<大手マスコミ>

pressココロ上




 先週は憲法記念日がありましたので憲法に関連するニュースが多くありました。そんな中、最近僕が気になるのは「危機を煽る」ニュースが多いことです。例えば、北朝鮮からミサイルが発射されたときの交通機関の対応やミサイルで狙われそうな地域の人々にインタビューをしたりなどです。誰でも危険な状況を伝えられたら不安になるに決まっています。
 人は常に判断しながら生きていますが、その判断をする際は冷静で平常心を保っている必要があります。興奮したり感情的になっているときに下した決断が正しいはずはありません。ですから、反対に権力者は人々の気持ちを冷静でない状況にすることで自らの地位を確たるものにすることを考えます。
 ヒトラーが政治の世界で台頭してきたのもまさにその手法でした。第一次世界大戦の敗戦により莫大な負債を負わされて疲弊していた国民の不満を汲み上げて頂点にまで上り詰めたのです。そのことを忘れてはいけません。
 僕はどこの政党も支持していませんし、こだわりがある政策があるわけでもありません。ただみんなが平和で穏やかな生活を営めるような国になればいいなぁ、と思っている小市民です。そんな僕ですが、安倍首相の改憲に臨む手法には違和感を持っています。今の政府のやり方は明らかに「危機を煽って」います。「危機」が言いすぎであるなら「不安を煽って」います。
 先週の本のコーナーで中曽根元首相の本を紹介しましたが、その中曽根氏が憲法記念日に「新しい憲法を制定する推進大会」で演説をしていました。中曽根氏も安倍首相同様に改憲を目指している政治家ですが、そのやり方は王道を目指しているように見えます。どさくさに紛れて改憲をしようと目論んでいるのではなく、正々堂々と賛成反対の双方が意見を戦わせて、それで尚且つ改憲する道を目指しているように感じます。
 中曽根さんの本を読みますと、昔の自民党の政治家には「信念」があったように思えてなりません。政治家として「国民に尽くす」または「国家がいい方向へ行くように活動する」という信念です。権力闘争がありながらも、最後は政治家としての信念で動いていたように思います。今の政界を見渡しますと、そういった高尚な「志」が感じられる政治家が見当たらないのが残念です。
 それにしても安倍首相の世論に対する感性には脱帽です。以前から僕は安倍首相の世論に反応するバランス感覚を称賛していましたが、今村雅弘復興大臣の失言のときの素早い動きにもその感性の素晴らしさが見て取れました。「東北でよかった」発言があったときはその日のうちに解任を決めていますし、先週はわざわざ首相自らが東北に足を運んでもいます。この敏感な反応力が一強になっている今の政権の源になっています。
 僕はこの安倍首相の世論に対する感性は現在通産大臣に就任している世耕さんが主導していると推察していました。しかし、世耕さんが通産大臣になってからも安倍首相の世論への対応が敏感なままですので違う人物のようです。今の僕の推測では、菅官房長官が担っていると思っています。
 なんだかんだ言って、あれほど国会で騒がれていた森友学園問題も結局うやむやになりそうです。籠池氏を国会に呼び、昭恵夫人の証人喚問まで取りざたされていた問題ですが、現在マスコミで取り上げられることはありません。おそらく安倍首相および菅官房長官あたりはこのようになることを想像していたのではないでしょうか。今のペースで行きますと、共謀罪またはテロ等準備罪もすんなりと成立しそうな気配です。
 安倍首相が世論対応を上手にこなしている要因には感性の素晴らしさもありますが、同じくらいマスコミの要因もあるように思っています。先ほど今村復興大臣の失言について触れましたが、今村復興大臣はその前にも閣僚として相応しくない態度をとっていました。本来なら、その時点でマスコミは集中的に批判して辞任に追い込まなければいけなかったように思います。しかし、2度目の失言で安倍首相が解任するまで待たなければいけませんでした。
 今村大臣が解任されたことについて今村氏が所属する派閥の長である二階 俊博氏がマスコミ批判をしていました。「少し間違えただけで、大臣の首をとれ!などとマスコミが批判するのはけしからん!」という内容ですが、この発言に対してマスコミがあまり反応しなかったのが不思議です。僕は、今の大手マスコミは政治家、特に政権や与党の政治家に迎合している印象を持っています。
 先ほど、今村復興大臣は解任された失言騒動の前に「閣僚として相応しくない対応を取っていた」ことを書きました。その対応とは、今村大臣が会見で「自主避難者について“自己責任”“裁判でも何でもやればいい”と発言」したことを追及した記者に対して「出て行きなさい!」と激怒したことです。ニュースなどでも取り上げられていましたのでご覧になった方も多いでしょう。
 一般のニュースでは大臣と記者とのやり取りを興味本位で取り上げていただけでそれ以上の追及はありませんでした。実は、このときに追及した記者は大手マスコミに所属している人ではありませんでした。僕はそこに疑問を感じています。
 この一連の騒動は、今の大手マスコミの記者が政権に批判的な追及をほとんどしていないことを示しています。その流れの延長線上に二階氏のマスコミ批判発言に沈黙をしているマスコミの姿勢があります。昔の記者であったなら二階氏の発言に抗議をしていたはずです。権力者である政治家が権力を監視するのが使命であるマスコミに対して「政治家を批判するな!」と発言したことに憤りどころか抗議さえしない今のマスコミはジャーナリストの役割を果たしていません。
 また、そこには記者間の格差問題が潜んでいるようにも感じます。あの会見で執拗に今村大臣を追及したのは大手の記者ではなくフリージャーナリストでした。つまるところ、大手マスコミの記者連は大手だけでツルんでいてフリーの立場の人たちを見下しているように感じます。確かに、ジャーナリストと名乗りながら実際はなにかしらの活動家であったりすることはあるでしょう。しかし、そのあたりを見抜く目を持っているのがプロの記者であるはずです。記者としての矜持はどこに行ってしまったのでしょう。このままでは政権に都合のよりニュースばかりが流されそうで不安です。
 先日は北海道新聞の世論調査が注目を集めました。理由は、共謀罪について世論調査をした結果、「知らない人が49%、賛成48%、反対45%」というものだったからです。見出しは「知らないけど賛成?」でした。おそらくこれが一般の人の現実ではないでしょうか。だからこそ、マスコミは丁寧に賛成反対の両方の主張をわかりやすく伝える使命があるはずです。
 僕が今、一番好きなCMは元プロレスラーの天龍さんが出演する炭酸飲料のCMです。このCMには2つのパターンがあるそうですが、僕が好きなのは「KISS編」です。天龍になってしまった男子高校生の頬に女子高校生がキスをして元の高校生に戻そうとするのですが、反対に女子高校生が天龍の顔になってしまうCMです。
 僕はなんど見ても笑ってしまうのですが、天龍になってしまった女子高生がかわいそうでなりません。誰でも自分が思っていたこととは違う展開になってしまうと後悔しか残りません。
 今の世の中も、「知らない間に個人の自由が制限されていた」なんてことにならないように社会には常に関心を持っていましょう。
 朝、目が覚めたら妻が天龍になっていたら、僕、驚くだろうな、、、。
 もう、似てるけど…。
 じゃ、また。




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