<終戦記念日>

pressココロ上




このコラムを書くようになってかれこれ10年以上経ちます。最初は、auさんのブログを使っていましたが、auさんがサービスを終了してからseesaaさんにお世話になっています。その間ずっとコラムを読んでくださっている方はご存知と思いますが、僕はこの時期になりますと、戦争について書かずにはいられません。
僕は専門家でも知識人でもなく、また思想的にも右でも左でもなく上でも下でもなくごく平凡に人生を生きている還暦のおじさんです。ですので、小難しい視点で戦争をとらえることはできません。ですが、どこにでもいる平凡なおじさんの視点のほうが若い人にわかりやすい情報を伝えられるのではないか、と思っています。そして、僕にとって重要なことは伝える情報ではなく、還暦になった今でもどのようにするのが正解なのか悩んでいることを知ってもらうことです。
僕が「戦争」と言いますか、社会について真面目に考えるようになったのは大学生になってからです。高校時代は社会について考えるよりもクラブ活動について考えていたように思います。そして、大学生になって少し世の中について知るようになり、社会について考えるようになりました。ですから、二十歳前後の若い人たちが戦争や政治について知識がなかったり関心が薄かったりしても全く不思議とは思いません。
僕のような学生は僕の周りにたくさんいましたので、僕は当時の二十歳前後の若者の平均像だと思います。しかし、中には政治に強い関心を持っている人もいましたが、そうした人は全体からしますと少数派でした。
僕よりも一世代前の学生を見ますと、ベトナム戦争の影響で反戦運動や安保闘争という学生運動が盛んな時代でした。ですので僕の世代よりも政治に強い関心を抱いていたはずです。ちょうど吉田拓郎さんや井上陽水さんが世に出てきた頃で団塊の世代と言われていました。
団塊の世代は政治に強い関心を持っていたのが特徴で学生運動が盛んでしたが、あさま山荘事件という過激な活動家が起こした悲惨な事件を契機に学生運動は一気に下火になりました。団塊の世代に対して僕らの世代はモラトリアム世代と言われていました。「モラトリアム」とは「猶予」という意味ですが、「結論を先延ばしにする」という意味合いでしょうか。僕らの世代は政治に関心を持っている人はあまり多くはなくテニスとスキーに明け暮れている学生が一般的でした。僕個人的には、テニスとかスキーといったおしゃれなスポーツが似合うタイプではありませんでしたので興味はありませんでしたが…。
団塊の世代を見ていますと、あまりに強く政治に関心を持ちすぎると判断を間違えるような気がします。シリアではイスラム国をあと少しで壊滅できそうですが、そのイスラム国はイスラム教の原理主義者たちが作った組織です。イスラム教に限らずどの宗教でも思想でも社会に対して攻撃的な行動をとっているのは原理主義者の人たちです。本来、宗教は平和のために存在しているはずですので宗教が原因で争いが起こるのは矛盾ということになります。
民族浄化などという悲惨な状況が起きるのも同様で原理主義者の仕業です。ですから、普通の人たちが注意をする必要があるのは原理主義者たちの口車に乗せられないことです。そして、僕は政治的に固まらないことが大切と思っています。優柔不断は悪い意味ですが、政治に関しては優柔不断のほうが平和に貢献するように思えてなりません。
戦争について考えるとき、最初にぶつかる問題はやはり「戦争放棄」です。安倍首相が憲法改正を考えているのも、究極的には「戦争放棄」には必要のない自衛隊の存在を正式に認めたいからです。ですが、なんとしても平和憲法を守りたい人たちには許容できることではありません。そこに対立点が生じます。
平凡なおじさんが普通に考えて、一番の疑問は「戦争放棄」は賛成だけど「攻撃されたらどうするの?」という疑問です。専守防衛とは謳っていますが、どこまでが「防衛」なのかは定かではありません。
また、元稲田防衛大臣が辞任に追い込まれたきっかけにもなったことですが、海外に派遣する条件も曖昧です。実は、それよりも問題だと思っているのは「同盟国が戦っているときに支援をしないこと」の是非です。本当にごく普通の感覚で考えるなら「仲の良い友だちが悪い奴に絡まれているのに助けない」のはどう考えても不誠実のように思います。僕だったら、そんな薄情な友だちとは仲良くしたくありません。それが普通の感覚のはずです。
かつて湾岸戦争のときに海外から「お金だけ出して、血は流さない」と批判されましたが、普通の感覚で考えるなら当然の意見です。このときはまだ世界が日本の平和憲法を賞賛している時代でしたのでお金だけで済みましたが、未来永劫通用するかは疑問です。
もちろん「戦争はいけない」ことは当然です。ですが、攻撃されたなら戦うしか方法はありません。そして、近代の戦争では「攻撃されてから反撃するのは遅い」ということもあり得ます。このような状況の中で「戦争」について考える必要があります。
左系の人たちは「外交努力」という言葉を好みますが、通じない場合のことも想定する必要がありますし、外交努力をするには同盟国の力を借りなければいけないこともあります。そのときに「助けない」で通用するのかも考える必要があります。
このように一口に「戦争反対」「戦争放棄」と言いましても簡単ではないのが現実です。それでもそれでも、戦争が起きないように工夫し努力することがとても大切です。その土台になるのが原理主義者の言葉に惑わされないように柔らかい頭でいることです。
戦争という極限状態に突入してしまいますと、引き返すことは簡単ではありません。また、極限状態では自由が制限されるのが常です。しかし、侵略されてしまってはもっと自由が制限されることになります。そのような最悪な状況にならないために日ごろから戦争について考えておくことは大切です。そのためには政治に関心を持つことが重要です。
この時期のコラムの最後はドラマ『さとうきび畑の唄』で主役を務めるさんまさんが最後に叫ぶ言葉で締めくくります。
「わいは、人を殺すために生まれてきたんやないんや」
じゃ、また。




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