<歯止め>

pressココロ上




文科省の元事務次官の前川氏と官邸のバトルはまだ続いているようですが、今のような中途半端な状態で収束してしまうのは、僕としては納得できませんのできちんとした決着の方向に進んでほしいと思っています。
前川氏と官邸のバトルが始まってからも女性議員のパワハラ事件があったり、稲田防衛大臣の問題発言があったり、いろいろな問題や事件が起こっていますが、そうしたことが結果的に「目くらまし」のようになっているのが気がかりです。
文科省の問題で言いますと、家計学園問題で影が薄くなりつつあった森友学園の籠池氏が安倍首相の昭江夫人のお店に行ったり、安倍首相の街頭演説に直接行ったりして100万円を返却するパフォーマンスをしているのは「事件を風化させない」という意味で効果があるように思います。いつか逮捕されるとは思いますが、それまで「籠池氏、頑張れ!」と心の中で思っています。
聖人のような優れた人間でもない限り、人は常に正しいことをするとは限りません。ほとんどの人は正しい判断と間違った判断の間を行ったり来たりしているはずです。もし、すべてにおいて完ぺきに正しい対応をしていると思っている人がいたなら、そのような人こそ信頼性に欠ける人です。
このように人は常に過ちを犯す可能性がありますので、過ちをできるだけ最小に抑えるためにチェック機能を配置することが必要です。学校で習った記憶がありますが、三権分立はそのために作られたシステムのはずです。しかし、システムがあるからといってきちんと機能していなかったならなんの意味もありません。大切なのはチェック機能が働いているかどうかです。
若い人には古臭い話に思えるかもしれませんが、1980年代初頭に中曽根康弘氏が首相だったときに官房長官を務めた人に後藤田正晴さんという方がいました。中曽根さんという方は、今の安倍首相のように憲法改正を訴えていた政治家で自衛隊を正式に認めることを主張していました。中曽根首相はいろいろな場面で自衛隊の活動範囲を広げようとしていましたが、その考えに注意を促していたのが後藤田さんでした。
後藤田さんは自衛隊の海外派遣を「針の一穴になる」と悉く反対していたのですが、もし後藤田さんが官房長官を務めていなかったなら中曽根さんの時代に自衛隊はもっと力をつけ活動範囲を広げていたはずです。まさしく後藤田さんが歯止めになっていました。
このように書きますと、僕が「後藤田さんは素晴らしく、中曽根さんは悪者」と思っているように思われますが、実は僕は中曽根さんも後藤田さんに負けないくらい素晴らしい政治家だと思っています。
理由は、至極シンプルで「自分の思い通りにさせてくれない後藤田さんを官房長官に据えていた」からです。歯止め的な役割を身近に配置することで自分の政治家としての姿勢を保とうとしているように思えました。それは独裁に陥らないことです。
以前、このコラムで安倍首相が憲法解釈の変更を行った際に僕は「昔だったら、法制局が抑えていたのに」と書きました。恥ずかしながらそのときは気づかなかったのですが、安倍首相は法制局が反対をしないように、内閣法制局長官の人事を変えていたのでした。覚えている方もいるでしょうが、安倍首相に考えが「近い」というか「同じ」小松一郎氏を長官に任命していました。このような布石がありましたので、あっさりと憲法解釈が行われていたのでした。
参考までに内閣法制局について辞典から引用いたします。
「内閣の補助部局の一つで、法律問題に関して内閣や大臣に助言を与える内閣直属の機関。内閣法制局は、法令の適用や解釈について内閣や各省庁で疑義が生じたときに意見を述べ、あるいは法律問題に関し、政府統一見解を作成するときに大きな役割を果たす。(ブリタニカ国際大百科辞典)」
自分の政策を遂行するには反対勢力を排除したほうが楽であるのは間違いありません。反対勢力によって、いちいち足止めをくらい中々前に進めないといった状況にならなくて済むからです。周りがみんな賛成してくれる人ばかりだったなら、なんの苦労をすることなく自分の思い通りに政策を遂行することができます。しかし、楽なほうには必ず落とし穴があります。
かつて星飛雄馬は小学生低学年の頃、父から早朝の走り込みを日課とされていました。ある日、飛雄馬がいつものコースを走っていると工事中で行き止まりになっていました。ですので、いつもとは違う道を選ばなければいけないのですが、道は二通りありました。右と左ですが、両者の違いは距離です。右を行きますといつもより距離が短くなり、左に行きますといつもより距離が2倍くらい長くなってしまいます。飛雄馬は迷った末に短くなる右の道を選びました。
飛雄馬はいつもより距離が短くなったことで少しうれしさを感じながら走っていたのですが、その道の出口に差し掛かったところに行きますと、なんとそこには父・一徹が腕組みをし鬼のような形相で待ち構えていたのです。飛雄馬を見た一徹は頬を張り飛ばして叱りました。
「どうして、大変な方を選ばなかったんだ!」
僕は安倍さんが首相になってから安倍さんのスタッフの世論を感じ取る敏感さに感服していました。世の中の雰囲気を実にうまくとらえていたからです。その感性が安倍さんの長期政権に寄与しているとさえ思っています。しかし、最近その敏感さにずれが生じているように感じています。
少し前に安倍首相の取り巻きのジャーナリストといわれる人がレイプ事件をもみ消したことでマスコミで注目されましたが、そのジャーナリストが安倍首相にアドバイスをしていたことは容易に想像がつきます。そのジャーナリストが事件でいなくなったことも「敏感でなくなったこと」と無縁ではないように想像しています。
また、最近の菅官房長官は記者会見での記者の人たちへの対応の仕方が自信無げになっているように感じています。それを端的に表していたのが、東京新聞の女性記者とのやり取りでした。よく解釈しますと「真摯に向き合おう」としているように見えましたし、一方で「弱弱しい感じ」を受けました。以前でしたら、批判的な質問に対しては一蹴するくらいのふてぶてしい対応をしていたように思います。端的に言いますと、「やりこめられていた」という印象です。
安倍さんが首相に返り咲き、菅さんが官房長官に就任したときは菅さんが安倍さんの歯止めの役割をしてくれるのではないか、と期待していました。後藤田さんの影が見えていたからです。しかし、残念ながらそのような対応はしていないようです。
安倍さんはお友だち内閣と揶揄されていましたが、実際に荻生田副官房長官や下村元文科大臣と家計学園の親密性を目の当たりにしますと、お友だち内閣は的を得ているように思います。
それにしても最近の大手新聞の報道姿勢はあまりにジャーナリズム感がなさすぎです。読売新聞の前川氏の出会いバー報道などを見ていますと落胆を通り越して悲しくなるくらいです。今回、またしても文春が下村議員の家計学園の寄付に関する記事を発表していましたが、新聞はスクープを忘れてしまったのでしょうか。先ほど、菅官房長官と東京新聞の女性記者とのやり取りを紹介しましたが、「きちんとした取材をしよう」という姿勢が好感です。いったい、大手新聞の記者の方々はどうしてしまったのでしょう。マスコミが政権の歯止めの役割を放棄してしまってはジャーナリストの名前が泣きます。
じゃ、また。




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