとつにもそれが当てはまりますが、「なぜ結婚するか」といいますと「一緒にいたいから」がシンプルな理由です。「一緒にいたい」のでなければ、わざわざ結婚する必要はありません。恋人や親しい友人としての関係を続けていればよいのです。そうではなく、結婚という形をとるのは単純に「一緒にいたいから」です。というより「一緒にいたいから」でなければなりません。「must」です。
 僕はテキストを幾つか書いて公開していますが、その中で毎日読まれているテキストがあります。自慢話になって申し訳ありませんが、「あなたはこうやってラーメン店を失敗する」と「あなたはこうやって結婚生活に失敗する」です。
 僕はgoogleのadsenseをやっていますが、これらテキストから少しだけ収入を得ています。adsenseを始めて10年くらい経ちますが、ピーク時に比べ現在は1/3くらいに減っています。理由は閲覧者の端末が変わったことです。以前はPCで読まれることがほとんどでしたが現在はスマホに取って変わられています。
 そしてスマホに表示される広告はPCに比べ単価が低くなっています。それが収入が減少した理由のようです。「ようです」と曖昧なのは自分でも正確には理解していないからです。なにしろgoogleはとっつきにくいですから。
 そのadsenseが昨年末に分析結果の画面を変更しました。それによってどのテキストがクリックされたのかがわかるようになったのですが、それでわかったのが「あなたはこうやって結婚生活に失敗する」が僕が思っている以上に読まれていることでした。僕は、「・・・ラーメン店に失敗する」が読まれていることは予想していましたが、「・・・結婚生活に失敗する」はほとんど読まれていないと思っていました。それが意外にも読まれていることがわかり、ちょっと驚きました。
 それはともかく僕は毎日妻とスーパーのフードコードに行っているのですが、「毎日」は大げさではありません。おそらく僕たち夫婦は店長や従業員や駐車場の誘導員の人たちよりもスーパーに通っていると思います。僕の記憶では昨年も365日のうち360日は行っていると思います。なにしろ行かなかった日が思い出せないのですから360日は少なく見積もった数字です。因みに、このスーパーのフードコートができるまでは週に2~3日マックにコーヒーを飲みに行っていました。
 さて、このように毎日フードコートに行っているのですが、最近気になることがあります。それはフードコートの利用者についてです。フードコートは自由に誰でもが使えることになっています。飲食物を持ち込むことも認められていますので店内で購入したパンや総菜、お弁当などを広げて食べている人もいます。もちろんフードコートの周りにはファーストフード店やアイスクリーム店、牛丼店、ラーメン店などがありますのでそれらの食べ物を食べることもできます。
 このようにフードコートという場所はその名前の示すとおり「飲食をする」のが基本的な使い方です。ところが最近は飲食とは全く関係のない使い方をしている人を目にするようになりました。
 先に書きましたように、フードコートの周りには飲食店がありますので、ときにはそれらの店舗の責任者が面接をすることもあります。それは向かい合って座っている二人の雰囲気や態度で想像がつきます。そして、そうした利用の仕方もある意味当然のように思います。
 ところが、最近はフードコートの店舗と関係があるとは思えない雰囲気の人たちが利用する姿を見かけるようになりました。そして驚くべきことに、そこで数人が集まり会議らしきものまでを行っているのです。わざわざ机と椅子を移動させて会議にふさわしい並べ方にまでしています。
 面接であるなら、なんとなく理解できます。フードコートの店舗の責任者も行っていますのでスーパーの近くの会社で面接の場所が確保できない場合などは格好の場所といえなくもありません。また、面接の延長線上のものとしてセールスマンが顧客に対して商品説明をしたり契約をするのも理解の範囲に入ります。ですが、その場合も一人対一人、最大に譲っても一人対二人までです。それ以上ですと、理解の限度を超えています。さらに会議となりますと、限度を超えるどころではありません。不適切です。フードコートは会議を行うのにふさわしい場所ではありません。
 理由は、フードコートのほかの利用者に対する配慮に欠けています。スーツ姿の男性が机や椅子を動かして特別な空間を作ることはほかの利用者の居心地を悪いものにします。最悪の例は会議が終わったあとに机と椅子を元に戻さないことです。
 そもそも論になりますが、会議という重要な話し合いを周りに筒抜けの状況で行うことに疑問を感じます。また、そのような状況で中身のある有意義な話し合いなどできるとは思えません。僕からしますと、そうした姿勢で仕事に臨む企業は三流の企業としか映りません。今の時代は情報保護がとても重要な要因ですが、その意味でも企業として失格です。
 このように企業としてあるまじき行為をなんの疑問も持たずに行ってしまうのは自分のことだけを考えて周りが見えないからです。視野が狭いからです。もし、第三者の視点を持てるなら自らの行為を不適切と感じるはずです。自分の会社にとってだけ得することを、または損を被らないことだけを考える発想が根本にあります。フードコートで会議を行いますと会議室を借りなくて済みますからコストがかかりません。ただ自社の利益だけを考えた行動です。今ふうの言葉で言うなら「自社ファースト」ということになります。
 先週のトップニュースはなんと言ってもトランプ氏が大統領に就任したことです。予てより報道されていましたが、反対派のデモなど米国が分断されているようです。支持率もこれまでの最低で40%台だそうです。そのトランプ氏は「米国ファースト」を声高に主張しました。なにを差し置いても「米国を一番に考える」ことを重要な政策に掲げました。
 細かく考えるなら「米国ファースト」の「米国」がどういった人たちを意味するかが問題です。トランプ氏が考える「米国」は白人のかつての中流階級のようです。しかし、トランプ氏の政策の裏返しとして移民差別や人種差別、女性蔑視などがあります。トランプ氏を批判している人たちはそのことに憤っています。
 米国内における白人偏重主義も問題ですが、さらに世界に目を向けるなら「米国ファースト」は「米国さえよけれがそれでよい」という発想が透けて見え、世界を不穏な空気にさせるものがあります。
 テレビである評論家がトランプ大統領の演説はヒットラーが台頭してきたときの演説に似ていると指摘していました。言われてみますと、確かにヒットラーが登場したときのドイツは第一次大戦の敗戦により世界から賠償金などを負わされていて疲弊していました。そのような社会状況で国民の不満を代弁する演説はまさしく「ドイツファースト」といえるものでした。そして、世界大戦へと発展していきます。
 今、欧米ではいろいろな国で自らの国を「ファースト」にする発想が席捲しています。英国の離脱もそうした発想が背景にあるようですし、各国で移民排斥を訴える政党が伸張しています。トランプ大統領の政策のひとつである保護主義も「ファースト」そのものです。保護主義も世界大戦に至った要因のひとつです。
 現在のような世界を取り巻く不穏な空気はやはり戦争を想起してしまいます。戦争がいけないことは誰でも知っていますが、知らぬ間に突入しているのが戦争という悪魔です。人間は「世界ファースト」という気持ちにはなれない生き物なのでしょうか。
 じゃ、また。
 




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