<信頼関係>

pressココロ上




ようやっと稲田大臣が辞職しましたが、遅きに失した感は否めません。多分、多くの人が人選の失敗を予想していたのではないでしょうか。おそらく会社帰りの居酒屋で中年以上のサラリーマンの方々は口々に話していたはずです。
「稲田さん、無理があるよなぁ」
本人がどう思おうとも、部下である事務次官や自衛隊のトップが稲田大臣を大臣として認めていなかったことは間違いありません。先週も書きましたが、3人が集まった話し合いの内容がマスコミで報道されるという事実がそれを証明しています。
似たような状況が小泉政権時代にもありました。このときは田中角栄元首相の娘さんである田中真紀子氏が外務大臣に就任していたのですが、田中氏は外務省を自分の思い通りの役所にしようとしていました。しかし結果は、見事返り討ちに遭ってしまいました。田中氏の名言が印象に残っています。
「私が前に進もうとすると、誰かがうしろでスカートの裾を踏んでいる」
このときは外務省の官僚は田中大臣に反旗を翻していることを隠そうともしていませんでした。マスコミに堂々と「差し違える覚悟」とまで語っていたほどですから、どれほど大臣として認めていなかったかがわかります。このような状況で仕事をできるわけがありません。方向性が「正しいかどうか」は別にして、組織が活動するにはトップと部下たちの意思が統一されていることは必須条件です。
報道を見る限りでは、稲田氏が事務方や自衛隊に対して特段厳しい要求をしていたようには思えません。それにも関わらず事務方や自衛隊から認められていなかったということは余程仕事に対する姿勢に問題があった可能性があります。もしかしたなら、部下である秘書に対して「このハゲ~!」と絶叫した女性議員がいましたが、似たような性格もしくは資質を持っているのかもしれません。
それはともかく、テレビで評論家が「野球の知らない人が監督に就任したようなものだ」と語っていましたが、部下の人たちも同じような気持ちだったのかもしれません。
似たようなことが自民党の受け皿にならなくてはいけないはずの民進党でも起きていました。代表である蓮舫氏が辞任をしました。こちらは部下の反乱というよりは祭り上げていた人たちが梯子を外した感じです。
そもそも今の状況で蓮舫氏が代表に就くことに無理がありました。まだ党の代表になる土壌が整っていなかったからです。本当に、単に「祭り上げていられた」だけです。真の代表になるには一定の集団の代表になり足場を固めてから名乗りを上げなければいけません。今の状況は単に名前が知られているという上っ面の人気だけでした。上っ面の人気を実力と勘違いしたことに蓮舫氏の過ちがあります。
女性議員の話が続きましたので、ついでにと言っては失礼ですが、都民ファーストの小池東京都都知事についても触れたいと思います。
真の意味で実力者といえる女性議員となりますと、今の日本では小池氏がダントツの一位です。自分で党を作っていますし、実質的な代表に就いてもいますし、実力のあるサポート部隊も周りに控えています。おそらく現段階で最も首相に近い女性となりますと小池氏になるでしょう。
敢えて小池氏のネックを探すならそれは年齢です。現在65才ですが、これから首相を目指すには少し薹が立っています。その意味で残されている時間はあまり多くありません。2~3年のうちに勝負にでる必要があります。
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*「薹が立つ」(とうがたつ)
⇒花茎が伸びると堅くなって食べ頃を過ぎてしまうことから盛りを過ぎるの意。
 何かをするのにちょうどよい年齢を過ぎてしまうこと。
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ですが、東京オリンピックも控えていますので現実的ではないように思います。もしやるとするなら、ミャンマーのアウンサンスーチー氏のように影で操る実力者という立場しかありません。しかし、こちらも現実的はないように思います。勝負は来年の衆院選でしょうか。
と、ここまで政治のことを書いてきましたが、実は僕は現在新聞を取っていません。以前から新聞を取る価値について考えていましたが、今回たまたま勧誘の人が来なかったので宅配の新聞をやめてみることにしました。
前にコラムで書いたことがありますが、藤原和博さんという元リクルートの幹部から杉並区の区立中学の校長に就任したことで注目を集めた方が「新聞なんて読まなくていいんですよ」とラジオで話していました。それを聞いたのは今から3~4年前ですが、以来ずっと頭の中に引っかかっていました。
人間というのは保守的な生き物ですので、僕もなかなか踏み切れないでいたのですが、今回たまたまの流れで7月から実行に移すことにしました。
僕には、新聞を取らなくなったときの不安がありました。それは「世の中で起きていることがわからなくなる」という漠然とした不安です。テレビのニュース番組もありますし、スマホのヤフトピも見ていますので、ニュースに全く触れなくなるということはないとは思っていたのですが、なんとなく不安になっていたのです。ですが、実際に新聞を読まなくなっても今のところ不都合や不便を感じていることはありません。
よく紙媒体を読まない弊害として「調べていることとは全く関係のない知識や情報に触れる機会がなくなる」ということが指摘されていました。例えば、辞書である言葉を調べているときにたまたま隣の言葉が目に入って、それまでの自分では興味を持たないようなことにそれがきっかけになって興味を持つようになることです。新聞はまさにそのような役目があり、社会面や政治面や科学、暮らしなど自分だけでは関心を持たないようなことに触れるきっかけになります。
このような紙媒体のメリットを失うことへの不安がありました。しかし、ネットでいろいろな情報に接していますと、紙媒体のメリットに劣らないくらいいろいろなたくさんの情報に触れるきっかけに遭遇しています。もしかするなら、紙媒体以上に「自分だけでは関心を持たないようなこと」に触れるきっかけを得ているかもしれません。
今のITの進歩は素晴らしいものがありますが、その一つに僕が興味を持ちそうな情報、もしくはそれに関連した知識を勧める機能があります。これには「個人情報が勝手に収集される」という問題点もありますが、それを除くなら「効率的に有益な情報に接する」というメリットを得ることができます。おそらく紙媒体で得られるきっかけよりもはるかに多いきっかけです。僕は、今現在、その状況を満喫しています。
先週のコラムで書きましたが、情報というのは見る立場や角度によりいろいろな形に変形します。マスコミはそれをできるだけ純粋な形で受け手に伝える義務があると思っていますが、ネットでは自分でその情報の形を調べることができます。しかも瞬時にできます。これもまた、実はとてもすごいことで、いつになるかはわかりませんが将来はやはり新聞を筆頭に紙媒体は消滅するのではないでしょうか。最近、僕はそのように思い始めています。
真偽は確かではありませんが、自衛隊の日報隠ぺい問題も当初は廃棄していたとされていましたが、「パソコンに残っている」という情報がきっかけで廃棄問題が再度注目されたように記憶しています。どこで読んだか記憶が定かではないのですが、「残っているはずだから、もう一度しっかり調査して」と最初に声を上げたのは自民党の河野太郎議員のはずです。ですが、その経緯について大手マスコミが全く取り上げていないのが不思議です。
僕が新聞を取るのをやめた一番大きな理由は最近のマスコミの偏向報道の激しさがあります。簡単に言ってしまいますと、「大手新聞の記事はあまり信頼できない」という気持ちが大きくなったのです。
どんなことでも信頼関係って大切ですよねぇ。…夫婦でも。
じゃ、また。




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