<本当の悪者>

pressココロ上




 先週、僕が最も関心を持ったのは文科省の前事務次官が政権に反旗を翻している姿でした。そして、それに対して執拗に攻撃をする政権の姿勢でした。この事件というか騒動は「誰が本当の悪者なのか」わかりにくい構図になっています。
 では、この事件の全体を俯瞰する感じで発端から説明したいと思います。その中で読者の皆さんが「本当の悪者」をそれぞれ決めていただきたいと思います。「決める」というよりは「感じる」のほうが適切かもしれません。それぞれの出来事が複雑に入り組んでいますので「決める」という表現は正しくないように思えるからです。なにしろこの事件には政権から野党から官僚からマスコミまですべてが関わっているのですから…。
 事件の発端は家計学園疑惑でした。この疑惑は森友学園疑惑と同様、国有地を格安で民間に譲渡したことです。そして、共通しているのがどちらも安倍首相の知り合いであることです。特に、家計学園の理事長は安倍首相自らが「腹心の友」と語っているほどですからかなり親しい間柄の方です。前回のコラムでも書きましたが、本来首相の地位にある人は「李下に冠を正さず」が適切な振る舞いですが、安倍首相はそのような配慮の必要性を感じていなかったようです。
 家計学園疑惑を追及していく中で出てきたのが文部科学省(以下:文科省)と家計学園との間で取り交わされていた獣医学部の新設についてのやり取りの文書です。報道によりますと、家計学園は獣医学部の新設を文科省に申請していたのですが、獣医の数が需要を上回っていることを理由に、文科省は1996年以降獣医学部の新設を認めてこなかったそうです。それにも関わらず家計学園に認可した背景には「安倍首相の意向が働いている」という圧力があったからです。ここでも森友学園のときと同様に「忖度」という言葉がマスコミを賑わせました。そして、「安倍首相の意向」を証明するような文書の存在の有無が注目されることになりました。
 こうした展開を受けて今度は、その文書の正当性について文科省の前事務次官と政権側のバトルが始まりました。そのバトルの一つとして前事務次官はその文書の存在を認める発言をし、菅官房長官はこの事務次官の人間性を貶めるかのような発言をし、また読売新聞はこの前事務次官の出会い系バーへの出入りを報じたり、そうした動きに対抗するかのように前事務次官は会見を行ったりマスコミのインタビューに登場したりしています。
 これが家計学園疑惑にまつわる一連の流れです。読売新聞は元事務次官の出会い系バーへの出入りを報じるくらいですから、間違いなく政権側の立ち位置です。この報道に対しては批判的な意見が多いようですが、記者が裏付けをとって報じてるのではなく政権側のリークに易々と乗って報じているからです。批判を覚悟で報道したのですから読売新聞の姿勢がわかろうというものです。
 それに対して、朝日新聞は政権側に批判的です。一国の総理が親しい人に便宜を図るような行動したのですから「安倍政権に非がある」という意見には頷けます。しかし、まだなにかしっくりこない違和感を感じます。のどになにかがひっかかっている感じです。
 第一の違和感は「なぜ、前事務次官が政権を追い詰めるような行動をしたか」です。正否は定かではありませんが、一部ではこの事務次官の意趣返しという指摘があります。そうではなく「国民に真実を伝えるため」という誠実な人柄が理由という元事務次官を擁護する意見を言う人もいます。ここらあたりは本人しかわかりませんが、政権に盾をついているのは間違いありません。しかもそのことによって現役の文科省の官僚たちの仕事がやりにくくもなっています。本来、官僚という役人は「省益あって国益なし」というくらい自分たち官僚の組織を守ることを一番に考える人種です。
 記憶にある人も多いでしょうが、小泉政権時代に田中首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣になったとき、事務次官以下全員で真紀子氏を追い落としにかかったことがありました。当時の事務次官は「差し違える」とまで発言していたほどです。真紀子氏が自分のやり方で外務省を改革しようとしたことに反発したからです。
 民主党政権時も厚生労働省の大臣になった長妻昭氏に対して同様の対応をしたことがありました。このとき長妻氏は全くと言っていいほどなにもできませんでした。事務次官以下全員が大臣の指示を無視して行動するのですから当然です。
 このように通常官僚という人種は自分の所属してる省を守ることに命を懸けるものです。そして、その中でも抜きんでて「省を守る」気概のある人が事務次官に上り詰めるはずです。その事務次官にまで上り詰めた人が辞任したあとに政権に刃を向けるのですから違和感を感じるのは僕だけではないでしょう。
 先ほど「意趣返し」と紹介しましたが、これは文科省の天下り問題で「自分だけが責任を取らされた」ことに対する恨みです。確かに、ほかの省でも同じような天下りは行われていたのですから「怒り」を覚えるのもわからないではありません。しかし、その程度では反旗を翻すほどの動機にはならないように思います。
 先ほど「省益あって国益なし」という言葉を紹介しましたが、実は政治の世界では官僚と政治家の間には目に見えない戦いがずっと続いていました。そして、僕の正直な感想を言いますと、官僚が政治を動かしているのが事実のように思います。なにしろ政治家が大臣になりますと最初にやることは官僚からレクチャーを受けることです。これでは官僚に頭が上がるわけがありません。この最初のときの大臣と官僚のつばぜり合いが大臣としての能力を決めると言っても過言ではありません。いろいろな場面での各大臣の答弁を聞いていますと、官僚の言いなりになっている大臣かどうかを判断することができます。
 このようにかつては「官僚政治」という名前まであったくらいですから、官僚の力は決して侮れないものがあります。それを政治主導にしようと試みてきたのが小泉政権あたりからでした。しかし、小泉政権以降は首相が短期間で入れ替わっていましたので官僚政治に逆戻りしていたという印象でした。
 そうした状況を政治主導に変えようと試みていたのが、実は安倍政権なのです。そして、政治主導を確たるものにしたのが2014年に設置された内閣人事局です。内閣人事局とは国の省庁の幹部の人事をまとめて管理する組織です。それまでは各省の人事は省ごとに決められていて政権はそれを追認しているだけでした。ですから、官僚の人事権を政権が握ったのは大きな意義のあることでした。
 こうした背景を理解してうえで今回の文科省の元事務次官の反旗を翻した姿を見ていますと、違った印象を持ちます。
 官僚政治の弊害は縦割り行政と言われています。なにしろ「省益あって国益なし」ですから、省と省の横の連絡が密でなく無駄な税金が使われることにもつながります。それとともに指摘されるのが自分たちの縄張り意識の強さです。官僚の天下り問題の根もそこにありますが、自分たちの縄張りを死守したいがために国全体の視点から考えることができなくなっていることです。そこには非効率という悪い状況が生まれています。
 そうした弊害を解消するために設置されたのが内閣府でした。内閣府とは「各省庁にまたがる政策課題について、それらの隙間を満たす潤滑油として、あるいは柔軟に仕事をこなす」行政機関と解説されていますが、要は省益を優先する省に国益を優先させるように働きかける機関です。まさしく国家の運営において政治主導を果たすキーになる機関です。
 つまり、安倍首相の親しい人に便宜を図るということを除くなら内閣府が文科省に獣医学部の新設を働きかけることはあながち悪いことばかりではないということになります。 このような視点も踏まえたうえで家計学園疑惑を眺めますと、本当の悪者がわからなくなります。身内に利益を図る首相を咎める視点で見るなら前文科省の行動は正当化できますし、政治を官僚主導から政治主導に取り戻すという視点から見るなら菅官房長官の対応も理解できますし…。
 このように考えますと、本当の悪者が誰なのかわからなくなります。しかし、ただ一つわかったことは、いざとなったなら政治という権力は自分の都合のいいようにいくらでも情報を操作できるということですし、大手新聞と言えども書いてあることを無条件に信じてはいけないということです。
 そして、今回の事件は共謀罪がいくらでも権力の恣意のままに利用できるということを教えてくれました。共謀罪はおっかないぞ~!
 じゃ、また。




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