<スポーツ選手イヤー>

pressココロ上




 浅田真央さんが引退会見をしました。会見の映像を見ていてつくづく思ったのは活躍する分野に関係になく有名になる人はマスコミとの関係または距離感がとても重要だということでした。その点で言いますと、浅田さんはほぼ完璧だったような感じがしました。
 会見場にいるマスコミ関係者の全員が浅田さんを好意的に見ていることが雰囲気から伝わってきました。やはり人柄と言いますか人徳と言いますか、人間性いうのは重要のようです。それにしても「すごい!」と感じるのは浅田さんの年齢がまだ26才ということです。この若さでマスコミ対応もきちんとしっかりできることに尊敬の念を感じずにはいられません。やはりどんな分野でも成功する人というのは普通の人よりもいろいろな面で優れているのは間違いないようです。
 スケートの世界に限らずあらゆる分野のスポーツ選手は一般人よりも数倍早いスピードで人生を歩んでいるように映ります。犬の世界を指して「ドッグイヤー」と言うことがあります。犬は人間の7倍のスピードで人生を送っていることを指しているのですが、「犬の2才は人間の14才にあたる」などと表現します。
 同じようにスポーツ選手にも「スポーツ選手イヤー」があるように思います。スポーツは肉体を使いますので自ずと20代でピークを迎えることになります。そして30代半ば、遅くとも40才前には引退します。イチロー選手のように40才を超えても現役を続けられる人もいますが、イチロー選手は特別です。普通のスポーツ選手は30代でひとつの人生を終えます。
 スポーツ選手のこのような人生を見ていますと普通の人の2倍から2.5倍くらいのスピードで人生を送っていると考えることができます。普通の人が60代でビジネスの世界を引退するのに対してスポーツ選手は20代で引退するのですからちょうどそのくらいのスピードです。
 スポーツの世界で頂点を極めたからといって残りの人生も成功するかといいますと、そうとは限らないのが人生の「難しい」というか「不思議な」ところです。凡人の発想では、スポーツで成功したやり方を人生に当てはめるならスポーツと同じように人生でも成功するように思えますが、現実はそうではありません。もちろん成功している人もいますが、平凡な人生を送っている人もいます。オリンピックで金メダルを獲得した選手が民間企業の一営業マンとして働いている姿を見ることもあります。
 中には頂点を極めたがゆえに普通の人生を送れずに道を踏み外している人さえいます。そのような人を見ていますと、スポーツで頂点を極めたのは「偶然に過ぎなかったのか」と思ってしまいます。
 しかし、こうした転落の人生を送ってしまうのはスポーツの世界に限ったことではありません。以前、コラムで巨人の星の原作者である梶原一騎さんについて書いたことがあります。梶原さんは多くに人に感動を与え、多くの共感を得た人気作家でした。僕などはスポーツ大好き少年でしたから生き方や考え方にさえ強烈に影響を受けました。「根性」とか「努力」とか「やさしさ」などを「星 飛雄馬」や「矢吹 丈」に教えてもらいました。そのような信念を持っているはずの梶原さんの晩年は周りの人を傷つけかつてのファンを落胆させる生き方をしていたそうです。(斎藤 貴男の梶原一騎伝より)
 やはり第三者からしますと、ひとつの世界で成功した人は人生においても普通の人が尊敬するような生き方をしてほしいものです。その意味で言いますと、スポーツ選手はひとつの人生を終える時期が早いですから残りの人生を充実させるのは大変かもしれません。それだけプレッシャーも強いとは思いますが、凡人としてはやはり期待してしまいます。
金子みすゞさんふうに言いますと「わがままでしょうか」という感じです。
 先週は熊本大地震が発生して1年ということで多くのマスコミが特集を組んでいました。1年という区切りのときにしか報じないことにいらだたしさを感じる人もいるでしょうが、いろいろな事件が起きる中でニュースとして取り上げることは意味があり、意義もあります。
 しかし、取り上げ方には違和感を感じることも多々あります。以前「感動ポルノ」という言葉がマスコミを賑わせましたが、テレビが特にその傾向が強いのですが、ニュースを伝える際に「淡々と伝える」のではなく「感動を伝えようという意図」が強すぎるのが気になります。熊本地震を報じるにしてもそうした意図を感じるこ場面が幾度もありました。
 例えば、あるリポーターは昨年の地震時にインタビューした地元の人をわざわざ訪ねて「お久しぶりです。お元気でしたか?」と声をかけます。おそらく昨年のインタビューした時点で一年後のインタビューも想定していたと思います。親しくなっておくことが番組作りに役に立つからです。そういった計算高いところが気になります。
 先日、ある麻薬捜査官が逮捕される事件が報じられました。麻薬犯罪の取り締まりで重要なことは内部情報だそうです。ですから情報提供者と親しい間柄でいることは重要な要因です。逮捕された捜査官は一線を越えて親しくなったことが原因のようです。ドラマや映画などでも似たような場面を目にすることが多々ありますが、現実の世界でもあることにちょっと驚きました。
 同じようなことが、スポーツ選手においてもいえます。選手とどれだけ親しい間柄でいるかがインタビュアーやジャーナリストとしての実力になるからです。インタビュー嫌いの選手と親しいということだけでジャーナリストの位置を確保している人もいます。
 もちろんこうした手法には問題があります。麻薬捜査官と同じで親しくなりすぎると選手を批判的な質問がしづらいことです。それこそかつての大本営発表を報じるだけのマスコミや、最近ではいつの間にか籠池氏の報道官のようになってしまった菅野完氏のようになってしまいます。距離感はとても大切です。
 籠池氏の国会への証人喚問もそのときはマスコミに大きく報じられましたが、今では報じられることも少なくなりました。いずれ誰も見向きもしなくなるのでしょう。いろいろな事件が起こりすぎるからです。
 このように考えますと、マスコミイヤーというものも存在するのかもしれません。しかもそのスピードはドッグイヤーどころではありません。早すぎて人間ではついていけないほどのスピードです。このようなマスコミと接する人間としてはマスコミに頭をゆだねるのではなく、ときには立ち止まり、そして自分自身で考えることが大切です。そうでないと自分を見失ってしまうことになります。きっと。。。
 たぶん、脚本家の倉本聰氏はそう思っているに違いない。
 じゃ、また。 




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